日が経つのは早いものだ。田植えしたばかりの水田を、つい先ごろ見たような気でいるが、穂は垂れ、稲刈りを待つ水田はすっかり秋の色だ。こんな野で、宮沢賢治も散歩をしていた。農学校で先生をしていた頃、賢治は生徒を連れて野道を歩いた。演劇を生徒たちに教えていたので、歩きながら科白を覚えさせた。賢治の散歩は一風変わっていた。
「ホッ ホッ ホッ ホー」「ウホー ホッ ホッ」賢治が突然奇声を発する。生徒たちが、一瞬驚いて、先生を見る。田の稲や草の匂いのなかで、酔ったように無邪気になれる先生であった。村の人たちから見ても、変わった先生であった。その後、詩を書き、童話つくり、村の人々のために働く先生になると思う人は少なかったようだ。
本を読む楽しみは、予期せずに先人のことを書いた文章に触れることだ。神谷
美恵子の『生きがいについて』のなかに、妹を亡くして失意のなかにで書かれた賢治の詩がさりげなく紹介されている。
「死者の世界と生者の世界との間の境界がまさに突破されかけているような印象を残すものとして、宮沢賢治が妹の死を歌った一連の詩、とくに「宗谷挽歌」があげられる。」(愛するものに死なれること)
宗谷挽歌
こんな誰も居ない夜の甲板で
(雨さへ少し降ってゐるし、)
海峡を越えて行かうとしたら、(漆黒の闇のうつくしさ。)
私が波に落ち或は空になげられることがないだろうか。
それはないやうな因果連鎖になってゐる。
けれどももしとし子が夜過ぎて
どこかから私を呼んだなら
私はもちろん落ちて行く。
とし子が私を呼ぶといふことはない。
呼ぶ必要のないとこに居る。
(4行略)
もしそれがそうでなかったら
どうして私が一緒に行ってやらないだらう。
(以下略)