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梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

二宮尊徳像と炭焼き

2018-06-19 09:56:18 | 昭和の頃
二宮尊徳が道徳教育とともに又復活すると聞いた、
一方で尊徳像は富国強兵教育の為に作られた像で地域的には恩恵は有ったが教科書に載っている様な無かったとも聞く、
あの頃村には報徳社と言う建物もあり学校の校庭には薪を積んだ背負子をせおい、片手に本を持った二宮金次郎像が必ずあった、
家の仕事をしながらも勉学に励む像は勤勉努力のシンボルで何処かで先生からそんな話もあったのかもしれないが当時の子供達も親も正直鼻先で笑う像であった、
当時の小学生は低学年から家の仕事を手伝うのは当たり前で山から薪や炭俵を村におろすのは殆どの子供の仕事の一部だった、
道は杣道で並んでは歩けない、雨が降ると真ん中を流れるか何方か片側に水路が出来ている、そこには雑草が生えていて頗る足場が悪い道でありずっと坂道である、
第一片手に本を持てるような荷物で親が許す訳も無い、あんな姿勢で歩く事なぞあり得ない、
肩に食い込む紐を掌で前に押し出して、荷重の何割かを腰に掛けるために大きく前に腰を折って居るので視線は数歩前の路面しか見えない、
足場の悪い杣道は足を次に置く場所を視認していないと転倒してしまうのだ、
像の様な平らな道は先ずない、大体歩きながら本を読んだら目が悪くなると教わらなかったのか!
我家は農地を持たない農村の家だったので親父の仕事は樵と炭焼きで、炭はお袋がリヤカーで町まで売りに行く、これが少ない現金収入だった、
何方かと言えば特に貧しい家だったのでこれが標準ではないが他にもこの程度の家は各地域に何軒かあった、
我家は炭造りから小売りまで一家で完結させる、
先ず炭になりそうな雑木林を一山ぶんを買う、次にリヤカーが入れそうな道路から近い窪地に杣道を作り、雑木を切り払うと勾配のきつくなった所を半円形か火口になりそうな部分を残してΩ状に掘り込む、
次に壁になる様に1m程度の垂直に土を左官よろしく縁に沿って壁を作り、3尺程度にそろえて切った炭材を立て並べその上にドーム状になる様に短い気を並べて更に枝木を使ってお椀を伏せた様な形に整えるとその上に粘土を置いて行く、
火口の対角線に溝を切って土管を立てて煙突にして天井になる土が自然乾燥するとヒビを埋めて更に乾いたら火口から火をつける、
火を入れたら見える範囲が全て炎になったら火口に用意しておいた板状の石を立て廻りを粘土で塞ぐ、
この煙は家から見えて最初は暗くなると火の色も見え、やがて白い煙に変わりそれが薄い青になってくれば焼き上がりである、
火口の石蓋を外し温度が下がった処で取り出して窯の前に並べる、
ここから子供の仕事である、未だ熱い窯に入って炭を火口まで出す、高さが1m~1.2m程度だから大人より効率が良いのだ、
真っ暗で熱く、汗をかいた顔には炭の粉がついて真っ黒になりながら運ぶ、
親父は形に分けて積んで行き種類毎に炭俵に詰めて行く、
硬くて形の良い炭は四角の俵、細い丸のままの炭は丸い俵につめる、
炭俵も全部手作りで藁をなって縄を作るのも本体の萱も採って来たり貰って来たりで小屋で親父が作る、
リヤカーに乗せて街まで売りに行くのはお袋と私だった、まあ手伝いと言うより家に置いておけないので連れて行ったのだが、
そのリヤカーも無いので燐家のものを借りて自転車はないので街まで15Kmを引いて行く。
中学の頃調べたら標高は800m位違っていたので結構大変だっただろうな
帰りが登りだが空荷だが能天気な私は後ろに乗っていた気がする、
何時も買ってもらった手の形のクリームパンと羊羹が塗られたアンパンが楽しみだった、
丸俵は角俵より安い、「炭は要らんかね」と売り歩くのだが大抵お得意さんが買ってくれて売り残りは無かった気がする、
11歳の2月終わり頃、このリヤカーにお袋の亡骸をのせて親父が曳き自分は斜め後ろから押して同じ道をとぼとぼと帰った、あれから60年近く経つな

どうでもいい事を勝手に突っ込んで

2018-06-15 17:17:22 | 昭和の頃
朝コーヒーを淹れる時、時々メロディーが頭に流れてくる事が有る、
今回は「あんたがたどこさ、」と言う歌、民謡かと思ったが童謡らしい、
そう言えば伊東四朗さんがなんかでこの「あんたがたどこさ」というフレーズを使っていたがなんだったか?
Wikiで調べてみたら
「あんたがたどこさ 肥後さ
肥後どこさ 熊本さ
熊本どこさ せんばさ
せんばやまにはたぬきがおってさ
それを漁師がてっぽでうってさ
にてさ やいてさ 食ってさ
それをこの葉で ちょっとかぶせ」と言う歌詞だったが自分は最後の部分をどう言う訳か「おちゃのこさ~い、さい」と覚えていた、これが違うと言う事に今回初めて気が付いた、
この「お茶の子」もお茶漬けの事かと思ったらどうも「お茶につける小さなお菓子」の事らしい、
「にてさ、焼いてさ、ああ美味かったとさ、おちゃのこさ~いさい、」と覚えていたが此れではかなり無茶無茶だ、
もしかしたら子供達の先輩がふざけて変えたのをそのまま覚えたのかもしれない
子供心に「狸は美味いのか?」と「なんでその後お茶漬けに?」と思っていたのだが本当の歌詞は全く違っていた、まあ当たり前か、
この頃の子供が歌詞の理解なんかはこんなもんだろう、
良く言われるの「ウサギ美味し」の話だが元の歌詞も「うさぎ追いし」だったら大体野兎を追いかけるなんかはまず無理だよな
「みかんの花咲く丘」と言うのにも2番だったか3番に「・・・汽笛がボーとなりました」と言う歌詞が有るのだが(丘の上から遠くに船が見えるようなときには汽笛は鳴らさないんだがな、)と余計な事を考えていたが実際は「港の見える丘」と「みかんの花咲く丘」がごっちゃになっていて(港から見える船が真昼間見敵は鳴らさないだろう)と言う様な事を考えていたのだがかなり間違って覚えている、まあ晴天では鳴らさない事は同じだが、
高原列車に花束は投げないだろうと言うのは前に書いたがどうも私はどうも性格がひねくれているようだが、決して人には言わない、言ったら嫌われるし恐らく自分でも聞いたら気分を悪くする、そう言う意味ではブログと言う奴は勝手にかけるから溜飲が下がる、
今の季節だとトイレで雨音を聞いていると(別にトイレでなくともいいんだが)
「雨がふるふる、城ヶ島の磯に、利久燕の雨が降る、」と言う歌や
「雨が降ります雨が降る、
遊びに行きたし傘は無し
紅緒のかっこの緒が切れた」
なんかが浮かんでくる、
「あめあめふれふれ母さんがじゃの目でお迎え楽しいな」
何てのも思い出した
小さな子供と雨の音、情緒を感じるのはやはり昭和の人間か、
第一この画が浮かんでくるのはもう少ないだろうな
降る雪や明治は遠くなりにけりだが
降る雨や昭和も遠くなりにけり、か

耳の後ろを洗う

2018-06-12 11:48:15 | 昭和の頃
シャワーを浴びる時、先ず耳の後ろを洗う、
シャンプーをする前にまず左右の耳の後ろを良く洗う、
まるで儀式の様に無意識に洗ってからシャワーを浴びる
いつ頃からか、思い出してみると物心ついた頃、一人で風呂に入るころからこうしている、
未だ本当に幼い頃、お袋と一緒に風呂に入っていた時お袋が必ず耳の後ろを真っ先に洗っていた、
「ここを良く洗ってから」と手拭に石鹸をつけて耳の後ろを洗ってから丸刈りの頭にも石鹸をこすり付けて泡立てて洗ってくれた、
あの頃一般的にシャンプーなんどは無く固形石鹸で洗う、
固形石鹸も化粧石鹸と洗濯石鹸と言う分類が有って体を洗うのは化粧石鹸と言う(当たり前か)
固形石鹸は「ミヨシ」と言うかなり大きな堅い石鹸で煉瓦を三等分して更に薄くした程度の物だった、
盥に水を張って洗濯板と言う奴に擦り付けながら揉み洗いをする、
洗い終えた分をしぼって脇に置き、一通り洗い終えると汚れた水を捨てて新しい水を張って濯ぐ、
水道は無かったのでブリキの雑巾バケツに井戸から組んで来た水を何度も取り換えて濯ぐ、
化粧石鹸は「ミツワ石鹸」と「牛乳石鹸」のどちらかだった、何方もいい匂いがするが未だに売っているのは凄いな、
我が家の風呂は木の風呂桶に鋳鉄の直径が30cm位で奥行きが5~60cm位の窯が取り付けてある、「臍窯」と言う奴だ、
この中に薪をくべて沸かすのだが大人と子供が入れるくらいの大きさの桶を適温まで沸かすには1時間以上が掛かった、
小学校に入るとこの作業は私の日課になった、
焚き付けの材料は立ち枯れの樹を適当な長さに切って手斧で割った薪を使うが最初火をつけるのには杉の枯れ枝を使う、
洗い場は無い、風呂に入ってその中で体を洗うのだからあっという間に湯は汚れてしまう、
しかし雑巾バケツで風呂桶を一杯にするのは大変な労力なので2回湯や3回湯もある、、
今考えるととてもじゃないが入る気にはなれるもんじゃないが当時はそれが当たり前だったので気にはならなかった、
村の殆どは農家なので家の1/4位は土間である、家を入り口から裏口まで土間は貫通していて大抵の家は左手突き当りが勝手で手前の右に風呂が有った、
土間にセメントで風呂桶と洗い場がついていてタイルが引いてある五右衛門風呂が標準で臍窯の木桶風呂も幾つかあった、
あれから既に60年近くが過ぎてほゞシャワーのみの生活になっているがやはり先ず耳の後ろをしっかり洗ってから始める、
石鹸もボディーシャンプーと言う奴になったのだが私としてはやはり固形石鹸が好きだ、
木綿の手拭はタオルになり、さらに体を洗うのは垢すりと言う奴になった、
バスタオルは使わない、タオルを思い切り搾りきり何度も体を拭う、
バスタオルを使わないのには特に理由が無いのだがどうも固く搾ったタオルで拭かないと終わった気がしない、
たまにビジネスホテルに泊まった時も結局使わないでいる、


荒廃した社会でまた無差別殺人が

2018-06-10 07:35:31 | 雑記
また無差別殺人が起きた、今度は新幹線の中だった、
秋葉原事件から10年の節目で新聞や報道で話題になっていたのだがそれが引き金になったのか、
悲惨な事件が続くが今の若者は共感するという記事もある、
SNS上だけの話ではあるが表に出さない鬱屈したこう言う層がちょっとしたきっかけで爆発してしまうのだろうか、
若者の層と言うにはその年齢層は広がりさらに「暴走老人」と言われる年齢層も出てきている、
犯罪の罰は犯罪者の将来を拘束しあるいは生殺与奪による抑止効果を期待しているのだろうが犯罪者が生きることに絶望し将来の夢を喪失している状況ではその抑止効果は期待できまい、
荒廃してしまった日本の社会は何時頃からこんなになってしまったのか、
一つには小泉首相時代に「市場原理主義」と言う新自由主義経済の行き過ぎた解放と自己責任論で社会のセーフティネット喪失により取り残された者達がそこから抜け出せない絶望感から自暴自棄になったと言う意見がある、
しかし現在の政財官は更にそれを突き進めている、小泉政権ではあくまで「自由市場」を開放してという事で政財官が結託いて国家財を搾取したり世論を無視したりはしていなかった、
人間の問題としては一方通行的なコミュニケーションの蔓延により意見の擦り合わせが出来ない若年層がそのまま社会に出て意思の疎通が確立できず引きこもってしまうという問題もある、
生きることの循環、命の継承という社会の根本が崩れてきている、この事をもっと真剣に考えなければなるまい、
生物界では弱者である「裸の猿」が樹上から降りてこれだけ地球に君臨したのはその知恵によるがそ一番重要な知恵は「共同して生きる」と言う社会性の力だろう、
幾つもの社会が生まれそこには上下関係もヒエラルキーも生まれてきたが強者が弱者を保護するという共同体が離合集散を繰り返し徐々に生物界に力を広げてきたのだろう、
この生き方は弱い動物界では当たり前のように存在する、草食動物の群れは大抵そうして生き残ってきた、
強い個体がリーダーとして優先権を持つのは群れを守る個体として許されるだろうが群れが維持できないまで独占することはない、
しかし人間は「貯める」という知恵を持った、それは自然界の不安定さから群れを守る事に大きな効力を発揮したがその知恵ゆえに独裁と言う弊害をももたらした、
それでも人はその歴史の中で独裁が社会に与える弊害を理解し排除してきた、
今起きていいる社会の荒廃は階層社会の弊害であり、起こるべくして起きた現象だろうと思う、
若者に希望と夢を、今彼らが「老害」と言う年齢層にすらたどり着けそうもないという社会をを何んかしなければならない、
有るところから無いところへ、リセットができなければ電源を切るしかない、爆発する犯罪者は自らの電源を切ってしまったのか
子に生命の継承を伝え続けるのが動物の親の義務だが将来を想像できるという知恵の為それが出来ない社会になってきた

痛ましい事件だ、僅か5歳で苦しみだけの命を絶たれた

2018-06-07 10:54:24 | 雑記
わずか5歳の少女が虐待とネグレクトで亡くなった、全く想像がつかない事件だ、
どうして日本人はこんな風になってしまったのだろうか、
東京新聞で無差別殺人を検証している、
秋葉原事件を中心に置いてその後頻発している「人を殺してみたかった」と言う動機で通りすがりどころか繁華な所まで出かけて無差別に殺戮する、
生み落とした子供を虐待し、食事すら与えず衰弱して死んでゆくのを見ている、
根っこは同じ様な所かもしれない
無差別殺人の犯人、ネットで彼らを英雄視しシンパシーを持つ連中も「世の中が面白くない、この後もどうせ良くはならない」と言う、
社会の格差は階層になりカースト様になっている、
封建時代の身分制度「士農工商」も絶対に抜け出せないと言う事は名前だけで今よりは良かったような気がする、
現在の最下層の人達はあまりに厳しい状況にある、
大学を卒業しても初任給は20万に満たない、非正規に落ちると年収が200万を切ると言う、
何の希望もなく生まれ、望める成長も無く生きていかなければならない、
政治と言うのはこういう社会を何とかするのが責任だろう、
しかしやっている事は自分達の地位と収入の確立と更にの上昇だ、
「美しい日本」を標榜するなら先ず社会の荒廃を、人間の心の荒廃を救わなければならない、
荒廃した人間社会は絶対に美しくはない、その上に君臨する輩は更に醜い、
少子化は社会基盤の減衰につながって来る、しかし産んでも育てる事があまりに難しい、
「この子達が生きて行っても苦しいだけで良い生活は望めない」なら子供を産む事も躊躇するのは当然だ、
ネグレクトも虐待も「産もう」として作ったわけではなくさかりの付いた野良犬が産み落として捨てて行くだけの行為の結果だろう、
教育委員会で「性教育は徒に興味をあおる」と言って性教育を止めさせると言う、
自分の事を思い出すがいい、正式に教育を受けないから「興味と本能」で進んでしまう、
立派なはずの教師の破廉恥罪犯が多いのを見るが良い、
教育をしないからこそ望まぬ子ども達が生まれ責任もとれない親が出来る
格差の是正だけで済む話ではないかもしれないが少なくとも日本人が胸を張って生きる事の出来る社会が必要だ