梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

女言葉と男言葉は文化の証

2013-07-09 15:54:24 | 雑記
最近街中で女性の男言葉を聞く事が良くある、それもかなり乱暴な言葉を幼い子供に対して話している、というより怒鳴りつけている事が多い、年齢は大体20代後半から30代後半の母親である事が殆どだ、
高校生か中学生の女の子が男言葉で話しているのも良く耳にするが此れはまあ若気の至りと言う事だが気になるのは幼い子供を育てている母親が子供に対して「おい!何やってんだ、てめえ、ぶっとばすぞ!」と言う様な言葉を街中で平然と使う、男でも其れこそ肉体労働者でも中々使わない言葉である。
日本語には昔から女言葉と男言葉がある、英語では女と男で言葉が違うと言う事は無いと聞いたがネットで調べるとやはり男女で言葉の違いは有ると言う、
女性は直接的な表現をしない、男性は命令口調で直接的な表現をするらしい、フランス語は品詞その物に男女の区別があるという位である、
日本の文字は中国から伝わってそれが平仮名、カタカナと言う分化を遂げ「女性文字」と言うスタイルになり、今では日本語の特徴である「表意文字と表音文字の使い分け」が成り立っている、
しかし、言葉の文化は完全に日本のオリジナルである、大陸の様に多様な人種が隣り合って生活している訳ではないので独立して発達したという条件があったとしても此れは完全に日本の文化でありその中で男女の言葉が分かれてきたと言う事は非常に大事な財産だろうと思う、
反対に男が女言葉を使う事が芸能界(とても芸とはいえないが)で持て囃されているが此れは逆に「その事自体が普通でない」から面白いのであって普通の主婦が日常的に使うと言うのはどうも私には不快な思いが強い、
「女性は女性らしく」などと言うと「男尊女卑だ、アナクロだ」と言われるだろうが女性人が男性に対して「男らしくないわね」とは実に頻々と使われている、
世の中男と女が居て成り立っているのだから互いの違いを魅力として認め合って過ごすのが一番だろう、体の役割も違うし構造も違う、運動系で言えば女子と男子が同じ条件で競技をする事はない、此れは元々パフォーマンスが違うから当たり前である、
無論言葉の問題と男女差の問題は同じに扱う事は出来ないが永い歴史文化の中で男女の言葉は一緒になるどころか文化程度が上がるほど確実に分化して来た、女言葉はいわば成熟した文化の証だとも言えるだろう、
少し昔、貧農の山村では確かに女性も略完全な男言葉を使っていることもあったがそれでも若い女性は其処までではなく孫が出来る位の年配の女性に限られていた、まあ怒られるかも知れないがすでに「女である事」を放棄している存在になってからである。
平安朝の貴族は兎も角江戸時代の長屋であっても夫婦喧嘩ですら女言葉でやりあう事は滑稽本や川柳でも間違いないようだ、
何で最近はあれ程下品な女性が其れも人前でああいう言葉を使うのか、子供にとって母親は永遠に優しい存在である、そして大人になってもそう言う存在であって欲しいと思うのは私だけだろうか、