ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

コンテとバルチュスと俳優教室

2014-08-29 | Weblog
昨日は久しぶりに活動的な一日だった。

まず、ヤザキさんの大宮のスタジオ・八咲舞遊館でコンテンポラリーのレッスンを受ける。
ヤザキさんのダンスは「身体の動きに正直に」が基本。無理な方向に行こうとすると、それは間違った動きになる。
一時間半のビギナーズのレッスンは、ヨガから始まって基本の動きをひとつひとつ。
運動オンチの私はなかなか思うように動けない。
でもあせらずに何度も同じことを繰り返していると、ある日突然出来るようになっている。
たとえばターンが出来なくても、ターンに結びつく動きを何度も繰り返すうちに自然にターンが出来るようになっている。一つできるようになると次の動きへと身体が導いてくれる。
私が行く時間帯はほかの生徒さんとあまり重なることがなく、ヤザキさんとマンツーマンでレッスンすることが多い。プロのダンサーさんにも人気のあるヤザキさんのレッスン。とても贅沢なことをさせてもらっているなと思う。
八咲舞遊館では、他にもストリートダンスやジャズダンスなど、レベルや時間帯を選んでレッスンが受けられる。楽しく身体を動かせて、ぜい肉も取れて、気持ちもすっきり。ダンスなんてやったことのない方にもおすすめです。

レッスンが終わって近くのバス停から「平安神宮」行きのバスに乗り、京都市美術館で開催されているバルチュス展を観にいく。
バルチュスの絵はあやしくてあやうい。
具象でありながら現実ではないというところも私は好きだ。
今回は作品数も豊富で、実際のアトリエも再現されていたりして、17時の閉館まで2時間ほど、それでも時間が足りないくらい楽しめた。
その作風は誹謗もされたけれど熱烈な支持者も多く、生活や環境に悩むことなく作品だけを描いて生きた、幸福な人生だったと言えるだろう。
購入した図録の中に、印象に残った言葉があった。
「喪失は、まったく内面的な第二の獲得に他ならない」。
バルチュスは11歳の時、可愛がっていた猫を失って、その猫の思い出を描いた「ミツ」という完成度の高い画文集を出したのだが、これはその本の序文を書いた詩人・リルケの言葉だ。リルケはバルチュスの母親の恋人でもある。
喪失は、時として人を次へと向かわせるエネルギーになるのだ。

美術館を出て、平岡さんの俳優教室のある東山の稽古場まで、ぶらぶらと歩く。
途中、喫茶店に入ったり、漆塗りのとてもきれいな赤い色のマグカップを買ったり。
秋のようにすずしくて気持ちのいい夕方だった。


毎週木曜日の夜に行われる平岡さんのワークショップは、高校生からシニアまで、参加者は多彩だ。
今は、好きな戯曲の好きなシーンの長台詞を覚え、身体の動きとともに演じてみるというレッスンをしている。
私はかもめのニーナの最後のシーン、複雑な心の動きをどう表現するかに苦心している。
これも何度も繰り返すうちに、見えたり感じたりしてくるものがあるのだと思う。
ジュリエットやらオセロやら、みんなそれぞれで楽しい。
参加自由。興味のある方は平岡さんのブログからメールで問い合わせてみてください。

母が亡くなって、まだまだ手を付けられずにいるもの多いのだけど(特に母が倒れるその日まで書いていた日記は開くことも出来ない)、少しづつ、片づけていかなくてはと思っている。













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近況

2014-08-09 | Weblog
一月より入院していた母の様態が急変し、6日、亡くなりました。
7日がお通夜で8日がお葬式。そして、今日が私の誕生日でした。

心配してくださっていた方、また、何も知らずに誕生日のメッセージをくださった方も、
ありがとうございます。連絡も出来ず申し訳ありませんでした。

まずは、ご報告のみで失礼します。

また落ち着きましたら、あらためてお話させていただきたいと思っています。
















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