ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

星みずくでしたかったこと

2012-03-30 | Weblog
4年前、星みずくというユニットを作った理由は、手短に言うと、自分の書いたものを自分の身体と声で表現してみたいということだった。

人前で話すということに対して、私にはとても大きなトラウマがある。
あれは、小学5、6年生の時だ。
読書感想文が学年の最優秀賞に選ばれ、全校生徒の前で読むことになり、読みながらあまりの緊張で震えだし、あげく声が出なくなってしまったのだ。
その後何日間か失語症の状態が続いた。
でも記憶に残っているのは、声が出なくなった不安や辛さではなく、そのことに対して担任が言った「読むのは他の子がすればよかったのに」という言葉だった。
私は人前では表現出来ない子なんだと思った。

人前で表現出来なくなった私の楽しみは、物語をひとりで読むことと書くことだけだった。それでまがりなりにも賞も頂いたし、仕事としてやっていくことも出来た。
でも、4年前、突然に思ったのだ。

本当にしたかったことを見ない振りして終わっちゃう人生ってどうよ。

だから、星みずくの第一回の公演を観に来てくれた親しい演出家の高木真理子さんに、「み群さん、自分の物語世界を表現したいなら出るのは役者にまかせなさい」と言われた時もめげなかった。そう言われないようにがんばろうと心に決めた。高木さんは、それから毎回観てくれて、三回目の公演のあとは、ちょっと誉めてくれた。そのことは今書いていても涙が出るくらいうれしかった。

さて、そういうことで、今は第5回目の公演に向けての稽古を少しづつしている。
次回は音響も照明もない。相棒も、酒井周太くんただひとりだ。
酒井くんの演技もギターも未知数の段階で、この人なら試行錯誤の稽古に我慢強くつきあってくれるだろうと勝手に見込んで、私は彼を相棒に決めた。

書きたい作品のイメージが稽古しながら生まれていくというのも初めてで、次回は今までの星みずくとは違った作品世界をお観せできると思う。

ただ公演日は、今年の秋はちょっと無理になり、来年の春頃の予定。
もともと友人・知人の少ない私。少人数になったうえに公演日も延びて、
はたして観に来てくださる方がいるのかどうかが、ちょっと心配です。


























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ホテルニューハンプシャー

2012-03-23 | Weblog
ジョン・アーウィングのことは村上春樹を通して知ったのだと思うのだけど、「ホテル・ニューハンプシャー」が、とくに好きだ。
映画化もされていて、読んだ後でDVDで映画も観たが、本で読んだ印象のほうが強烈だった。

行き詰った時、疲れた時、私はこの本を手に取る。
この本では、ぱらぱらとページをめくっているだけでも、すぐに突拍子もないものたちと出くわす。
何もかもが波乱万丈すぎて、いくら小説だからって、とあきれていると、「開いた窓の前で立ち止まるな」という言葉が出てきて、読むのをやめられない。
同性愛者の兄、近親相姦の姉弟、小人症の妹、熊の着ぐるみから何年も出られない娘、剥製になった愛犬などなどが次々登場してきても、「人生はすべておとぎ話」なんて言われると、納得して、また読み進んでいく。

そして読み終わってみると、なんだか変に爽やかなのだ。
哀しいのにやさしくて、重くるしいのに清清しい。
死がいっぱい出てくるのに、暗さを突き抜けた明るさのなかに、残された人たちが佇んでいる。登場人物だけでなく、読んだ後の私自身も、何かをふっきれたような気持ちになっている。

この本にははっとする言葉、シーンがたくさん出てくる。
なかでも一番心に残っているのが、
「人生は深刻だ。でも、芸術は喜びに満ちている」という一節だ。
生涯を街頭道化師として生きてきた男の言葉なのだけど、なんて素敵な言いぐさだろうと思う。
街頭道化師であることの、誇りと自信。苦悩と喜び。

上下2巻の長編だけど、私の心に残る小説ベスト10に入る作品です。










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ひなまつりとりかさん

2012-03-02 | Weblog
ひな祭りが近づくと読みたくなる本がある。
梨木香歩の「りかさん」。人形というものについて、いろいろ考えてしまう物語だ。

子供の時、児童文学を読まなかった私は、児童文学というものは、すべて大人になってから読んだような気がする。
フィリパ・ピアスやルーマ・ゴッテンなどの作品を、子供の頃に読んでいたら人生が変わっていたかもしれないなあと思ったりもするけれど、高校の時、サド侯爵の本に傾倒していた自分が、今反社会的な人生まっしぐらというわけでもないところをみると、本によって変わる人生なんてそんなにはないのかもしれない。

主人公のようこちゃんが祖母から貰った人形、りかさん。リカちゃん人形が欲しかったようこちゃんは、はじめ市松人形のりかさんにがっかりするが、すぐに愛情を感じるようになって、りかさんの心の声を聞くことができるようになる。ようこちゃんはりかさんを通して、いろんな人形たちの思いを知り、その人形たちの哀しい傷を理解し、昇華させる手助けをしていく。
親善大使としてアメリカから渡ってきたのに、第二次世界大戦中は鬼畜米英の象徴として串刺しにされ火あぶりにされたビスクドールの話など、子供が読むには結構残酷な場面もあるが、雛人形たちのユーモラスなエピソードなどもあり、物言わぬ人形を愛しく思える物語だ。

私自身の子供の頃の人形遊びといえば、紙で作った着せ替え人形で、人形も洋服も自分で描いて物語を作り、一人で何役もこなしながら遊んでいた。
雛人形も小さなものは持っていたが、いつのまにかなくなってしまい、それに対しての思い入れもない。

よい人形は、持ち主の心を浄化するという。人形が身代わりとなって、持ち主の強い感情やにごりの部分を吸い取ってくれるのだそうだ。
ふりかえって、私の紙人形たちが、私のいやな部分をみんな引き受けて、正しく純な少女にしてくれたとはとても思えない。

ああ、私って、いまだにつくづく不満ばっかり。
嫉妬や憎しみやいやな感情で胸がいっぱいになると、
今の私にも、よい人形が必要なんじゃないかって、考えてしまうのだ。
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