梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

漫画と珈琲

2021-11-27 13:19:05 | 昭和の頃

昭和39年から40年にかけて江戸川区上一色町と言う所に住んでいた
未だコンビニどころかスーパーマーケットうと言う店もなく八百屋、魚屋、肉屋と言った具合に分かれていて雑貨店洋品店などが並んだ商店街が中心だった、
住んでいた上一色と言う所はそんな商店からはかなり離れていてアパートと住宅が多く
そのころ作られた都道の廻りに倉庫が有る程度の街だった、
その中に間口が3間程度だったかが、がカウンターだけの小さな喫茶店が有った
新しい計画道路なので当時としては破格の広い歩道がついていたのだがその店の前に
50代のマスターが開店前に七輪をだしてフライパンだったと思うが珈琲を焙煎していた
フライパン状の物だったので今考えると「焙煎」と言うより「炒っていた」のだがこれがとても素晴らしい香りを廻りに漂わせている
いくらだったか覚えていないが当時の収入からするとかなり高額だったが休日には欠かさず通うようになった、
当時の給料はは全額で8千円少々、寮費や食費、失業保険や年金などを引かれて手に残るのは6千何某だったがそれで何とか食えた時代だった、
最寄りの小岩駅北口から狭い商店と飲み屋街を抜けると貸本屋が有って此処で漫画を借りてその喫茶店でコーヒーとトーストかホットドックを注文して過ごすのが休日の定番になった、
未だ、「丸」とか「剣」「暗黒街」とかと言う貸本漫画が主だったがその頃「ガロ」と少し遅れて「COM」が出た、
永島真司、宮谷和彦、横山まさみちなどと言う漫画家が主で「ねじしき」で売れた「柘植よしはる」なんかも此処だった、
当時18歳ここで覚えた珈琲と漫画は未だに続いている、
毎朝豆を電動ミルで挽いてカリタのペーパードリップで5杯分を点てる
豆を買ってきて引いて入れるスタイルは24~25歳の頃からでその頃は一人分2杯分だったのが結婚して5杯になったのと手で挽いていたのが電動ミルになったくらいでもう50年も続いている、
漫画の方も未だに読んでいるが流石に新連載が合わなくなってきた、
それでも弘兼謙二氏の様に同年配の作者の本は面白く読んでいる、
しかしさいとうたかお氏やみやわみしんたろう氏など亡くなって逝くにしたがって離れてしまうんだろうな
ボケ防止になるんだからと女房と娘が言っているがどうなんだろうね、
何もしないでぼ~としているよりはましかな