梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

子を育てると言う事は「人間」を作り上げると言う事だ

2017-02-21 10:30:46 | 雑記
タレントが苛めについて「教師とか教育委員会とかの責任を追及する記事が多いが悪いのは本人と親の事は間違いない、なぜ苛めをしていた本人の責任を追及しないのだ」と言ったと言う記事があった、
まさしく正論だと思う、陰湿な苛めで自殺者が出ても「学校の対応が悪い」「教育委員会が苛めでは無いと発言している」とかは出ているのだが集団で苛めをしていた子供の事は全く出ていない、「将来のある子供だから」「本人は反省しているから」とでもいうのかも知れないがこの対応が結局これだけ悲惨な状況にあっても一向に減らないどころか更に増えているのが現状だろう、中には送検されたと言う記事も散見するが殆どは加害者のその後は出ていない、
「遊びだ」と言う言い訳は彼らの中では正当化されている、被害者が死を考えるほど苦しんでいるのを加害者は「遊び」だと言う、被害者が悲しみ苦しむのが遊びの目的なら死に追い込むのは究極の遊び、楽しみであり目的である、
こう言う思考法がなぜ起きるのか、そこには当然その育った環境が大いに影響している相手が苦しむのを楽しいなどと言う幼児は居まい、海外の調査では2~3歳の幼児は困っている或いは泣いている同年齢か下の子供に慰めたりプレゼントしたりする行動がみられると言う、
育てた両親には「そんな子供に育てた覚えはない」と言うだろうがそんな子供に育ったと言う事が間違いないから我が子は加害者になっている、「覚え」が無ければよく反省しどうしてそう育ったのか必死で考えなければならない、そして被害者に誠心誠意謝罪し、同時に加害者である我が子に自らがおこした罪を理解させ、その罰をおわせる必要がある、
子供の成長は親の責任であり社会の影響があるとしてもそれを全身全霊をもって守らなければならないだろう、
確かに今の世の中は格差が大きくなり殆どの家庭環境は努力が報われる可能性がなくなっているがそれを嘆き、世を拗ねていても何にもならない、子供達にそれを言ったら世を拗ね、不満を社会や他人の責任にするか、格差上部の人間は恐らくその親が持つ他人を見下す人間に育つ、「人の不幸は蜜の味」は戒めとしてその愚かさを自らに禁ずる様に育てなければならないだろう、
苛めは必ず加害者が居る、そして他人に害を加えると言う事は犯罪であると言う事、人として恥ずべき事だと言う事は学校に行く前に痛みの様に教えなければならない、
それは当然親の責任なのだ、子供を育てるのではない、人間を育てているのだと言う事を肝に銘じて子育てをして貰いたいものだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿