梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

家紋

2011-03-02 08:41:44 | 雑記
別に墓を見るのが好きな訳ではないが神社仏閣を見るのが好きなので序に墓地を覗く事が多くなる、興味を持って見るのは先ず替わった苗字だがここに書くのは拙いかとも思うので家紋の話。
我家は左二つ巴であるが家系の本を見ると右二つも使われていたらしい、一説には不祝儀用の裏紋だと言う説も有るが通常は左である、図は陰だが本当は白黒が反対



母親の方は揚羽蝶、此れは平家の紋らしいが出自は足利だからおかしくな無い、が尊氏は平家だったっけ



女房の記憶では違い鷹の羽だったと言うが墓の家紋は剣片喰だった、



どうやら母方の紋だったのだろう、昔は嫁いだ時に実家の門の入った紋付を持たせたのでその記憶からだったのだろうが聞いた時女房は興味が無かった為母に聞いたのかもしれない、此れだと我家と女房で忠臣蔵だが残念ながら違う様だ、



此れを墓地で見て歩くと実に色々有るが最近はネットで簡単に出て来るので余り積極的に見て歩く事は無くなったが寄るとつい見てしまう。
近くの本門寺は寺暦が長いし日蓮宗では本山の一つだ、徳川の庇護もあり色んな人の墓がある、前田利家の母方の墓が有るがあまり綺麗にはしてない、有名人ではやはり受けが良いのだろう、力道山の墓が案内に有るが此れも今では知る人も少ないのではないか、政治家の大野伴陸の墓も大きな虎の石造で目立っている、
都内で一番古い五重塔が有ってその側には幸田露伴の墓も有るが此れもごく普通のままで墓表を見ないと解からない、
五重塔の裏側に朽ち果てた様な墓石が十数基向かい合って立てられているが此処に「熊本県人会」が肥後の人きり彦斎事川上彦斎の墓も有る。此れもそろそろ墓地収用法の立て札が立ちそうだ、
もう少し整理してくれるとそれなりに人は来そうな気もするが本来寺はそう言う物でもないのだろう、
しかし歴史の碑の様な物だからそれだけでも何とかして欲しいとは思う。


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