ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

追想のオリアナ

2007-09-28 | Weblog
かなり前に深夜のテレビで見て、偶然ビデオに録っていた。「追想のオリアナ」という映画だ。ベネズエラの女性監督の作品で、カンヌ映画祭で何かの賞を取っている。
映画は、叔母が亡くなり、その家を譲り受けることになった姪が、何十年かぶりでそこを訪れるところから始まる。姪は子供の頃、その叔母の家で暮らしたことがある。家を売るつもりで訪れた姪は、子供の頃感じていた違和感をあらためて思い出す。一生をその家から一歩も出ずに暮らした叔母。長い間閉ざされたままの家。ほこりは雪のように記憶を覆い隠している。開かない扉。古いトランクのなかの古い写真。写真のなかの少女の頃の叔母と、その叔母によりそう褐色の少年。そこから見えてくる二人の関係。叔母が死んでも守りたかった秘密。叔母の秘密を知り、結局、姪はその家を売るのをやめる…。
ビデオの映像状態はよくないのだけど、この映画は好きでもう何度も見ている。とても美しいシーンがたくさんある。なかに好きな台詞がある。
「立ち去る時間を止めて、心から望めば、それは見えてくる。目を閉じて、目を開ける。ほら、あなたはそこにいる」
見えないものが見える、ないものがあると思える瞬間がある。切なく思い続けているといつかそれが現実になる。せめて作品のなかに、そういう瞬間を書きとめたいと、私はいつも思う。
「ポプコーンの降る街」を、10月に、富山大学の劇団ふだいが上演してくれるという。そのHPをのぞいてみた。チラシに、台詞の一部が書かれている。「ここにいる僕は 僕の思いだ。君の中で 生きていたいと願いつづけた 僕の思いだ」
あ、これって、私が書いている時に、一番好きだった台詞だ。
劇団ふだいさん、公演、がんばってくださいね!



ボイストレーニング

2007-09-20 | Weblog
小さくて細い。声量がない。緊張すると震える。高くて幅がない。分析してみればそういう感じだが、自分の声を特に意識したことはなかった。
声を使うことは苦手だ。電話よりもメールのほうがいい。オンチだから歌いたいとも思わない。芝居を書いているが、自分が演じるなんて考えたこともなかった。
それなのに、急にだ。急に読むことに興味を持ってしまった。だったら、やってみなくちゃ、だ。限られた人生、やりたいことはやってみなくては。
読むからにはいい声で読みたい。リラックスした自然な声で読めるようになりたい。小さくて声量のない声をなんとかしたい。
そういうわけで、9月から週に一回、ボイストレーニングに通っている。柔軟、発声、呼吸の訓練で一時間。あとの一時間は、詩を読んだり、童話を読んだりする。腹式呼吸はわかっていても、いざ、読むとなると口先で読んでいる。先生に、「ここで(と、のどを差して)読んでるんじゃない?ここで(おなかをさして)読むのよ」と言われて、そんな基礎的なことにも、はじめて気がついた。おなかで読むんだ。
声に表情をつけるということについても、自分で声を出してみてはじめてわかってくる。書くときは、どの言葉が、この場合ふさわしいかを、考えて書いている。声もことばと一緒だ。声の表情を変える事で感情が変わる。役者さんって、いつもそういうことを考えて演じてるんだなとあらためて思う。
まあ、いまさら役者をするのは無理でも、自分の書いた作品くらい自分の声で表現できるようになりたいというのが、当面の目標だ。

伝説のギャルソン

2007-09-12 | Weblog
なんて、なんのことはない、ここ数年の間、私が月に2,3度行っている喫茶店のお兄さんのことだ。昔からある小さな喫茶店だけど、でも、彼は半端じゃない。私がこれまでに行ったどんな高級なホテルの従業員にもまさるすばらしいウエイターなのだ。
挨拶、歩き方、注文のとり方、コーヒーをテーブルに置く仕草、客一人一人に応じた心遣い。きびきびとしていて、それでいて落ち着いていて、私は思わず見惚れてしまう。お砂糖もミルクもいらないという私の好みも、二度目に行った時には覚えてくれていた。小食の母親と行った時には、どういう形で食べ物と飲み物をシェアするかも。私語はいっさいない。折り目正しく、それでいてあたたかい。清潔感のある坊主頭。ハンサム。セックスアピールも少々(と、これは個人的な感想)。
思い立ったらいつでも行ける、そういう場所に、気に入った人がいれば楽しい。
でも、そういう場所があったとして、私の場合、いつもは行かない。行きたいなと思ってもがまんする。そして、どうしても行きたいと思った時に行く。するとよけいに会える楽しみが増す。年に一度だけ会える恋人(まあ、恋人が贅沢ならボーイフレンドでもガールフレンドでもいいのだけれど)が、何人かいれば人生は楽しいのにと思う。
写真はその喫茶店とは関係なく、以前りゃんめんで上演した「絵葉書の場所」の舞台となった喫茶店。映画や芝居のチラシやチケット、客たちの伝言メモが、ところかまわず張ってある壁。本棚には本がいっぱい。レンガ色のカーテンのかかった窓…。素敵に古びた感じの喫茶店を、舞台上に作ってもらった。もう一度行きたいと思っても、ここはもうない。

水辺の図書館

2007-09-08 | Weblog
以前、小さな専門学校の図書室に勤めていた。一人で本を整理して一人で本を管理して一人で先生や生徒の相手をしていた。その頃は、仕事でも仕事でない時でも、たいてい本を読んでいた。仲良くなった生徒が、誰もいない時間に悩み事なんかを話しに来た。「図書室のお姉さん」は私の小学校の頃からのあこがれの職業だった。
図書室や図書館が出てくる小説は好きだ。
小川洋子の「冷めない紅茶」には、あちらの世界にいってしまった図書室のお姉さんが出てくる。恩田陸の「図書館の海」、村上春樹の「図書館奇譚」や「海辺のカフカ」。
リチャードブローディガンの「愛のゆくえ」に影響されて、「ラヴィのいる部屋」というラジオドラマを書いたことがある。50分リアルタイムの二人芝居で、思い出を収蔵する図書館が舞台になっている。のちに、「NHKだからこそだよねえ、そういうものが放送できるのは」と民放のディレクターにあきれられたほど、スポンサー受けのしない、退屈で超スローテンポなドラマだった。
今はあのときほど本を読んでいない。本屋や図書館に行くと、ため息がでる。こんなにたくさんの本を、みんな人間が書いたんだ。
写真は時々行く図書館の庭。池がある。池には鴨や鴫が飛んでくる。水辺にはベンチがあり、お弁当だって食べられる。昨日行ったら、木陰のベンチでおじいさんが寝ていた。図書館はいつだって静かだ。