我が国で作られた、茶碗も2点ほど国宝に、指定されています。
その1点が「銘 卯花墻」の、志野茶碗です。
国宝 志野茶碗 銘 卯花墻 (うのはなかき)
桃山時代 (17世紀) 美濃(岐阜県可児市) 大萱の牟田洞窯
作者 不詳 (加藤源十郎景成の説があります)
大きさ: 高さ 9.6cm、 口径 10.4~11.7cm、 高台径 6.3cm
三井記念美術館蔵
1) 志野とは
① 我が国の焼き物として、初めて、本格的に焼かれた、白い釉(長石釉)を使った焼き物です。
又、日本で初めて、絵の描かれ、焼き物でも有ります。
② その質感の柔らかさや、温もり、そして淡雪の様な色合いは、日本の焼き物の中でも、ひと際
特異な陶器です。
③ 「もぐさ土」と呼ばれる、粘り気のない白い土に、長石で作った白釉を、厚く掛けて焼きます。
土に赤い火色が現れ、釉にも細かな、貫入が入り、「柚肌(ゆずはだ)」と呼ばれる、
小さな穴が、無数に開き、凹凸の趣有る、白い釉に成ります。
④ 白い長石釉の肌合いと、酸化鉄(鬼板など)、顔料による、下絵付けが、志野の特徴です。
2) 国宝 志野茶碗 (銘 卯花墻 )とは
① 卯花墻(うのはなかき)の名の由来:
この茶碗を入れる、内箱の裏に、片桐石州が書いた、古歌の「山里の、卯の花がきのなかつみき、
雪踏みわけし、心地こそすれ」の、書き付けが有る事から、「卯花墻」の名があります。
「卯の花」は、見た目が雪の様なので、「雪見草」(ゆきみぐさ)とも、呼ばれています。
② 特徴
) 形は、やや腰の張った、半筒形の茶碗で、切立(きったて)風で、口縁近く、横方向に、強く
箆目(へらめ)が入り、口造りも、高低が有ります。(これを山道といいます。)
又、口径も自然に、歪んでいます。
) 高台は、極端に低く、横方向からは、ほとんど確認できません。
) 釉は、ほんのり赤味を帯び、柔らい感じです。
口縁や裾の緋色は、特に美しく、優れた景(けしき)と成っています。
) 釉を掛ける際の、指痕が火間に、しっかり残り、片手で鷲掴み、釉に漬けた事が、判ります。
) 鉄(鬼板)で描いた、垣根風の絵に、厚く掛かった釉を、卯の花に見立てています。
尚、この絵は、井桁(いげた)風に描かれ、何を表現した物かは、はっきり判別できません。
) 伝来は、もと江戸の、冬木家にあり、明治20年代中頃に、室町三井家の高保に、渡ります。
現在は、「三井記念美術館」の収蔵と成っています。
(尚 三井家では、主に表千家流の、茶の湯をたしな、およそ300年に渡り、利休の道具を
その核として、多くの茶道具類を蒐集しました。)
以下次回に続きます。
国宝 卯花墻
その1点が「銘 卯花墻」の、志野茶碗です。
国宝 志野茶碗 銘 卯花墻 (うのはなかき)
桃山時代 (17世紀) 美濃(岐阜県可児市) 大萱の牟田洞窯
作者 不詳 (加藤源十郎景成の説があります)
大きさ: 高さ 9.6cm、 口径 10.4~11.7cm、 高台径 6.3cm
三井記念美術館蔵
1) 志野とは
① 我が国の焼き物として、初めて、本格的に焼かれた、白い釉(長石釉)を使った焼き物です。
又、日本で初めて、絵の描かれ、焼き物でも有ります。
② その質感の柔らかさや、温もり、そして淡雪の様な色合いは、日本の焼き物の中でも、ひと際
特異な陶器です。
③ 「もぐさ土」と呼ばれる、粘り気のない白い土に、長石で作った白釉を、厚く掛けて焼きます。
土に赤い火色が現れ、釉にも細かな、貫入が入り、「柚肌(ゆずはだ)」と呼ばれる、
小さな穴が、無数に開き、凹凸の趣有る、白い釉に成ります。
④ 白い長石釉の肌合いと、酸化鉄(鬼板など)、顔料による、下絵付けが、志野の特徴です。
2) 国宝 志野茶碗 (銘 卯花墻 )とは
① 卯花墻(うのはなかき)の名の由来:
この茶碗を入れる、内箱の裏に、片桐石州が書いた、古歌の「山里の、卯の花がきのなかつみき、
雪踏みわけし、心地こそすれ」の、書き付けが有る事から、「卯花墻」の名があります。
「卯の花」は、見た目が雪の様なので、「雪見草」(ゆきみぐさ)とも、呼ばれています。
② 特徴
) 形は、やや腰の張った、半筒形の茶碗で、切立(きったて)風で、口縁近く、横方向に、強く
箆目(へらめ)が入り、口造りも、高低が有ります。(これを山道といいます。)
又、口径も自然に、歪んでいます。
) 高台は、極端に低く、横方向からは、ほとんど確認できません。
) 釉は、ほんのり赤味を帯び、柔らい感じです。
口縁や裾の緋色は、特に美しく、優れた景(けしき)と成っています。
) 釉を掛ける際の、指痕が火間に、しっかり残り、片手で鷲掴み、釉に漬けた事が、判ります。
) 鉄(鬼板)で描いた、垣根風の絵に、厚く掛かった釉を、卯の花に見立てています。
尚、この絵は、井桁(いげた)風に描かれ、何を表現した物かは、はっきり判別できません。
) 伝来は、もと江戸の、冬木家にあり、明治20年代中頃に、室町三井家の高保に、渡ります。
現在は、「三井記念美術館」の収蔵と成っています。
(尚 三井家では、主に表千家流の、茶の湯をたしな、およそ300年に渡り、利休の道具を
その核として、多くの茶道具類を蒐集しました。)
以下次回に続きます。
国宝 卯花墻