想いのままに…

日々の生活の中で感じたことを、想いのままに綴りたいと思います。

里山資本主義の生き方

2016-03-21 21:57:31 | 日記
主人が今読んでいる本が、藻谷浩介著「里山資本主義」です。

その中に書かれていることについて、今日話してくれました。

広島県庄原市にあるマツタケ山再生研究会。
そこでの議論の中で、某大学教授が
「長いスパンでの成果を評価する時代への転換」と言われたそうです。

ここでいう成果とは、マツタケがたくさん採れて、お金になることを意味します。

ところが、その会の会長は、
「成果が出れば良し、出なくても、それもまた良し。みんなで山に入って、
山をきれいにして気持ちよかった。70代の者たちが頬を赤く染めるほど汗をかき、
山仕事に打ち込む気持ちよさ、すがすがしさ。それだけあればいいのです」

その会長の言葉に、教授は感銘したということでした。
私も、この会長の言葉のような思いを持っています。

将来を見据える…とは、たしかに耳障りのよい言葉ではありますが、
見据えているものは利益であり、お金。

将来にだけ焦点をあわせると、今の生活は将来のためのみに生きる、
つまり、ある意味では、今を犠牲にしてでも将来のために…ということになります。

果たして、今を生きる人は、それでいいのでしょうか?

我が家で数年前に車を買った時のこと。
営業マンが、多くの人は売る時のことを考えて、無難な色を選ばれます。
その方が、売り時には高く下取りしてもらえますから…。」
そのことを聞いた主人は、「僕は自分が好きな色にします。
5年後のために、好きな色の車に乗れないのは残念です。」と言いました。

その言葉は、その後の私に大きな影響をもたらしています。
私自身、将来のことだけを考えて生きてきたわけではありませんが、
多かれ少なかれ、それを目安に判断してきたことは多いと思います。

でも、今を輝いて生きることができることの延長線上に将来はあるのですから、
今の気持ちも大切にすることの重要性も考えた上での判断が必要だと思うようになりました。

主人と知り合って30年。
結婚して24年になります。
ずっとずっと、しあわせに暮らしてきました。
今、この延長線上にある暮らしの中にも、しあわせが見えるような気がしています。


 畑の畔に、番いの鳥がいました。
 仲睦まじい光景に、温かさを感じました。
コメント
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