昔、劇作家で演出家の右来左往さんと一緒に児童劇の仕事をしたことがあった。
当時、京都でパノラマアワーという劇団を主宰していた右来さんはスタジオも持っていて、「借金だらけや」と言っていた。
そのスタジオがP・アクトで、パノラマアワーが解散した今は、元劇団の関係者や有志たちが様々な公演やワークショップを企画運営して引き継いでいる。
昨日観た「P・アクト文庫」もその一つで、朗読三本立て企画の、今回が二回目になる。
昨日は三人の女優さんが語っていて、それぞれ楽しく聞かせてもらった。
最後が、飛鳥井かがりさんの朗読で、演目は、芥川龍之介の「雛」だった。
物語は、大正の末期、旧家に伝わる古い雛人形を西洋人に売らなければならなくなった一家の、父母兄妹それぞれの思いを、年月が経って老女となった妹の回想という形で書かれている。
芥川はあざといほど上手い書き手だ。人物構成にしても、時代背景にしても、物語の光と影を映像のように描き出す。
飛鳥井さんは、その芥川の作品を少しも損ねることもなく、見事に伝えてくれていた。
だいたいに私は耳からの理解力が弱い。朗読を聞くより本を読むほうがよくわかるし、イメージも出来る。そのうえ朗読する人の顔を見ていると、顔に気をとられてしまい、集中力がなくなって、よけいに内容を把握できなくなってしまうのだ。
でも、飛鳥井さんの朗読は、飛鳥井さんの姿を通して物語の中の光景が目に浮かんでくる。
古い家のなかの様子、ランプのほのかな灯り、暗闇に浮かび上がる雛人形、昔気質な父親、家族それぞれの悲しみ…。読む声と表情、作品内容がちゃんと重なっている。
終盤では、知らず知らずに涙がほほを伝ってきて、飛鳥井さんをみたらもっと泣いてしまいそうで、顔をあげられなかったほどだ。
今回、私は、朗読の力というものを初めて知ったような気がする。
朗読は手軽にできるし、演劇と違ってセリフを覚えなくてもいいから楽、という感覚が、どこかである。
でもよい朗読は、本を読むよりも、映画や芝居を観るよりも、深く心に突き刺さってくるのだ。
ただそれは、限られた語り手によるものだけだと、やっぱり私は思うのだけど。
P・アクト文庫、月一回開催。料金500円。
出演者も募集中。ただし、人気で、出演者のほうは、9月までいっぱいだそうです。
朗読の初心者も挑戦出来て、毎回、飛鳥井さんの美しい朗読も聞けるという、挑戦する人にとっても、聞きたい人にとっても、楽しい企画。
来月は4月13日です。
当時、京都でパノラマアワーという劇団を主宰していた右来さんはスタジオも持っていて、「借金だらけや」と言っていた。
そのスタジオがP・アクトで、パノラマアワーが解散した今は、元劇団の関係者や有志たちが様々な公演やワークショップを企画運営して引き継いでいる。
昨日観た「P・アクト文庫」もその一つで、朗読三本立て企画の、今回が二回目になる。
昨日は三人の女優さんが語っていて、それぞれ楽しく聞かせてもらった。
最後が、飛鳥井かがりさんの朗読で、演目は、芥川龍之介の「雛」だった。
物語は、大正の末期、旧家に伝わる古い雛人形を西洋人に売らなければならなくなった一家の、父母兄妹それぞれの思いを、年月が経って老女となった妹の回想という形で書かれている。
芥川はあざといほど上手い書き手だ。人物構成にしても、時代背景にしても、物語の光と影を映像のように描き出す。
飛鳥井さんは、その芥川の作品を少しも損ねることもなく、見事に伝えてくれていた。
だいたいに私は耳からの理解力が弱い。朗読を聞くより本を読むほうがよくわかるし、イメージも出来る。そのうえ朗読する人の顔を見ていると、顔に気をとられてしまい、集中力がなくなって、よけいに内容を把握できなくなってしまうのだ。
でも、飛鳥井さんの朗読は、飛鳥井さんの姿を通して物語の中の光景が目に浮かんでくる。
古い家のなかの様子、ランプのほのかな灯り、暗闇に浮かび上がる雛人形、昔気質な父親、家族それぞれの悲しみ…。読む声と表情、作品内容がちゃんと重なっている。
終盤では、知らず知らずに涙がほほを伝ってきて、飛鳥井さんをみたらもっと泣いてしまいそうで、顔をあげられなかったほどだ。
今回、私は、朗読の力というものを初めて知ったような気がする。
朗読は手軽にできるし、演劇と違ってセリフを覚えなくてもいいから楽、という感覚が、どこかである。
でもよい朗読は、本を読むよりも、映画や芝居を観るよりも、深く心に突き刺さってくるのだ。
ただそれは、限られた語り手によるものだけだと、やっぱり私は思うのだけど。
P・アクト文庫、月一回開催。料金500円。
出演者も募集中。ただし、人気で、出演者のほうは、9月までいっぱいだそうです。
朗読の初心者も挑戦出来て、毎回、飛鳥井さんの美しい朗読も聞けるという、挑戦する人にとっても、聞きたい人にとっても、楽しい企画。
来月は4月13日です。