早朝の散歩が気持ちいい。2日前、小さな蕾だったヒガンバナは、花茎を伸ばし、2輪ほど花を咲かせていた。外の空気が気持ちよいこともあるが、この年まで元気でいられるは、毎朝食する一椀のみそ汁だと思っている。日本アルプスの山小屋で、朝食はご飯とみそ汁がおかわり自由であった。チームのリーダー曰く、「みそ汁をおかわりしてしっかり飲んで。元気がつきますよ。」みそ汁を元気のもとと意識したことはなかったが、丼飯には、やはりみそ汁があうようだ。
かって、みそ汁の調査が行われてことがある。みそ汁をいつも飲む人は、飲まないひとに比べて胃がんで死ににくく、心臓病や肝硬変などの死亡率が低いという結果でたという報告がある。わが家今朝のみそ汁は、具に先日山から採ったヒラタケ、ブロッコリーの茎の柵切り、豆腐。できたみそ汁を一つかみのモッツァレラチーズを入れた椀ににそそぐ。チーズは溶けるが、みそ汁のうまみを損なわず、チーズのコクがそのままプラスされる。長年、家事を担当する妻が、出汁や具を吟味したおいしい一椀のみそ汁を添えて、毎朝の食事を活力のもとにしてくれる。ありがたいことだ。
塗盆に千本しめじにぎわしや 島田的浦
みそ汁は、日本人が食べるようになったのいつ頃か。万葉集の巻16に水葱(なぎ)の羹が詠まれている。水葱はミズアオイ科の一年草で、葉を食用にする。当時は大変安く手にはいり、羹つまり、汁に入れて食べた。
醤酢に蒜搗きあてて 鯛願う 我にな見せそ水葱の羹は(万葉集巻16・3829)
醤は小麦と大豆から麹をつくりそれに塩水を加えて発酵させた。味噌の原型である。これにノビルの葉や茎を入れてタレにし、鯛の刺身にかけた宴会料理。万葉の時代では、貴族が食したものであろう。一方、水葱の羹に醤を加えれば、みそ汁になる。庶民が食べる安価で健康によい食べものであった。歌は、鯛の刺身に醬タレを食べることを願う。いつものみそ汁は出さないでくださいよ、と宴会での食べ物を愛でたものだ。
万葉の時代から、誰でもが食べたのがみそ汁。その食習慣は、飽食の現代に続いている。日本人の、長生きのもとこそは、みそ汁だと言ってもいいのではないか。