梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

朝鮮人虐殺事件の流言飛語と良心の呵責

2020-11-16 10:55:23 | 雑記
先日東京新聞で関東大震災時の朝鮮人虐殺の記憶と言う記事を読んだ、
ある程度この事件の話は知ってはいたが改めて読んでみて少し検索をしてみた
どうしてこんな事が起きたのか自分なりに思っていたことがあるが調べてみるとそんな生易しい事ではない様だ、
朝日新聞や他の新聞が報道し内務省まで戒厳令的な発令までしている、
寺田寅彦氏は「東京全部の井戸に毒を入れるなんてできるわけはない、一体何トンの毒がると思うのだ、」としたし志賀直哉氏も「信じられない」と言っていたがそういう冷静な意見は少数で黙殺されたという、
大量の朝鮮人(この言い方はあまり好きではない)が流入し劣悪な労働条件で働かされ、日本人の低賃金労働者の職を奪っているという社会状況から反乱的な事件もあったせいもあるだろうと書かれていた、
流言飛語と言う事は震災の様な災害で社会基盤が一時的に麻痺した時起きるが原因は「不安と恐怖」である、
震災時におきる「不安と恐怖」は一番に考えられるのは「余震」であり火災等でそれがある程度おさまったとしたら衣食住の不安だろう、
これは被害を受けた人間を等しく襲う、隣人が何人かとの前にこの不安がある筈なのに同じ被害を受け更に他国の不安定な状況の人間が自分の生き残りにも影響の出るようなことをするわけもない事は少し冷静に考えればわかる事だ、
しかし実際はだれが流したのかわからないこんな荒唐無稽な話を多くの人が信じ、政府機関から新聞まで信じ込み、挙句の果てに無差別の殺戮まで起こしている、
恐らく当時の日本人には「朝鮮人に復讐されるのではないか」と言う「不安と恐怖」が内在していたのではないか、
常日頃から「自分たち(日本人)は朝鮮の人達に全く理不尽な事を押し付けている」と言いう自覚があったという事に他ならない、
だから、安全優位な自分の足元が天災で一気に崩れた時に隣にいる朝鮮人の怨念が噴き出すのではないかと恐れたのだろう、
そしてそれが当時の殆どの日本人が意識下にあり恐怖が連鎖的に広がったのだろう、
私は逆説的ではあるが当時の人達が常に(理不尽の事をやっている、人としてしてはいけない事をやっている)と言う意識は持っていたという事なら若干の救いを感じる、
中世ヨーロッパの農奴に対するものは恐らくこんな良心の呵責なんぞはあるまいからこんな恐怖は持たなかっただろう、
しかしそれでも実際にはその“理不尽な“状況はやむことはなく、溜まった良心の呵責は恐怖に置き換えられて悍ましい事件となってしまったのではないだろうか
何故“これはおかしい”と思いながら庶民レベルで続けて行ったのは恐らく日本人の「出る杭は打たれる」と言う諺に代表される型意識のせいだろう
例えそう思ってもそれを口にすれば変人として或いは危険思想分子として扱われ自分だけでなく家族全体がその集落からはじき出されてしまうという恐怖のせいだろう
この庶民感覚は今でも衰えることも無く幼時から浸透しそれが学校での虐めの原因になり重度化の原因でもあり温床にもなっている
学校と言う閉鎖空間から卒業すれば主体であった人間は全く忘れて社会に出て行くが被害者だったものはその怯えが結局社会的不適合を植え付けている事はあるだろう、
戻ろう、此の虐殺事件の記憶がある年齢は事実を受け止めて反省と謝罪を表明しているが現実の記憶のない人の一部は「無かった」とまで言う、
当時生きていた人が「有った事」だと言うのにその時に生まれていなかった人が「無かった」と言うのはあまりに誠意がないし歴史と言う事の認識がない
日本人として以前に社会的人間として恥ずべきことだと私は思う

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