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梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

酒場遍歴記 さわの3

2017-06-12 12:56:36 | 昭和の頃
何年か通っているうちに常連客で何処かに旅行に行こうと言う話になった事が有る、ママと店の女の子、常連が10人位だったか?袋田温泉に行こうと言う事になった、
未だ常磐自動車道は無かったころで恐らく水戸街道を言ったのだろうと思う、
各々自分の車で現地に向かう事にした、同行する車が多くなるとどうしても危険になるし運転ストレスも多くなるので大抵こういう時は現地のわかりやすい処で待ち合わせる事にしていた
未だ当然携帯電話なんぞは無いので万が一は予約した旅館を最終目的地にして向かうが折角なので有名な袋田の滝駐車場を待ち合わせ場所にして集合、滝の意見額は早々に旅館に行き明るいうちから飲み始める、駐車場の近くの売店と食堂と一緒になった木造の2階建ての古い建物ですぐ脇を川が流れていた、夕方から飲み始め気心の知れた連中なので延々と飲む、
ママさんもここでは客の独りだからと気を許して飲んでいるが流石に強い、私も自慢にならないが結構酒は強く宴会場から三々五々と部屋に引き上げて行き最後に残ったのはママと自分だけ
何お話をしていたかは全く覚えていないが何か話が合って飲んでいたのだが気が付くと深夜を過ぎている、「そろそろ寝ましょうか」と立って「寝る前に風呂にでも行ってくるか、ママも行くかい?」と言ってみたら「いいよ」と返って来た、軽い冗談と言うか流れで言ったので思いもよらなかった、「おっと、冗談々」と言ったら「なんだい、だらしない」とやられた
「みんなにばれたら殺されるよ、大体お見せできるほどの物でもないし」と言ったら「私だってみたかないよそんなもん」と言う事で結局自分だけ風呂に入って寝たのだが後で考えるともったいない事をしたか、
まあ、あの年で年上の女性と深夜に風呂に入ったら確かに厄介棒を隠すのに大変だったろうし酔っぱらった血圧にもよろしくなかっただろうがその後飲みに行く度に惜しい事をしたなと思ったものである、
この店はその後友人を連れて行った時に酔っぱらった友人がかなり勢いを吹いてしまって帰った後酔ったママが自分にその友人の事を悪し様に言われ「まあ、言いう事は十分わかるが友人の事を一緒になって悪く言うのも嫌だから勘弁してくれ」と言ったら「なんだい!意気がりゃがって、とっとと帰れ、二度と来るな」と言われれから本当に二度と行かなかった、
その後バス停に居るママと眼があったがなんとも複雑な顔をしていた、何もなかったのも含めて中々いろんなことがあった、其処の娘が私のアパートに転がり込んだのはその後だった、

土曜日に新宿のオペラシティに仕事に行ったら一階のエントランス広場で何かやっている、どうやら前衛パフォーマンスらしい、全身白塗りで白い褌の様なものを締めて女性用の和服様なものを羽織ってリズムに合わせてパフォーマンスをしている、タブレットで写したので距離は遠いが入れて置きました、



酒場遍歴記 さわの2 今風に言えばタイマン

2017-06-09 10:27:50 | 昭和の頃
「さわ」の常連に「キクチ」さんと言う客がいた、ダンプの運転手でこの辺りでは喧嘩が強いと有名な男だがどうやらママに岡惚れらしい、こういうタイプなので言葉は乱暴だが誰が見ても分かる、
流石にママさんは上手に転がしているのだが暗い処で見てもかなり年上でご亭主は堅いサラリーマンらしい、何回か店に顔を出したところを見たが眼鏡をした銀行マンの様な人で(なんでこんな組み合わせ)と思ったものだが、そのころは小学生の兄弟が居たので40前後、かれは30くらいか、毎日なんだかんだと開店から閉店までカウンターの隅っこで飲んでいた、
一度「女だけの店はおかしな奴が来るからな」と用心棒を自任しているらしい、それはママも否定しなかった、何しろ彼はこの辺りでは評判の男で気風もよくそれこそ強きをくじき弱気を助けると言った古風の男だった、無論すっ気質である、
しかしその評判が気に入らないと言う輩も居るらしくある日勢いよく入って来た二人組の男達が菊池さんに顔をくっつけて何か言っている、
どうやら「でかい面が気に入らない、どっちが上か決着をつけよう」と言う事らしい、
隣は交番なんだがママはかなりの物で「キクチさん、店でやられちゃ困るからやるならそとでやって」と言う、
「解った」と彼は普段と変わらない表情で裏のドアから外に出る、裏は畑をつぶした駐車場で人影はない、
出際に自分に「悪いが立会人になってくれ」と言うので私も着いて出た、
彼は名前を聞いてから「これからやる事は恨みっこ無し、獲物無しで良いな」と右手を出し握手をする、一旦別れたらそれからは本当にあっと言う間だった、どう言う形でそうなったかほとんど覚えていないが1分も経たないで相手は鼻血を出し、腹を押さえてうずくまっていた、
一緒に来た男と其処において店に戻るとママが黙ってビールを差し出しそれを一気に飲んでからおしぼりで手を拭いた、「悪かったな」と言いながら両手を差し出して見せたがその手の震えは暫くおさまらなかったようだ、やはり「何事もなかったように」とはいかないのだろう、真剣なやり取りでもしかしたら畑に転がっていたのは彼かも知れないのだから、
どう言う訳か私はこの手の連中に好かれる、見るからに喧嘩は弱そうな男だが彼らを怖がらないのがいいのかも知れない、実はそれには理由があるのだがそんなことは無論話して居ない、今までも筋の親分も中には警視庁一課の偉いさん(課長ではなかったと思う)などと付合いが出来たが一緒に酒を飲むだけで互いにプライベートの事は話さないのが良かったのか大抵「あんたみたいに普通に接してくれる奴は居ないんでね」と必ず言われる、
キクチ氏との会話も彼の田舎が岩手県の千厩と言う処だと言う話がきっかけで「せんまやと読める奴はあまり居ない」と言う話から田舎の話などしているうちに顔を合わせると世間話をするようになったのだ、
一課のデカさんと大森のやくざは又別の店の話、その内に書居てみよう

酒場遍歴記 さわ

2017-06-08 11:49:08 | 雑記
時間は少しさかのぼるが一時川崎に住んでいた時が有る、引っ越した時に若い方のK氏が泊りがてら遊びに来た、
男二人でアパートで飲むのも芸がない、近くの飲み屋を探して飲むことにする、
川崎は中原区、多摩川と川崎街道に挟まれた所は南武線の中原と武蔵新城の駅からほゞ同程度の距離で何もない、「駅まで結構あるな」と歩き出したら交番のすぐ後ろに行燈が出ている、紫の行燈はひらがなで「さわ」とだけ書いてある、入ってみたらちょっと昔のバーと言うか少々つくりの凝ったスナック風だった、
奥行きがあり入り口を入ると一段下がった左側スペースにゆったりとしたソファのボックスが1セット、右側に同じ様な臙脂のビロード風のボックスが3つ、左半分はカウンターになっている、
和服のママさんと若い女の子が二人いた、K氏はこの手の店が大好きである、実は対して酒は飲めないのだがとにかく金が有ると飲みに行く、
その分女の子の受けは実にいい、そのままこの店が新しい住まいの行き付けとなった、
週末はその店に居る事がになった、時々はK氏とM氏、全く下戸のS氏も来て騒いで我が家で寝ると言う時期が続く。
だがみんなが来る事よりK氏が来る事の方が多くその内彼が店の女の子二人に「店がはねたらアパートに来いよ、」と言う話をつけた、
閉店間際に勘定を済ませてアパートに戻ると暫くして「こんばんは~」とやって来た、
確か19歳と20歳、そのまま飲み続け二組になって別々の部屋に寝る、別々と言っても襖一枚で何をしているか筒抜けである、若気の行ったり来たりだ、
それからも知らん顔で飲みに行っていたが結構割り切った子達で顔にも態度にも全く出さない、と言うより何にも気にしていない様だ、
ママさんも全く気が付いていなかったらしい事はまた次の機会で
私の相手をした娘は19歳の方でその後しばらくしたらさわをやめてしまったのだが「取りあえず寝る所がないから」と私のアパーとに転がり込んでそこから別の店に行っていた、
自分は昼間の仕事なので出て行くときはまだ寝ていて帰って来ると勤めに行って居ない、
3ヵ月位したら居なくなったが最後まで新しい店は聞かなかったし言わなかった、
現金のある家ではないので鍵を渡していたがポストに入れて消えていたのだが、その後一度休みの日に寝ていたら「少しお金貸して」と来たことがある、自分は27~8の頃だったかな、もういい歳だ、どうしているんだろうな

酒場遍歴記 おうちゃんの処

2017-06-07 09:20:29 | 昭和の頃
一番の飲み友のMさんが結婚してからはスナック通いは終了し、夕飯と兼ねた晩酌はよっちゃんの処から少し離れた「中野」と言う店に替わる、例によって呼び名は亭主の「おうちゃん処、
ここも飲みの大先輩K氏の紹介で時々飲みに行っていたのだがこの頃から此処が行きつけになる、
バス通りから一本入った処にある目立たない小料理屋と言う体の店はオールカウンタ―で8人程度でほぼ満席になる、
入り口は全体がガラスの引き戸でカウンターは入り口に沿って6~7人程度座れる、右手に曲がった分が3人座るとちょっと狭いかと言う位でそこが空いている限りは定席にしていた、
白木で良く手が入っている一枚板のカウンターの中に居る店主は小柄で柔和な笑顔の亭主で無口だが愛想が良い、「らっしゃい!」から「今日はこんなのが入ってるよ」程度の会話は此方から声を掛けない限り放っておいてくれる、
客層も大体顔見知りがが「どうも」か軽い会釈程度で客同士の会話も程よい距離で何をしている人かなどと言う無粋な会話は無い、
自分で言えば定席を分け合う事の多かった年配の女性と世間話をする位だが彼女の苗字も仕事も知らなかった、マスターも含めて客の顔は知っていてもおそらく愛称しか知らないんじゃないかと言う店だった、
料理も作り置きの煮物以外は刺身も揚げ物も注文してから調理して出してくれる、材料を見て勝手なことを言っても「あいよ」と作ってくれた、端っこを試食して気に入ると「いけるね」とか「こりゃ俺にゃ駄目だ」と言う様な店だった、常連が見ていて「俺にも作って」となって何となくメニューになったものもあった、
大抵は今では当たり前にあるものも当時は無かったものもある、まあ異論もあるだろうからここでは控えよう、
冷やしトマトを頼んだついでに生のピーマンを細切りにして味噌を添えて出してもらい
赤刺しと青刺しと言う呼び方をしていたらいつの間にか結構色んな客が頼んでいた、
その頃付き合い始めていた今の女房と週末飲みに行く事が多くなったのだがこいつがまた悪い冗談をやる、
メニューに天婦羅が有るのだが誰か注文するとわざわざ暫く時間をおいて「マスター、野菜の天ぷらをお願い」と頼む、それが毎回と言う位誰かが頼んだら時間をおいて頼む
無論私にはこっそりと「もう少し油が冷えたら」と言っていたのだがそのうち流石に亭主も気が付いた「もしかしたら油が下がったのを待って頼んでるだろ」と笑って言われ「解った?」と笑って居たがこんな悪戯が多い
4年位通った所で「一度やりたかった」と言うクラブ形式の店を蒲田駅近くで開店したが彼の性格ではやはり若い女の子を使いこなすことは出来なかったのだろう、1年ももたず閉店してしまいその後は解らない、
あのまま続けてくれたらなと言っているが今ではああ言う店は無くなってしまった

酒場遍歴記 よっちゃんの処で

2017-06-06 09:48:41 | 昭和の頃
酒の飲み方は基本的に家のみである、飲み始めた時は日立製作所の職工だったので金があまりなかった事と二十歳そこそこでは一人で行くには飲み屋の敷居は少し高かったこともある。
やはりぶらりと暖簾をくぐると言うのはそこそこの年にならないと中々様にならないし入りにくい物である、
日立をやめてルート営業の仕事に着いた時に所得は職工時代の倍になったが原則日曜が仕事なので友人と週末と言う事もなく飲むのは帰宅してからTVを見たり音楽を聴いての独り飲みだった、
その頃行きつけの喫茶店でカウンターの隣に座る常連と話をするようになりそのながれで近くの飲み屋に行く様になったのがきっかけで所帯を持つまでの10年強は行きつけと言う飲み屋がいくつかできた、
最盛期は友人と毎日いくつかの店を定期的に飲み歩いた、その日の気分だが何となく曜日で行く店が決まっている、しかし必ず最初に「勢いづけ」と言って通った店が有る
名前は「ととき」もしかしたら「どどき」だったかもしれないが坊主頭の店主が一人できりまわしていてその人柄で親しまれて通称「よっちゃんのとこ」で通じた。
銭湯の入り口角に間借りした体でカウンターと小上がりだけの店で15人は入れないか、
もつ焼きが主で煮込みと漬物、干物魚の焼いたやつ程度で飲み物は定番のホッピー、いつ行っても殆ど満員で開店時間に確保しないと座れなかった、
この時代アパートは木造でまず風呂はついていない、仕事を終えてひとっぷろ浴びて下足を履き寺の入り口の様な出口を出るといい匂いと雑然とした空気につい引っかかってしまうと言う段取りだ、
だから結構奥さんや小さな子供も座っている事が多いがこの客は8時頃には捌けてしまいその後は常連の溜まり場になる、
ガラスの引き戸を開けると左手がカウンターで開店祝いに貰ったと言う大きな招き猫が置いてある、そのすぐ下が焼き台だがこの店はガスを使わないので大きな渋団扇で火をあおる度灰が舞い上がり招き猫の頭から上げた手に灰が積もる、「開店から一度も掃除していない」と言う招き猫は綿帽子を被りひげから優曇華の花の様な灰をぶら下げている、
大きな串焼きのもつ、味噌味の煮込みが人気だが小鉢で供される「茹でコブクロ」が私のお気に入りで必ず食べたのだが他の店では見た事は無いな、
ざっと茹で上げて恐らくいったん水に取って冷ましたものに小口に切った白ネギを乗せただけだが千切りのニンニクを乗せて生醤油をかける、これを口取りにして焼きトンを食べながらホッピーを2~3杯のんで勢いをつけて当時あちこちにあった「スナック」と言う女の子が居る店に向かう、本来スナックは女性が席に着くのは違法なんだが大抵隣に座って接客する、野郎どもはそれを楽しみに行くのだ、
ボトルは大抵「オールド」だがこれも少し前は高根の花だった、どの位だったか覚えていないが月曜から土曜日まで毎日飲みに行っても取りあえず給料が持ったのだからそれほど高くはない、それでもアルコールは先にホッピーで勢いをつけたのだから「よっちゃん」の価格は押して知るべしである、
このスケジュールに付き合っていたのは私より6歳上のMさん、スポーツマンで町内の少年野球チームの監督で彼は金型職人である、さわやかで誰からも好かれる好青年、
このスケジュールに所々に入って来るのみ友達が後数人、本当は毎日付き合いたいのだが職業がタクシーなので開け番の時だけになるのはKさん、彼が中までは一番若い
もう一人はKoさんで年齢は私より10歳くらい上だったと思うが彼はあまりスナックには行かず他の焼鳥屋や小料理屋に誘ってくれた酒の大先輩である
酒は殆ど飲まないが行くのが好きだとスナックの方だけに来ていたSさん、そして特が付く音痴のSさん、あれからかれこれ40年が経つ、
一昨年かふと思い出してよっちゃんの店を覗いてみたら若い店主になっていた、聞いたら彼は彼の息子らしい「父は3年前に亡くなって」と言う、私が知っている限り当時彼には子供が居なかったのだから時は経ったものだ、
昔の悪童たちに「連絡したら亡くなっていたってのもシャレにならないから」と年連絡を取って熱海に言って来た、
これからは出来るだけ年に一二度は会おうと言ってはいるんだが中々、また声を掛けてみようか