福田の雑記帖

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自伝・中通病院(8) 民医連って何だ?

2007年02月26日 05時56分29秒 | 自己紹介・自伝
 中通病院を選んだのは卒後研修から戻ってきた第3内科の若手医師の話などから,自分の医療観に近い医療もやっている活動性の高い病院、との感触を得たからで、自分の臨床医としての感覚、技術の再構築のためにも良いと考えたからである。全く個人の立場と判断で院長室を直接訪れ、雇って欲しい,とお願いした。今から思えば、何も知らずに飛び込んでしまったものである。いや、何も知らなかったから選べたし、結果的に自分にとってはすごく良かったのかも知れない。

 当院が民医連に加盟している病院であることなどは全く知らなかった。

 病院医療は持っている技量を集約して行う医療である。病院や医局にはどんな人がいるのか、それを知らずに病院医療は出来ない。だから、医局会などの集会には可能な限り出席し、話を聞き、理解しようと努めた。一般的な病院や医療に関する話に関しては理解できたが、理解できない話題も少なくなかった.特に、民医連関連の話題になると、「全国民医連」、「北海道東北ブロック」「地協」、「秋田民医連」、「県連」、「共同組織」、「患者会」、「友の会」・・・・何のことを言っているのか赴任当初は全く解らなかった。
 内科外来の戸棚、図書室の一角には民医連に関する書籍や資料が何冊かあったのでそれを借りだし、診療の合間に読み漁り、徐々に理解することが出来,いろいろな刺激を受けた。

 特に、診察室の医療の展開は医療の基本ではあるが、それだけでは不足であって、社会的視野に立って、医療、健康、疾病を考え、更に、労働環境や住民生活、社会保障などを考えた予防から治療、社会復帰までを考えた医療を展開しなければならないという考え方と実践は、私にとって目から鱗が落ちるほどの強烈なインパクトがあった。勿論、全てが是というわけではなく、これ以上深くは入りこめないイデオロギー的な分野もあったが、自分にとっては学ぶべきところは随分多かったと思う。この辺のところは機会があれば記述しておきたいと考えている。

 更に、赴任した年の秋、秋田県民医連学術集談会は私にとって更に大きなインパクトがあった。
 私はそのしばらく後、院長から秋田市医師会の役員になることを命じられたが、医師会の仕事に意義を感じとることが出来たのは、この時に学んだ民医連的医療の視点がルーツとなっていた、と思う。
コメント
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