梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

世田谷付近を

2010-10-13 11:22:30 | ぶらり
月曜日、世田谷線に乗って見ようと出かける事にした、若林から先ず松蔭神社を目指す、竜馬伝のせいでもっと込んでいるかと思ったが閑散としていた、安政の大獄で死んでから一旦処刑場にあった遺骸を此処に葬り直したと言う、萩にあった松下村塾が有ったが移築したのか新たに建てたのかを見損ねて来たがかなり小さな建物であそこから幕末の志士をあれだけ輩出したのは吉田松陰と言う人物の傑出した才気はすごい物なんだろうな、世田谷線に乗らず此処から歩いて世田谷城址に向かう、並木の綺麗な道路は商店街でもなく住宅街でもない変わった雰囲気の道だ、途中から「烏川通り」と書かれた細い公園を歩く、多分暗渠の上だろう、暫くして右手に小高い丘が鬱蒼とした樹を乗せて見えてくる、上がってみるとかなり狭い、中程に空堀の後が有ったがそれらしき風景は無い、確か九品仏に有った鷺草の伝説はこの城のお姫様の話だったと思ったが今ではその面影は無い、城址を過ぎて直ぐに豪徳寺の入口に着く、参道は樹齢の長けた並木になっている、山門までは欅ではないかと思うが寺内に入るとやはり松が多い、本堂のまん前に大きな香炉があるのが珍しい、左手には三重塔があってその先を左に曲がると突き当りが井伊家の墓地である、かなり広い敷地に歴史上一番有名になった井伊直弼の墓がある、井伊家はその昔遠州の井伊の谷と言う所から家康に従って江戸に来たと聞いていたので自分には少し馴染みがある、井伊直弼といえば安政の大獄を発令指揮した張本人である、彼によって吉田松陰は獄死した訳だが死んでから居る場所があれだけ近いのは歴史の皮肉なのかとも思う、時間は4時前もう少し廻ろうかと上町駅に向かって歩いてゆくと住宅街の中を通る城山通りと言う道にウッドデッキのある店があったので此処に入って休憩する、少し暑い日では有ったが風が気持ちよくゆっくりと休んでから世田谷線に乗って若林まで戻る、線路は家の軒すれすれを走っていて江ノ電にも似ている、この線路の廻りには随分デッキのある店が多い、今度は寄ってみようかと思いながら帰ってきた


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