ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

ワーク(work) ーからだを知るということー

2013-07-08 | Weblog
ワーク(work)とは、愛用の新明解国語辞典によると、「からだや頭を働かせ・ること(て得たもの)」とある。
最近は、ワークショップというものがいろいろあって、私は、興味があるんだけどいったいどんなことをするの?と思ったとき、覗いてみたりしている。

去年の9月に参加したアレクサンダーテクニークのワークショップ。
目からうろこの体験だったのだけど、その時のことについて、私はブログにこんなことを書いた。
………………
「骨の構造から発声のメカニズムを知り、緊張を解いたニュートラルな状態で声を出そうというワークだった。
からだの緊張を解き、のどを開いて声を乗せる。論理はわかっているのだけど、いつもいまいち実感できない。気が付くと肩に力が入り、のどを締め付けている。
でも今回のレッスンの最後、先生が、「誰か、実践してみたい人いますか?」とおっしゃった時、ハイ!とずうずうしくも手をあげて、先生の「手わざ」を受け、その前と後の発声を比べるということを体験させてもらったのだけど、もう、びっくりだった。全然違うのだ。
受ける前はやっぱりいつもの緊張感のある状態だったのが、受けた後では、視界はクリアになり、心もからだもとても楽に発声している。
いったい私に何をしたの?という感じだった。
先生は、私の頭や肩に軽く手を触れただけみたいだったのに。

たとえば、と、自分流に考えてみる。
ホースで水を撒くとしよう。
ホースを指で軽く抑えただけでも、水は止まってしまう。
反対に、折れたところを整えてやると、水は流れる。
人間の動きだって、ちょっとしたしぐさやくせが、本来の機能をじゃましているのかもしれない。そういうくせを発見して、本来の形に整えていくのが、アレクサンダーテクニークなんだろうか。」
……………
という感じで、いたく感激した私はその先生の教室に通おうと思ったのだけど、レッスン料の高さで挫折して、代わりに古本屋で「アレクサンダー・テクニーク入門」という本を買って、自分でいろいろやってみたりしたのだ。
アレクサンダーテクニークでは専門家の「手わざ」というものが必要で、独学ではなかなか難しい。サラパーカーのこの本は自分でも出来るといううたい文句になっていて、写真を見ながらやってみて、なるほどと実感できるものもあった。

この間の日曜日、酒井君が主宰する劇団足軽の稽古に参加して、そのアレクサンダーテクニークを含め、酒井君が参加して実感を得たワークのいくつかを体験させてもらった。
酒井君はとても勉強家で、いろいろと教えてもらうことが多い。今回も盛り沢山で、それがどうなのよといったものもあったけど、なかなか有意義だった。

思うに、平岡さんの動態プロジェクトでも、ヤザキさんのダンス教室でも、飛鳥井さんの朗読クラスでも、酒井君の稽古場でも、基本的なところは同じで、よりよい身体の使い方を目指しているのだ。
生まれ持ったものを上手に操ってフルに活用出来れは、それに越したことはない。
100メートル走るのに、ウサインボルトの倍の時間かかるとしても、それが自分だ。
人と比べたって仕方ない(って、なんでここでウサインボルトが出てくるんだろ)。
要するに、大切なのは、自分を知り、自分なりにワークするということなのだ。

でも、その自分を知るというのが、難しい。
努力すればひょっとしてウサインボルトぐらいの速さで走れるんじゃないかと、時として思ってしまったりする私ですから。