福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

遊行期に生きる(8) 自身の死についての考察(6) 棺桶、葬式などについて、一般論

2023年05月22日 07時19分20秒 | こころと体
 私は自分の死に関して色々考えている。
 
 最期はどんな状況で迎えるかわからない。
 死ぬ時はひっそりと行きたいものだ。

 さらに、私は葬式不要論者である。せいぜい、家族葬までなら納得できないことはないが、私のために他の方々がわざわざ時間を費やす必要はない。
 ただ、私の希望が通るとすればここまで。

 死んでしまえば全て家内や子供たちの判断で進められる。これは仕方がない。もう意思表示が不可能だから仕方があるまい。
 私は葬式不要論者である。だから、そのことだけ、予め故人予定者としての希望だけは述べておく。

 葬式をしない、との考えの人は少なくないが、実際に何もしない例は少ない。
 葬式は法的にその実施が規定されていない。だから、公的な戸籍抹消などを除くと葬式は絶対に必要なことではない。

 しかし、私たち日本人は死者が出れば葬式を行い、しかも相当な費用をかけて死者を弔っている。10年以上前の古いデータであるが、日本人の葬儀費用は平均231万円、英国12万円、韓国37万円、米国44万円となっている。

 死者が出た場合、なんの儀式もしない例は少ない。 
 かつて「密葬」と言われた葬式は、「家族葬」と呼ばれるようになり、それを選択するケースが増えた。

 葬式にいくら費用をかけても、何も残らない。記憶の中には残るだろうが、祭壇は次のユーザーのために解体され、棺も、高価な120万円のもあるらしいが、1-2日後にはただの灰になる。香典も香典返しも果たしてそれが必要なのか、私から見て全てが無駄に思える。

 にもかかわらず、通夜と葬儀・告別式だけのために、一般の人でも多額の費用をかる。これはなぜか??

 私は機会があれば、葬式に関していずれ考察したいと考えている。
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 ◉なぜ日本人は贅沢な葬式をあげるようになってきたのか。
 ◉人の死になぜ莫大な金をかけてきたのか。
 ◉葬式の現状はどうなっているのか。
 ◉今後、葬式はどう変化していくのか。
 ◉戒名ってなんだ?
 ◉・・・などなど。
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 いろいろ考えるべきことが多いと思う。
 しかし、葬儀などは突然降りかかる問題であり、つい慣習に従ってしまう。それが現状だろう。



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