わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代の陶芸194(島武巳)

2012-09-16 21:41:18 | 現代陶芸と工芸家達

沖縄の壷屋焼には、施釉して1200℃で焼成する上焼(じょうやき)と、無釉で1000℃で焼締める、

荒焼(あらやき)があります。島氏は荒焼の第一人者の一人と目されている陶芸家です。

1) 島 武巳(しま たけみ): 1943年(昭和18)~ : 阿弥陀城古窯(あみだじょう こよう)

  ① 経歴

    1943年 沖縄県 国頭群 本部町に生まれます。

    1960年 壺屋の小橋川永昌氏の窯の下で、64年まで轆轤を挽いています。

    1961年 沖展奨励賞を受賞します。 

    1965年 小橋川家を辞し、古陶磁の研究を始めます。

     壺屋に統合される以前の古窯(400~500年前)喜名焼、知花焼、古我知焼、山田焼等の

     古窯の復元を試み、以来十数ヶ所の窯を設計し築きます。

    1970年 小山富士夫氏の南蛮焼研究に参画します。

    1980年 中城古窯研究所を設立し、中城村久場台城山頂に復元古窯城窯を開窯します。

    1981年 東京銀座の黒田陶苑で、初の個展を開催します。

    1986年、88年 沖縄の花カーニバル特別展(海洋博物館)、(国営沖縄記念公園、文化館)

    2004年 佐喜真美術館にて「島武己 陶の世界展」。10年 同美術館にて「島武己作陶展

    阿弥陀城古窯」を開催します。同年 本部町健堅に窯を移設 現在に至るります。 

② 荒焼について。

   ) 荒焼は、琉球王朝が壷屋に窯元を集める4~500年以前の現在の読谷村、名護市、

      沖縄市の古窯以来、焼かれていた焼き物です。

      島氏は1972年頃より全国の窯場や、古窯跡を尋ねますが、沖縄の荒焼の土味や色彩の

      豊かさは、本土のどの古窯の作品にも、引けを取らない焼き物だと確認します。

   ) しかし古窯の荒焼と、現在の荒焼とでは、色彩や強度の点で現在の方が、弱かった

      そうです。 その原因が土(素地)の違いでは無いかと考え、土を求めて沖縄の各地を

      探索します。

   ) やがて「荒焼の柔らかい赤は、土ではなく焚き方にある」と思い付きます。

      当時の荒焼は4~5日の焼成で、古窯では10日間、強還元で焼成している事を突き止め

      ます。そして、「中城古窯研究所」を那覇市に近い中城村に設立し、窖窯を築きます。

 ③ 島武巳の陶芸

    ) 島氏が現在使用している土は、沖縄各地(名護、石川、恩納村、知念村んど)から採取

       した原土六種類をブレンドした、粒子が比較的細かく、「ねっとり」した赤土で5~6年

       寝かせた土を使っています。備前や丹波の土に比べ、柔らか味があるのが特徴です。

    ) 成形方法は、主に蹴り轆轤を使っています。

       作品は、南蛮壷、南蛮花生、南蛮茶碗などが多いです。

    ) 潮風で完全に乾燥させた作品は、無釉の状態で窖窯(あながま)に窯詰めした後、

       約10日掛けて1000℃程で、焼成すると柔らかな赤が出るそうです。

       十分に焼締り水漏れは起こさないとの事です。

     ・ 尚、焼成温度が1000℃程度(一般には1200℃以上)の低温では、楽焼程度の温度

        ですので、強度的には弱い為長時間の焼成する必要があります。

     ・ 更に、焼成温度が低い為、赤い(又は褐色)色が出るのだとも言えます。

    ) 島氏は年に3回ほど焼成しますが、焼上りは雨や風など島の天気に左右され、天気が

       良ければ炎の流れも良く、強めの赤色に焼上り、天候の変化が激しい夏場などは、やや

       明るく薄い赤になります。窯変を起こすと、「化け物」の様な赤に成る事もあるそうです。

 次回(岡田裕氏)に続きます。

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