ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

映画 ノルウェーの森

2011-01-20 | Weblog
小説のほうは、20年前にリアルタイムで読んで、そのあとも、何度か読み返している。村上春樹は好きだ。昔、太宰治がとても好きで、でもおおっぴらに太宰を好きと口にすることが恥ずかしい時期があった。あまりにも少女趣味な気がして。まあ、村上春樹も、私にとってはそれと似たようなものだ。あえて言いたくないけど、好き。

その村上作品の中で、とても好きというわけではないけど、まあまあ好きなノルウェーの森だ。やっぱり気になって、遅ればせながら観に行ってきた。

うーん、なんか、やっぱり、うーん、だ。突っ込みどころ満載。
私の好きなシーンが、全部カットされている。突撃隊のラジオ体操。僕が緑のお父さんにキューりを食べさせるところ。月明かりのなかでの直子と僕の切ないラブシーン。レイコさんがギターを弾き、僕と二人でする直子のお葬式。僕が直子と暮らすために借りた部屋はあんなアパートじゃないし。光がいっぱい差す民家の離れだ。その家の大家さんにレイコさんが挨拶にいくところも当然なかった。

まあ、あの長編を二時間弱にまとめたんだから、無理もないかもしれないけど。
でも、長々と見せられたセックスシーンはちっともきれいじゃなかったし、オカルトみたいな菊池凛子の眼も好きじゃない。それに、死を表現するのに、あの足はないでしょう。あれじゃ横溝のミステリーだ。波がドドドーの心象風景なんて、70年代のATGの映画みたいだし。

でも、好きだったは、緑。まさに、トラン・アン・ユン的美女。
へたなのかもしれないけど、あの話し方も、私は好きだ。彼女の出てくる場面ばかりが印象に残っている。
なので、今回の写真も、緑と僕のシーンからです。
まあ、突っ込みどころ満載だったけど、けっこう楽しめた映画でした。

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持ち込み、持ち帰り、すべて無料!のフリマのご案内

2011-01-14 | Weblog
明日と明後日、入場無料、持ち込むのも無料、持ち帰るのも無料!という、びっくりするようなフリマがある。
つまり、-もう使わない衣料品(小物も含む)やファッションアイテムを持参して(ない人は手ぶらでもいいそうだ)会場に行く→ 持ち込んだものを所定の場所に置く→ 会場内に置いてあるほかの人が持ち込んだものから、自分が欲しいものを捜す→ 気に入ればそれを持って帰る-という、すべて無料で自由なフリーフリーマーケットで、京都市の企画らしい。お金を使わない、お店の人もいない、自由で自発的な実験マーケットだそうだ。ピアノの生演奏や一休みできる食事やお茶のスペース(食事やお茶は有料)もあるという。

昨日、会場になるアートコンプレックスに別の用件でお邪魔した際に、このイベントのことを知り、びっくり。こんなことをして、混乱必死じゃないの!?
スタッフの人たちは、「こんなにようけ集まるとは思わんかった。どないしょう」なんて、京都らしくのんびりと氾濫する服の山をえり分けていたけれど。

お手伝いと称してちょっと中を見せてもらった。かなり高価そうな品物も。新品も。ブランド品も。服好きにはたまらない。掘り出し物がみつかりそうだ。

会場は、京都三条御幸町角にある「1928ビル」の三階。かに道楽近くのレトロビル。15日(土)は、11時~18時。16日(日)は、11時~17時。
あ、本日14日(金)も、14時~18時の間、先行入場を受け付けていて、持ち込んだ場合は、その場で交換も可能らしいです。

急なお知らせですが、あまりにびっくりの企画だったので。
お時間と興味のある方、ぜひ!
お勧めです。お洋服、ただで手に入りますよ。
お芝居の衣装捜しにも!

鏡はないそうです。
似合うか似合わないかは、誰でもそばにいる人に聞いてみてください。
もうひとつ、持ちかえり用の袋も、ご持参くださいとのことです。


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好きな作家のことなど

2011-01-05 | Weblog
好きな小説家はいっぱいいるし、新作が出るたびに本屋や図書館で手にとってみる作家は何人もいる。
でも、ここ20年ほどの間、飽きることなく作品が出るたびに買い、そのたびにやっぱりいいなあと思ってしまう作家は、たぶん、小川洋子だけだ。

小川洋子の文体は、硬質で清い。
残酷で腐臭に満ち満ちた世界を、この人は、独特の静謐な世界に変えてしまう。その静謐さが怖くもあるのだけど。
設定や人物の風変わりさ、次々と消えていくものたち、異形のもの、病的なもの、不思議なコレクション、どこともわからない土地、そういったものが入り混じった小川洋子の作品世界には、いつも私のための小さな椅子が用意されていて、私はそこに坐って、読書の快楽に身を任せることができる。

多くの作品に、死の、あるいは死と隣り合わせになったエロスの気配がある。
たとえば「ホテルアイリス」の閉ざされ島。たとえば「ひそやかな結晶」の隠れ家。たとえば「薬指の標本」の地下の浴室。たとえば「貴婦人Aの蘇生」の剥製だらけの洋館。たとえば「凍りついた香り」の異国の洞窟...。
「人間死んだらどうなるのか、その答えのない問いかけに、答えを求めて向かっていけるのは小説だけ」と、小川洋子はどこかで書いていた。小説というか、物語だけだと、私も思う。
このことは、村上春樹や江国香織、梨木香歩や湯本香樹実といった作家たちの作品を読んだ時にも感じるのだけど、人生の理不尽を受け入れようとする時、人は、物語を必要とするのではないだろうか。

暮れからお正月にかけては、小川洋子の作品をたくさん読み返した。
フランスで映画化されたけど見逃していた「薬指の標本」のDVDも買って観た。
とても美しい映画だった。

もう、本屋に行っても、図書館に行っても、本が溢れていて、どこから手をつけていいかわからない。書評をみておもしろそうだと思い、読んみたいと思う本も多いのだけど、無精者で書き留めておくことをしないので、いざ本屋や図書館に行ってみると、書名も作家も忘れている。なので、自然、馴染んだ作家の作品を手に取ることになる。

今年ははじめての作家の作品も、たくさん読んでみたいと思っている。
そうそう、はじめての作家といえば、東京の女優さんおすすめの朱川湊人の「かたみ歌」はとてもおもしろかったけど、図書館で借りた川上未映子の「わたくし率イン歯ー、または世界」は、はじめの二行で読むことを放棄してしまった。

というわけで、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します!














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