福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

こころと体2024(1) 優柔不断超ウジウジ人間の処世術

2024年03月20日 03時47分57秒 | こころと体
 優柔不断な人を私は嫌いである。否、それどころか嫌悪感さえ覚える。

 優柔不断な人とは「気弱で、いつまでも決定が下せずぐずぐずした、はっきりしない性格の人のこと」。もっぱら人の性格や態度を表する際にメガティブな意味で用いられる。
 同義語として、「軟弱」「柔弱」「及び腰」「煮え切らない」「狐疑逡巡」など挙げられる。「自信がない、意志が弱い、中途半端な態度」という意味合いが色濃い。「狐疑逡巡」は、疑い、ためらい、そのため決断できずにいるさまを意味する語で「猜疑心」のニュアンスもある。

 私自身が優柔不断人間の典型であることから自分としては複雑である。

 優柔不断ほとんどすべての人が、多かれ少なかれこの様な性格も兼ね備えており、それが邪魔して自分の本来持っている力を出すことができずにいる、と思われる。

 その状況はといえば、ここぞという大事なときに緊張してガチガチに固まってしまったり、周囲を気にして自分のペースをつかめなかったり、プレッシャーに縮こまったり、過去の失敗にとらわれていたり、自分はダメなんだと自己否定にはまっていたりなどなど・・・・・。

 つまり「置かれた状況に負けてしまう」「打たれ弱い」ということ。

 私自身は「自意識過剰」人間で、幼少の頃から、「赤面症」、「対人恐怖症」に悩んでいた。学生時代から今日に至るまで、「何故なのか」と自分を責めたり落ちこんでいた。
 本の世界から得た知識で、あるいは他人の姿を参照しながら、スイッチを切り換える工夫をしてきた。

 私が到達した結論は、
 ●決断のための資料を十分集めて検討すること。
 ●8割方心が決まった時点で、思い切って結論を決めてしまう。
 ●時には清水の舞台から飛び降りる、ことに近い決断のこともある。
 ●それ以降は割り切って、ウジウジ悩まないこと。

 上記の過程を通じて私は種々の懸案事項を乗り切ってきた。ただ、かなりの誤決断を伴い、後処理を必要とした。これが、他人には見せられない自分の情けない姿である

 正直言って、どこまでが本当に自分の割り切りの成果か判断できない。というのも、誰でも「打たれ強くなる」素養があると思う。
 「自分はこんな人間じゃない」「自分は決断力がなくてダメな人間だ」と思っていたとしても、そこから抜け出す力は自分の中にあるハズ、とも思うからである。
 ただ、私は他人のことはほとんど分からない。


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