着任当日から病棟業務としては、7階の内科病棟の患者数人の担当が決まっていた。何れも高齢の患者であった。病棟のスタッフは基本的に私を含め4人で、これに卒後1-2年の研修医が1-2名、数ヶ月間ローテートして来るという体制であった。4人のスタッフのうちの一人は6月に大学医局に戻る予定となっていた。内科病棟、担当医師達の主たる守備範囲は血液、免疫疾患、呼吸器疾患、及び、領域不明の内科的疾患であった。
内科分野の、疾患を抱えた患者への診療内容そのものは何処の医療機関であってもそう大差があるものではない。その面ではあまり困惑することはなかった。赴任直後から、私が従来あまり受け持ってこなかった呼吸器疾患領域の患者も受け持つ事になった。この分野は私自身の経験不足、力不足もあったが、新しい分野への興味も沸き、それなりに意欲も持って勉強出来たし、私の手に負えなくなりそうなときは呼吸器内科科長にコンサルトし助けてもらった。
中通病院内科病棟には高齢者が多いこと、疾患に対する治療が終了しても帰る場所が無い患者、ベット上で寝たきりの患者、コミュニケーションがとれない患者、重度の痴呆患者、食事も全くとれず鼻から胃に流動食を流して生命を維持している患者、大きな褥瘡を形成している患者、その他、いわゆる社会的弱者と言われる、いろいろな問題を抱えた患者が多いことは驚きであった。この点ではホントにカルチャーショックを受けた。
この様な患者の多くは、抱えている原疾患に対する治療は既に終了していたり、あるいは治療することがそれほど意味を持たない状況であり、医師として何をしてあげればいいのか、ただ生命を維持してあげることなのか、毎朝回診しながら困惑させられたものである。
実際、このような患者に対しても看護師達の看護介護は直向きであり、医師達も積極的であって、この点でも驚かされた。また、当院のケースワーカーの働き、役割についても初めて知り、感心させられた。
このような人生のターミナル期にあるような患者を多数見て、診て、担当したことは、結果的に医療と社会、経済との関係、人権との関係など、私が従来全く考えてこなかった分野への興味を沸き立たせられることとなり、後の医師会活動への参加にも繋がっていった、と言える。良い機会が与えられたものである、と思う。
内科分野の、疾患を抱えた患者への診療内容そのものは何処の医療機関であってもそう大差があるものではない。その面ではあまり困惑することはなかった。赴任直後から、私が従来あまり受け持ってこなかった呼吸器疾患領域の患者も受け持つ事になった。この分野は私自身の経験不足、力不足もあったが、新しい分野への興味も沸き、それなりに意欲も持って勉強出来たし、私の手に負えなくなりそうなときは呼吸器内科科長にコンサルトし助けてもらった。
中通病院内科病棟には高齢者が多いこと、疾患に対する治療が終了しても帰る場所が無い患者、ベット上で寝たきりの患者、コミュニケーションがとれない患者、重度の痴呆患者、食事も全くとれず鼻から胃に流動食を流して生命を維持している患者、大きな褥瘡を形成している患者、その他、いわゆる社会的弱者と言われる、いろいろな問題を抱えた患者が多いことは驚きであった。この点ではホントにカルチャーショックを受けた。
この様な患者の多くは、抱えている原疾患に対する治療は既に終了していたり、あるいは治療することがそれほど意味を持たない状況であり、医師として何をしてあげればいいのか、ただ生命を維持してあげることなのか、毎朝回診しながら困惑させられたものである。
実際、このような患者に対しても看護師達の看護介護は直向きであり、医師達も積極的であって、この点でも驚かされた。また、当院のケースワーカーの働き、役割についても初めて知り、感心させられた。
このような人生のターミナル期にあるような患者を多数見て、診て、担当したことは、結果的に医療と社会、経済との関係、人権との関係など、私が従来全く考えてこなかった分野への興味を沸き立たせられることとなり、後の医師会活動への参加にも繋がっていった、と言える。良い機会が与えられたものである、と思う。