梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

月夜の陰踏み

2012-10-02 17:46:32 | 雑記
今年の中秋の名月は見事に台風が直撃した、東京で生活を始めてから月を眺めると言う事はあまり無い、そう言えば去年の暮れ新橋で仕事の待合わせをしていたら汐留のビルの間に満月が上がった事が有るがあの時位か、
子供の頃は「月明かり」と言う言葉通りに夜を明るく照らしていた、青白い光で当然電灯に比するべくも無いのだが感覚的には随分明るく感じるものだった、
月がきれいに光っていると子供達は「影踏み」遊びをする、夜なので遠くに出かける事は無いので大抵兄弟かすぐ近くの子供どおしの遊びだが記憶の中で鮮やかな絵となって思い出される。
山村の夜は本当に暗い、月の無い夜は殆ど漆黒である、何かの具合で暗闇を明かり無しで歩く時は本当に道路から踏み外す事もある、大抵歩きなれた道路なので何とか山陰や点在する家の明かりで見当は付くのだがいざ我が家に入る小道になるとどのあたりで曲がるのかが意外と解らない、
県道と我が家の間には幅1mにも満たない水路が有る、深さも僅かだが此処に掛けてある土橋の幅は50cm程度しかない、家はこの土橋を渡るとそのまま狭い登りになるが冬場には家の雨戸は立て回しているので中々検討が付け難い、両親も兄弟も何度かはこの水路に足を落としている、
昭和30年前の頃の話である、外出の明かりは未だ提灯が現役で懐中電灯などと言う物は殆どの家庭には無かった、有っても電池は4里も離れた町に出ないと売っていないので余り役には立たない、子供は缶詰の空き缶で蝋燭のカンテラを作って遊んで居たが此れが結構役に立つ、
漫画や映画の捕り物で使うような奴を作るのだがこれだと入る蝋燭がかなり短くなってしまうのでドライミルクの空き缶の横に穴を開けて手を付けた物が主になる、
此れをぶら下げると蝋燭の炎で手が厚くなるので提灯よろしく竹ざおの先に取り付けて歩く、
中学の頃やっと懐中電灯を使うようになったが今考えるとあれはそれなりのいい思い出の生活かも知れない、
山梨の西沢近くの民宿に泊まった事がある、登山客の宿だったが会社の女の子がバイク好きでその時泊まったが安くて料理が美味いと言うので正月を過ぎて空いている時期を狙って宿を取った
広い駐車場は広瀬ダムのドライブインを兼ねていてその広場の宿の反対側に宴会場があり、
「カラオケが有るから自由に使ってよい」と言われて夜中に其処まで歩いて向ったがその時に見上げた空に素晴らしい天の川が流れていた、正しくミルキーウェイと言う空を東京産まれの女房は感激して眺めていたが自分もそう言えば子供の頃は何時もこんな夜空だったなと感慨深くみたものだった、
今どこかに泊まっても夜半に夜空を見上げるなんて事は殆ど無いが又何時か天の川を見上げてみようか


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