福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

新聞考2021(1) 新聞の将来は厳しい

2021年04月09日 06時13分56秒 | 時事問題 社会問題
 私は毎朝の習慣として新聞を数紙読む。いや習慣というよりも貴重な情報源として積極的に資料として利用している。

 東日本段震災・原発事故後4−5年は地域の事情を知るため最高で6紙を購読していたこともあったが時間的に追いつかず、現在はやむなく朝日、日経、さきがけの3紙に絞っている。これらは有料の電子版にも加入しているから1.3万円/月程度と決して安くはない。信頼おける情報には対価を払う必要がある。

 毎朝、記事内容をざっとチェックし、選び、切り抜く。電子化してデータとして残し活用する。

 新聞は日本と世界の現況、政治・経済・社会・市民生活を要約して報道している。
 新聞は単にニュースを報道するだけでなく、各紙がそれぞれ明快な立地点を有している。
 それに全面的に賛同するか否かは別にして、各紙の立場は明快である。だからその論評や主張には一本筋が通っており、安心して読むことができる。慰安婦問題、歴史認識問題、集団的自衛権や安保法制の問題、憲法改正問題、原発問題、沖縄の問題などは、新聞ごとに報道のスタンスが大きく異なる。取り上げるニュースの切り口や論評が異なるだけでなく、「某紙では大きく扱っている出来事を、他紙は掲載すらしていない」という極端なケースも珍しくない。

 一方、ネットにはツイッターなど個人発信の情報と意見があふれている。こちらは明確な背景、基盤を持たないから、即ち、筋の通った骨格がないから信頼度が低い。ちょっとした切っ掛けで注目され、異常なほど増殖して、いくらでも変形するし、時にはすつと消滅もする。だから、私はネットの情報は背景がしっかりし、出所が明快で信頼おけるもの以外は見ることはない。

 近代国家は立法・司法・行政の三権から成る。それに対して報道機関が第四の権力と呼ばれることがある。国家の運営に及ぽす影響力が大きく、三権を批判する機能があるからだ。
 今の日本は行政府の力が異常に強く、立法府と司法府はその前にひれ伏していると思われる事象は少なくない。そういう時こそ第四権力である報道機関の真価が問われることになる。

 日本の新聞発行部数は、2000年の5370万部をピークに減少が続いており、2015年には4424万部にまで落ち込んでいる。その後のデータは入手していないが傾向は変わっていないと思われる。そして、新聞は世帯普及率も右肩下がりが続いている。単身世帯では、もはや新聞を取っている人の方が少数派である。

 新聞離れの最大の理由が、インターネットの普及であることは明らか。ネットのニュースサイトは、世界中の情報がリアルタイムで知れるうえ、料金も無料という強烈なメリットがある。新聞は有料で、速報性という意味ではインターネットに勝ち目がない。

 私は活字媒体が好きで、中でも新聞の比重が極めて大きい。
 ただ、そんな私も新聞が将来的にも生き残って行くには、批判に耐えうる立派な企画、記事を掲載するしかない、と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする