ねむたいむ

演劇・朗読 ゆるやかで懐かしい時間 

小さい物語

2006-09-30 | Weblog
私の書くものはいつも小さい。短編というと、ちょっと違う。まあもちろんあまり長いものは書いたことがないが、原稿用紙3枚であっても100枚であっても変わらない。小さな世界のささやかなことを書いている、というと、少し近くなる。大声で主張するものは小説でも芝居でも苦手だ。そういう物語は書けない。テーマだって小さい。心の中の些細な傷のようなしこりのようなものが私の物語のテーマになる。部分的なこと、瑣末的なことばかり書いている。
以前読んだ本のなかに、川本三郎氏と谷川俊太郎氏の対談があって、私の好きなレイ・ブラッドベリという作家について、こんなことが書かれてあった。「膨大なテーマを語る作家というよりも、自分の好きな色とか好きな語りとか好きな時間とか、そういうものにこだわって書いている。なんか、思想を読み取るとかそういうのではなくて、オードブルを味わうというか」。小さなことを肯定されたようで、ちょっとうれしかった。
クラフト・エヴィング商会の「じつはわたしこういうものです」という本のなかでは、秒針音楽家という職業の女の人が紹介されている。
「大げさではないこと、静かな音、聴き取れるか聴き取れないかというほど小さな音、わたしはそういう小さな音楽をつくり続けたいです」
あ、私と似ていると思ってしまった。
写真はほとんど文章と関係なくて、私の家に住みついている一番ちいさいくまと一番おおきいくまです。



行ったり来たり出来るということ

2006-09-07 | Weblog
あちら側とこちら側というか、あるいはあの世とこの世というか、さらには現実と非現実というか、とにかくみえている世界とみえていない世界の両方を、主人公が行ったり来たりしている小説が好きでよく読む。そういう世界は、村上春樹、小川洋子、川上弘美、江国香織といった人気の作家たちの作品にもよくみられるが、児童文学にとても多い。
キャサリン・ストーの「マリアンヌの夢」、フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」、ポ-ル・ギャリコの「七つの人形の恋物語」、ベラ・バラージュの「ほんとうの空色」などは、子供のころからほんとうに好きなお話だった。日本のものにも好きなものは多い。安房直子の作品、竹内文子の作品、柏葉幸子の作品。そういう作品は一般にファンタジーものといわれている。割り切ってものを考えようとすると、ファンタジーは消えてしまう。割り切れない感情をこそ大切にしたいと、私はいつも思う。
家の近くに新しく出来た図書館に時々行く。図書館が新しいと本も新しくて気持ちがいい。今日は柏葉幸子の「牡丹さんの不思議な毎日」というのを借りてきた。牡丹さんが買った家に住み着いているおばあちゃんゆうれいのゆきやなぎさんが可愛い。あっちの世界とこっちの世界を自由に行き来している登場人物たちが、道徳とか常識に縛られていないのが楽しい。
この作家のあっちとこっちを行き来する目は、とてもやさしくて好きだ。