今年の日本の夏は暑さが半端なく厳しくて長かった!と、過去形にすらまだできないって聞いているのですが、さて、流石にそろそろ秋らしくなってきたのでしょうか?
こちらは雨が全く降らない日が続いていて、ここ数日はインディアンサマー現象で生暖かい気候でしたが、明日からまた秋が戻ってきそうです。
風が強く吹くと、大小様々な枯葉が舞い散ってきます。
うちの中庭と裏庭は、恒例の落ち葉踏みが楽しめる、まるで奥深い森の中のような様相で、外遊びの猫でさえ、得意の抜き足差し足忍び足ができません。
もう2週間前になりますが、散歩をしながら撮った紅葉の様子です。
この頃はまだ緑の方が優っていました。
少し日が経って、
こういうのも好きなので、
ご近所さんのお裾分けコーナー。
昨日はハロウィーンでした。年々凄まじくなってくるこのお家のデコレーション👻
わたしはこちらのシンプルな飾り付けの方が好きです。
これは目立たないけどけっこう怖い。
いよいよ大統領選挙の投票日が近づいてきました。
今回は特に期日前投票を済ませた人が多いような気がします。
トランプ氏は大統領就任までにガザ戦争を終わらせる!と宣言していて、それをイーロン・マスク氏などがSNSで大々的に拡散していますが、結局は彼もバイデン氏と同じく『シオニスト・イスラエル支持者』なので、イスラエルに表向きの終結宣言をさせて後は好きにやれ、ということになると思います。
マスク氏は財力に任せて、自分が買収したX(元ツイッター)などでトランプ氏への投票をするよう大金を有権者たちに与えていますが、選挙法違反にならないのが不思議です。
わたしの周りには民主党支持者が圧倒的に多いのですが、彼らはみな、もしハリス氏が当選したら、トランプ陣営は前回のようにまた、敗北を認めず、不正選挙を訴えて、大きな騒動になるのではないかと恐れています。
とんでもない嘘や妄想が、あたかも本当のことのように拡散されてしまうのを、数えきれないほど見聞きしてきたので、この選挙はどちらにしても純粋には喜べないだろうなと思います。
気分直しに、これを紹介します。
これは日本語では「仏手柑(ぶっしゅかん)」と呼ばれているオレンジです。
といっても、見た目でもわかるように、中には果肉がほとんどありません。
仏手柑は主に観賞用として栽培されていて、お正月飾りやお茶席の生け花などにも使われているそうですが、わたしはこれまで見たことがありませんでした。
皮をマーマレードに利用したり、砂糖漬けにして食べるそうです。
この写真には『Goblin Hand』って書かれていますね。
ハロウィン用の売り名でしょうけども、仏が小鬼になっちゃってます😅
心友のNちゃんから、ぜひこの人に会ったらいいと思う、と言われて会いに行ったKさんのお宅。
Kさんは、うちから20分ほど離れた町に住んでいる、野菜と土作りの達人です。
すべてKさんの手作りの菜園、というより花壇、いや、菜壇と呼びたいほどの美しさ!
草ぼーぼーの我が家の菜園と真逆の美しさ!
Kさんがここに越してきた時の前庭は不毛の砂地で、雑草でさえも生えることができないような状態だったそうです。
ここまでにするには、そりゃもう言葉では言い表せないほどの苦労と工夫を重ねてきたんだろうなあと思います。
Kさん自身で木を切り、小さく刻んで作ったウッドチップの数々。これにかけた労力と時間を想像しただけで気が遠くなりそうです。
絶対的な存在感を漂わせている菊芋。背丈は3メートルを超えています😳。
ど迫力のアップ写真。
これはむかごだそうで、こんなふうに実をつけるのだと初めて知りました。
朝一番に、ブロッコリーやニラの芽やピーマンやイチゴやブルーベリーやラズベリーなどを採って朝食にいただく毎日…いいなあ…。
健康で美しく美味しそうな茄子、今年は育ちが遅くて、これからが本番だそうです。
胡瓜をコンパクトに育てる(無闇矢鱈に広がらないようにする)技も教えてもらいました。
でも、こんなに開けっぴろげで大丈夫なんですか?鹿とかグラウンドホッグとかモグラとかスカンクとかリスとか、そういうのに食べられちゃいませんか?
と尋ねると、うちはこれを置いているから大丈夫と見せてくれたのがこれ、害獣の超音波駆除機です。
小さなソーラーパネルが付いているので、充電の手間も要りません。
これはゴボウ、だったっけか?
ゴーヤもすごく元気です。
ジャガイモは、ネギの根っこと寄り添うようにして育てるといいということも初めて知りました。
コンパニオンプランツ、共栄、または共生作物と言われるものだそうです。
これは茄子にオススメのコンパニオンプランツのお話です。
「コンパニオンプランツ」は、野菜など栽培したいある植物に対して、近くに植えることで互いに良い影響を及ぼし合う別の植物のことや、その組み合わせを指す言葉です。
ある植物を単体で育てるよりも、コンパニオンプランツを一緒に育てることで、病害虫が広がるのを防いだり、成長を促進したりするというメリットがあります。
日本語では「共栄作物」や「共生作物」と表現されることもあります。ざっくりと「植物には相性のいい植物がある」と認識しておいても良いでしょう。
ある植物を単体で育てるよりも、コンパニオンプランツを一緒に育てることで、病害虫が広がるのを防いだり、成長を促進したりするというメリットがあります。
日本語では「共栄作物」や「共生作物」と表現されることもあります。ざっくりと「植物には相性のいい植物がある」と認識しておいても良いでしょう。
というわけで、ほんの基本的なことすら知らないことだらけでKさんにはすっかり呆れられてしまいましたが(例えばトマトには水はあまり必要ではないとか、茄子は毎日欠かさず水をあげなければならないとか)、教えてもらったことを来年の菜園に活かせることができるように、わたしも頑張ろうと思いました。
いろんな野菜の種もいただき、
蚊取り線香が据えられた椅子に座って、世にも美味しいシソジュースをいただき、
Kさんイチオシのニラの芽もいただき(めちゃくちゃ美味しかった😭)、
お刺身グレードのマグロの頬肉までいただいて、
とんでもなく厚かましい、二日に渡りお邪魔虫と化したわたしでした😅。
Kさん、本当の本当にありがとうございました!
夫はかれこれ10年以上、この床屋さんで髪の毛を切ってもらっています。
理髪師さんの名前はフレディ、御年78歳のバリバリの現役です。
夫は店から戻ってくると必ず、順番待ちをする客たちや世間話をしにくるだけの常連たち、そしてもちろんフレディのその日の様子をわたしに話すのですが、最後にいつも「まうみも行って見たらいいのに」と言うのです。
そんな、髪の毛を切ってもらうわけでもないのに、夫にくっついて見に行くだなんて変じゃないのか?
と思いつつ、話を聞きながら想像していた世界と比べたくなって、とうとう一緒にお店に入らせてもらいました。
壁一面の写真、今はもう用済みとなったバーバーチェアに陣取り世間話に花を咲かせる常連さん、自分の番をひたすら待つお客さん、そしてフレディ…。
冒頭の写真は新聞の切り抜きです。『一部の本物のイタリア人にとって、ソプラノズは核心を突いている』(めっちゃ直訳😅)と書かれたタイトルのすぐ下に、20年ばかり若いフレディが写っています。
アメリカのテレビ界の歴史を塗り替えたとも言われているドラマ『ソプラノズ』の最後のシーンの撮影が、フレディのお店の真向かいにあるダイナーで行われた際の取材記事のようです。
このドラマは伝説のドラマとして今も君臨していて、6シーズンの間にエミー賞でのノミネートは96回、6年間でのべ18部門を受賞しました。
ドラマの紹介文には、マフィア=現代社会のダークサイドを過激なリアリズムと知的なブラックユーモアで描いた怒涛のヒューマン・ドラマ、などと書かれています。
わたしは10代の頃から20代後半まで、日本のヤクザさんたちに散々な目に遭わされたので、今でもとても強い拒否反応があって、ドラマでも映画でも、ヤクザやマフィアが登場するものは観ることができません。
それがちょっと残念。
話がそれましたが、フレディをはじめ、このお店の常連さんたちはイタリア人。
夫は散髪が必要になるとまず、彼のお店の混み具合を調べに行き(フレディがお客一人にかける時間はほぼ20分)、髪をカットしてもらうかどうかを決めます。
散髪代はたったの14ドル、夫はチップ込みで20ドル払います。
フレディはお客たちと陽気に話をしながら、コームで掬い上げた髪をハサミでチョキチョキと整えていくという動作を、毎日朝から夕方まで延々と繰り返します。
たまによそ見をして切り残しがあったりしますが、なにしろ14ドルですし、夫は細かいことに無頓着な人なので、全体的にすっきりしていればそれで良し、めでたしめでたしなのでした。
フレディは、散髪中にもかかわらず、わたしの腕をとって写真の前に連れて行き、犬や猫と一緒の写真がいっぱい貼ってあるのを指差して、「僕は動物が好きなんだ、とりわけ大きなサイズのね」と言って特大のウィンク😉。
中に羊が写っているのもあったので、「羊も飼っていたの?」と聞くと、「ああ、これは合成写真だ、ワハハ!」とフレディ。
中に羊が写っているのもあったので、「羊も飼っていたの?」と聞くと、「ああ、これは合成写真だ、ワハハ!」とフレディ。
何百と並ぶ写真は彼の人生そのもの。ずっと見ていても見飽きることはありません。
誰の毛髪か、もはや全く区別がつかない床😅。
フレディ、これからもよろしく!
15年間、待ちに待ったシャワー室の改装が実現しました。
これがずっと改装待ちをしていたシャワー室です。
とても小さな部屋で、床全体が裏庭に向かって傾いていて、三角形のシャワーユニットの床はいつボコンと抜けるかわからないくらい弱っていて、隙間からは長い年月をかけて増殖したであろうカビが取っても取っても姿を現します。
床にはビニール製のシートが貼られていたのですが、ところどころが破けていたので、せめてこれだけでも変えようと、1枚90円の安いシートを買ってきて、見よう見まねで貼り替えたのが13年前。
この棚は、壁から剥がれかけていて、なので中に物を置く際には置く角度をうまく調整しないと、鏡を開いた途端に中の物が落っこちてきます。
1日でも早くと願いながら待つこと15年。
10年前まで教えていた大人の生徒さんが、もし家の改装をするならここがいいよ、と言って、その業者さんのパンフレットを渡してくれたのですが、あまりに時が経ってしまっているので、同じ職人さんがいるのかどうかわからないまま見積もりに来てもらいました。
他にも見積もりをお願いしたところはあったのですが、予算額が一番安かったこと、ショールームに必要な物のサンプルが置かれていて、そこで一挙に選べること、そして何より信頼できる人からの強いお勧めがあったこともあって、お願いすることにしました。
その会社のメンバーは全員中国人で、見積もりをしたり、ショールームで壁や床の現物サンプルを決めたりする際には、英語が話せる人が対応するのですが、現場で仕事をする人たちのほとんどは英語が話せません。
それがわかったのは工事の初日で、確かにコミュニケーションがうまく取れないのには困りましたが、入れ替わり立ち替わりやってくる職人さんたちの仕事の腕はとても良く、それぞれの作業が丁寧に迅速に進められていくのを見守るのは楽しかったです。
あっという間に洗面台とシャワー室とトイレが消え、いよいよ工事の始まりです。
このシャワー室、ドアが両方にあって、一つは台所に、もう一つはピアノの部屋につながっています。
それを今回の工事で、シャワー室と洗面台の場所を入れ替えるため、台所へのドアを外して壁にすることになりました。
その図面を描いてくれたのは設計士の義兄で、工事はこの図面に従って進められました。
まだ台所から出入りできていた時はレッスンができたのですが、それが叶わなくなってからはレッスンは中止です。
工事はこんな感じで進んでいきました。
なにしろ狭い部屋なので、職人さんが2人入るともういっぱいになって動きにくいみたいで申し訳なかったのですが、こればっかりは仕方がありません。
今回の工事では、わたしたちが聞きたいことやお願いしたいことがあっても、それを正しく伝えることがなかなかできなかったことが最大の問題でした。
夫もわたしもなんとかわかってもらおうと、翻訳アプリなどを使ってみたのですが、中国語には何十種類もの言語があるからか、職人さんは首を振るばかり…。
だからどんなに簡単な要件でも、通訳してくれる人を介してでないと伝えることができないのには本当に困りました。
工事の終盤に便座の変更が2回もありました。
1回目は業者側のミスで型違いのものが設置されたからだったのですが、取り替えたあと、TOTOのウォシュレットを便器に取り付けてもらい、いざ使ってみるとその便座がグラグラとずれてしまうではないですか!
なんとかしてそのグラグラを直せないかと色々試してみたのですが、どうしても解決しません。
よくよく見ると、その米国製の便器はTOTOの便座のサイズにはぴったり合っているのですが、便座の縁の面が平らではないことに気がつきました。
ハァ〜と深いため息が一つ…。
もうこれ以上失敗をしたくないので、TOTOに直接電話をして、手に入れたウォシュレットに合う便器を教えてもらい、それを新たに取り付け直してもらいました。
ふたに貼ってあるのは、「男たちよ、少年たちよ、おしっこは座ってしてね!」というお願い文です。
ここのトイレは生徒たちや親御さんたちがよく使うので、できるだけきれいに使ってもらうように前もってお願いしなければなりません。
そうでなければ、レッスンが終わるたびに、トイレはもちろんのこと、トイレ周りの掃除をすることになるからです。
とまあ、そんなこんなの大小さまざまな騒動がありましたが、2週間弱で工事は終わり、実に快適なシャワー室に変身しました。
いまだにちょっと慣れなくて、どこか違う家の部屋に入っているような気分になりますが、床はベコベコしないばかりか傾いてもいないし、シャワーをする際にどこかに肘や手をぶつけることもなくなったし、物があるべき所にすっきりと収まって、鏡戸を開いても落ちてきません。
15年は長かったけど、夢が叶って本当にありがたいです。
毎年行われるジャズフェスティバル、今年で15回目となりました。
モントクレアは、わたしたち家族が渡米して初めて住んだ小さな町です。
この町を選んだのは、学校教育と芸術に力を入れていて、外国から移住してきた子どもたちのための英語のクラスも充実していたからだったのですが、なにしろ税金がとても高くて、持ち家など夢のまた夢。
なので借家かアパートメントで暮らす以外の選択肢はなく、息子たちが学校教育を終了してすぐに、隣町に引っ越してしまいました。
けれども車で5分も走れば行ける距離なので、今も美味しいものを食べに行ったり、音楽や舞台を楽しみに行くことが多い町です。
わたしたちが引っ越した年から始まったこのジャズフェスティバルは、この町に住む天才ジャズベーシスト(グラミー賞を8回獲得している)、クリスチャン・マクブライドが中心になって行われるようになりました。
毎回、ジャズ界の重鎮がゲストとして出演するジャンボリー、メインステージに向かってゆるい下り坂になっている広い大通りに、思い存分に音楽を楽しもうと大勢の人たちが集まってきます。
毎回、ジャズ界の重鎮がゲストとして出演するジャンボリー、メインステージに向かってゆるい下り坂になっている広い大通りに、思い存分に音楽を楽しもうと大勢の人たちが集まってきます。
この日はだから町が音楽と一体化するのです。
舞台で演奏するのは、有名なプロミュージシャンだけではありません。
マクブライド氏が設立した子どものためのジャズハウスで研鑽を積んだ子どもたちも出演します。
子どもたちはその日だけではなく、前夜祭的に行われる行事で、ジャズだけに限らず音楽界の重鎮と共演するという、素晴らしい経験もできます。
今年のゲストはスティング。羨ましい限りです。
今年のプログラムはこれ。
これはジャズ・フェスティバルのマップです。
お昼の12時から夜の10時まで、ダウンタウンで音楽を楽しみます。
夫とわたしはその日、朝からとても体がだるくて、フェスティバルに行こうかどうか迷っていましたが、日が暮れ始めると我慢ができなくなって出かけることにしました。
夫とわたしはその日、朝からとても体がだるくて、フェスティバルに行こうかどうか迷っていましたが、日が暮れ始めると我慢ができなくなって出かけることにしました。
わたしたちがメイン会場に到着したのは18時前、聴きたかったマクブライド氏の演奏は終わっていましたが、最後の出演者リサ・フィッシャーの歌声が響きわたると、気分は瞬く間に上昇し、空にはお月さまと撮影用のドローンが浮かんでいました。
リサ・フィッシャーは、バックコーラス・ボーカリストとしてスティング、クリス・ボッティ、チャカ・カーン、ティナ・ターナー等の一流アーティストと共演し、リリースしたソロアルバムやシングルレコードでグラミー賞を受賞した人です。1987年、ミック・ジャガーのソロ・コンサートツアーに参加し、その後、ローリング・ストーンズのツアーに1989年から現在に至るまで参加し続けていると後で知って、ああ、だから彼らの曲を彼女風にアレンジした歌を何曲も歌っていたのだなと、夫と二人で納得したのですが、そのアレンジがまたとても個性的で、よくよく注意して聴いていないとわからないぐらいなのです。
フィッシャー氏の舞台が終わり、フェスティバルの最後はDJによるアップビートな音楽が始まると、人々は立ち上がり、思い思いのダンスを楽しみます。
この男の子は可愛いドラマー、肩車してくれるお父さんの頭をノリノリで叩いています。
音楽が体や心にしみこんで、深いところから揺さぶってくる。そんな経験は何度あってもいいと思います。
身の回りにいつも音楽が寄り添っている人生、なんていうと難しく考える人もいるかもしれません。
でもちっとも難しくはありません。
大人も子どもも、そしてもしかしたら動物たちも、音を楽しむ機会はどこにでもあるからです。
わたしはジャズを3年勉強して、自分には無理な分野だと断念した苦い経験がありますが、ジャズを聴くのはとても好きです。
また来年のジャンボリーを楽しみに、来月に控えている生徒たちの発表会の準備に勤しみたいと思います。
ひろしま / Hiroshima (1953) [カラー化 映画 フル / Colorized, Full Movie]
この映画は、広島に原子爆弾が投下されてからわずか9年後の、1953年10月に公開されました。(私事ではありますが、わたしはそれから3年半後の1957年4月に生まれました)。
監督は関川秀雄さんです。
当然、それよりも前に撮影は始まっていたのですから、この映画の中には生々しく激しい感情が映し込まれています。
9万人近くもの市民がエキストラとして撮影に参加したのですが、その中には実際に被ばくした人たちもいて、原爆投下直後の混乱を如実に再現しました。
撮影中、「あの日」のことがよみがえってきて、体調を崩したり、泣き叫んだ人もいたそうです。
この映画は、大手の映画会社の協力は得られませんでした。
『原爆』を落とされた広島の地獄をとことん描いた作品の、一部の場面の削除をめぐり、大手配給会社と製作者との意向が折り合わなかったからだと言われています。
映像があまりに悲惨で、反米的な先導を招くような誤解を受けると、松竹や新東宝などの大手配給会社が尻込みをしたそうです。
「アメリカが真珠湾を忘れないと同時に、日本もヒロシマを忘れない」
「原爆犠牲者の頭蓋骨を外人に売りつけようとする」シーンの2箇所のカットを条件に上映を申し入れたのは松竹で、製作者側がこれを拒否した、と報道されています。
ですから国内では大々的な上映はできずじまいで、徐々に忘れ去られ、「幻の映画」と呼ばれていました。
国外では、1955年のベルリン国際映画祭において、長編映画賞を受賞しています。
2010年台から、自主上映会の活動が始まりましたが、フィルムの劣化が激しいことから、デジタル化をする必要が出てきました。
けれどもそれにかかる費用が莫大なため、なかなか進まなかったのですが、アメリカの映画会社から協力のオファーがかかり、北米で配信が始まりました。
今では日本でも、AmazonプライムやYouTubeで観られるようになっています。
今、このようなきな臭い情勢の中、これは世界中の人々に観てもらうべき映画だと心から思います。
核兵器の恐ろしさ、惨たらしさ、悍ましさを、目で見、耳で聞き、心に深く刻み込んでほしいと思います。
もう一つ、これはアメリカの実写が中心のドキュメンタリーです。
男性ナレーターが句読点無しで話すのがちょっと聞きにくいですが、ぜひご覧ください。
男性ナレーターが句読点無しで話すのがちょっと聞きにくいですが、ぜひご覧ください。
広島の知られざる映像|完全日本語ドキュメンタリー。
#広島の原爆の日
— ふっちゃん (@ashitawawatashi) August 6, 2024
広島県知事 湯崎英彦氏のこの言葉をイスラエル大使が聴いていると思うと、イスラエルの出席は意味があったように思う pic.twitter.com/FavzVaVf0v
広島県知事・湯崎英彦氏のスピーチの一部、文字起こし
先般、私は、数多の弥生人の遺骨が発掘されている、鳥取県青谷上寺地遺跡を訪問する機会を得ました。
そこでは、頭蓋骨や腰骨に突き刺さった矢じりなど、当時の争いの生々しさを物語る、多くの殺傷痕を目の当たりにし、必ずしも平穏ではなかった当時の暮らしに思いを巡らせました。
翻って現在も、世界中で戦争は続いています。
強いものが勝つ。
弱いものは踏みにじられる。
現代では、矢じりや刀ではなく、男も女も、子どもも老人も、銃弾で打ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。
国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と、国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。
それが、弥生の過去から続いている現実です。
いわゆる現実主義者は、「だからこそ力には力を」と言う。
「核兵器には核兵器を!」。
しかし、そこではもう一つの現実は、意図的に無視されています。
人類が発明して、かつて使われなかった兵器はない。
禁止された科学兵器も引き続き使われている。
核兵器も、それが存在する限り、必ずいつか、再び使われることになるでしょう。
私たちは、真の現実主義者にならなければなりません。
核廃絶は、遠くに掲げる理想では無いのです。
今、必死に取り組まなければならない、人類存続に関わる差し迫った現実の問題です。
はだしのゲンの作者・中沢啓治さんが29年前に原爆について発言してた
— イエス・キリスト (@yeskiri) August 6, 2024
「これから先、だれかが戦争や原爆を肯定するようなことを言っても、絶対に信じるな」 pic.twitter.com/77llVd0hEo
広島に原爆が投下されて、50年になる。
当時小学生だった私は、爆心地から1、2キロの地点で被ばくした。
幸い、学校の塀のそばにいたため奇跡的に助かったが、前にいた女性は全身を熱線で焼かれて即死した。
爆風で家並みはつぶされ、街には全身の皮膚を焼かれた人々の幽霊のような行進が続いた。
私の父と姉、弟は、倒れた家の下敷きになり、母が必死で助け出そうとしたが、柱はびくともしなかった。
火災が起きて、弟は、「お母ちゃん、熱い、熱い」と叫びながら死んでいった。
その悲惨さは、とても『地獄』などと言う言葉で表せるようなものではなかった。
以後、私は、『原爆』という言葉から目と耳を塞いで逃げ回った。
あの時の凄惨な光景が目に浮かんでくるからだ。
だが、被ばく後21年間生き抜いた母が死んだ時、放射能の影響か、火葬でボロボロになってしまった遺骨を見て、「原爆は大事な母の骨まで奪っていくのか」と怒りに震えた。
この気持ちをエネルギーに、原爆をテーマにした漫画、『はだしのゲン』を書き続けた。
それは私の自伝で、書いてあることはすべて体験したことだ。
その後、大勢の読者から手紙をいただいた。
「戦争や原爆がこんなに悲惨だとは知りませんでした」
「二度とこんな事は許しません」
という内容がほとんどだったが、これで次の世代にバトンタッチできると思うとうれしかった。
「これから先、誰かが戦争や原爆を肯定するようなことを言っても、絶対に信じるなーー」。
それが、原爆体験者としての私が将来に託すメッセージだ。
(埼玉県所沢市・漫画家中沢啓治 56)
旦那さんの仕事の都合で、ボストンのアパートメントとニュージャージーの持ち家での暮らしを、週に半分ずつに分けてすることになった心友Nちゃん&Jさん夫妻の、ボストンの方のお家に遊びに行った。
ボストンといえばシーフード🐠!
さっそく近所のレストランに連れ立って出かけた。
レストランには、Nちゃん夫妻、NちゃんのFB友だちのTさん夫妻、それから我々の6人が合流し、新鮮で甘みとコクがあってメチャクチャ美味しいシーフードをいただいた。
自分では撮らなかったので、Tさんのfacebookからお借りしました🙂
メニューの中で見つけたこのカクテル、名前を「抹茶プロブレム」という😅。
柚子と抹茶とバニラ風味って書いてあって、その組み合わせの無茶苦茶さに興味がわき、我らかしまし娘3人組は全員これを頼んだのだけど、いやあ、美味しかったっす!
ただ、清々しい柚子の香りとほのかなバニラ風味は確かにあったんだけど、抹茶はどこや?色だけなんか?
食事の後はアパートメントに移動。11階の窓の向こうには、ビルディングと海。いいなあ、やっぱり海が見える街っていいわあ。
さらに高い階にあるラウンジのテラスでワインを飲み直している間に、空がだんだん夕暮れてきて、気がつくと真っ赤な太陽が強烈に、こっち向かんか〜い!とアピールしてるではないか。
目には真っ赤っかなのに、写真に撮るとどうしても白になる。素人だもんなあ…。
翌朝はNちゃんお手製の美味しい朝ご飯をいただき、夫のマッサージチェア初体験が終わるのを待って、Nちゃんたちの散歩コースを我々も歩くことにした。
ものの5分も歩くと海辺…いいわぁ〜ほんとに(何回言う?😅)。
おぉ〜、BOSTON TEA PARTY(ボストン茶会事件)!
これは、アメリカがイギリスの植民地であった時代に勃発した事件だけど、詳しい話は頭の中には残ってなくて、今日改めてググってみたら、この事件がアメリカの独立戦争のきっかけになったって書いてあってびっくりした。
で、ここでは観光客用に、お茶箱を海にぶん投げるショーをやっていて、箱が海に落とされるたびに大歓声が上がっていた。
みんなストレス溜まってんなあ〜。
カヤック体験もできるみたい。
う〜み〜は〜広い〜な〜大き〜い〜な〜🎵
水族館もある。
マーケットもある。
外に出ると花いっぱいの公園に出会った。
花が咲くのかと思いきや、葉っぱがニョキっとな?
線香花火みたいな花。
大きなビルディングや通りを支えてる柱。いつまで大丈夫なんだろう…。
散歩コースの締めはお昼ご飯。
微かに磯の香りがする外のテーブルで、心地よい海風に吹かれながら食べるって、もうそれだけで心が満たされる。
あっという間のボストンだったけど、いろいろお世話になりました。
すごく楽しくて美味しかった!Nちゃん、Jさん、ありがとう!
そして我々は、もう一つの目的地、ボストンから西に3時間弱走った所にあるサラトガという街に行った。
ここでいつもの大ボケが発覚。
何も事前に調べてなくて、だからもちろんホテル以外は予約もしてなくて、わたしはただただ、サラトガという温泉町に行って、素っ裸は無理だろうから水着で温泉に浸かる自分、というのを妄想していた。
ホテルに着いて、夫がおもむろに、そりゃそうとまうみはどこに行って何をするか決めてんの?と聞いてきた。
今回、この町にどうしても来たいと駄々をこねたのはわたしだし、温泉温泉と呪文のようにつぶやいていたのもわたしだったので、夫は仕方なく同行した、という立場の人だ。
だからこの質問はとても正しい。
えっと、あの、州立公園の中に入ったら、なんかいっぱいスパがあるんちゃう?
まうみはスパの意味わかってる?
温泉風呂とちゃうの?
こっちのスパはまうみが想像してる温泉とは違うで。自分で調べてみた?
うーん……。
サラトガ・スパ・州立公園にさえ行けば、そして水着さえ事前に着ていけば、あちこちで湧いてるであろう露天風呂に入りまくれる、などと妄想していただけのわたしは、完全に黙秘状態になってしまった。
慌てて調べてみると…。
あかん、完全にわたしの手落ちだ(いつものことだけど…)。
ルーズベルト・バズ&スパに予約の空きがあるか尋ねてみるも、めちゃくちゃ混み合っていて繋がりもしない。
仕方なく伝言を残し、二人してどんな所なのかを検索していると、夫が興味深い体験談を見つけた。
その男性は、新しいもの、未知のものに対して許容力があるし、決してけなそうとは思っていないが、としつつ、
「狭い浴槽がポツンと置かれた部屋に入ると、水質が原因なのか、どこもかしこも薄茶色の汚れがこびりついていた。温水とはいえ、38℃の湯は温泉に入っているとは言い難く、もう少し熱くしてもらえないかと尋ねると、この温度でないと効能が発揮されないのでできないと言われ、なんだかなあと思いながら20分そのぬるま湯に浸かり、その後服を着替えて外に出た。これで40ドルというのはなあ。僕自身としてはもう一度経験したいとは思わないね」という感想を述べていた。
それを読んだ瞬間に、ルーズベルトはものの見事に消え去った。
そしてわたしは大きな思い違いをしていたのだと、ここにきてやっと思い知ったわけである。
いやあ〜遅いっ!遅すぎるにも程がある!
じゃあ、もう時間もあまり無いことだし、近くのコングレス公園にある湧水を何ヶ所か飲んで、もしもホテルがここがお勧めだと教えてくれたら、そのスパのお店に行って個室風呂に入って帰ろうということになった。
ホテルが勧めてくれたのは、そこから徒歩2分のスパで、個室風呂だけにするつもりがフェイスエステの予約にも空きがあると聞いて一瞬フラッとしたのだけど、価格を聞いて即却下。
夫は対応してくれたフロントの女性が不親切で、こちらの質問にちゃんと答えなかったからと、スパ自体の質を疑ったのか、自分は外で待っていると言う。
せっかくの初体験なのにもったいないと思ったが、説得するのも面倒なので、自分だけで入ることにした。
予約の時間までに1時間ほどあったので、コングレス公園を散策。
まずはこちら。
レストランで出された水と同じ味がした。
この町ではやっぱり水道口から天然水が出てくるんだなあ…。
これはちょっとやばいかも。
恐る恐る飲んでみる→口に含む間もなく吐き出した。
超〜鉱物味。というか、錆びた釘を目一杯詰め込んだコップの水を飲んでるような感じ。
便秘にいいんだそうだけど、これはきつい。
これは一番ショックを受けた水。強烈なサビ味+微かな炭酸。飲めなかった。
水が豊かな土地で育つ木々の伸びやかなことよ。
なぜかここも湧き水がドボドボと流れ落ちていた。
昔は露天浴してたのかな?
この色目のカモを見るのは初めてカモ😅
食事に没頭するカモさんたち。
一休み。
卵を抱いてるのかと思いきや。
奥にこんな楽しそうなものを発見!
回転木馬🐴!もちろん乗った😆!
子どもは無料、大人は1ドル。
スパの予約時間15分前になったので戻る。
店に入る前に夫が、向こうの接客態度が横柄だったらちゃんとしっかりと文句を言え、向こうの言いなりになるな、浴槽や温度に問題があったらちゃんと伝えろ、などなどうるさいったらない。
わ〜かったっちゅうに!わたしだってええ歳してんねんから、嫌やったら嫌やって言うわ!
ぷんぷんしながら店に入る。
まだ時間があったけど、先に2階に上がってリラックスルームでゆっくりしてくださいと案内された。
ドキドキ💜
着替えのロッカールームとリラックスルームを案内してもらう。
こんなのしかないけどご自由に、というコーナーがあって、わたしはもちろんお水をガブガブいただいた。
いよいよ浴室へ。
迷いそう…。
ふぇ〜…いい感じ😍
リラックスと関節炎の痛みを緩和する効果があるオイルとお塩を入れてもらう。
この部屋には全く同じ浴槽がもう一つあって、夫も一緒に入れたのになあ…と思いつつ、いやいや、ひとりでのんびり優雅に過ごすのも良かろうと思い直す。
お湯の温度は41℃。温度の上げ下げは自分でできるようなっていて、ジャグジーも好きなプログラムを組める。
いやあ、ほんと、至福の時を過ごさせてもらった。
というわけで、思い描いていた(妄想していた)お風呂体験とはかなりかけ離れてしまったが、なんかめちゃくちゃ気持ちのいい時間だった。
また絶対に行きたい。
今度はちゃんと予習して、予約して、自分が一体何をしに行くのか分かってから行こう😅!
ご参考までに。
賞味期限ってなんだろう。
賞味期限は、その日付までは「品質が保たれ、おいしく食べられます」という期限です。
賞味期限は、品質が悪くなりにくい食品などに表示されています。 賞味期限を過ぎても、すぐに食べられなくなるわけではありません。
とのことなんだけども、では一体いつまでなら大丈夫なんだろう。
匂いを嗅いでみて、え、なんだかいけるっぽいと思ったらそれでいいのだろうか。
先日、冷凍庫にあった牛肉を菜園で採れたゴーヤと玉ねぎと人参と一緒に炒めたのだけど、その肉の賞味期限が5ヶ月前に切れていて、見た目も霜焼けしていて乾燥している。
うーん、これは微妙だなと思いながら解凍していたら、夫がこう言った。
肉はわざと古くして食べることもある。
なるほど、じゃあまあ料理してみようではないか。
結果は、肉の風味も噛み味も上々で、これまでで一番美味しいゴーヤ炒めが出来たのであった😅。
さらに、相当前から気になりながら、醤油を使った料理は食べない夫のことを考えるとついつい先延ばしになっていた、鯛めしの素を使ってご飯を炊いた。
包装に記されているはずの賞味期限の日時を随分探したのだけど、見つけられなかったので、一番心配な鯛の切り身が入っているプラスティックの袋を開けて匂いを嗅いでみたら、生姜の良い香りがして全く問題がなかったので炊き始めた。
しばらくすると夫が家に帰って来て、何作ってるのと聞くので、これこれ、と包装を渡すと、
「えぇ!これ、賞味期限が2年前に切れてるで!」と言うではないか。
に、2年前…しかも中身は魚の切り身とお揚げさんやし…不安虫がゾワゾワ〜っとみぞおちの辺りにわき出してきた。
でももう炊飯は始まってしまっている。
うう〜ん…でもさあ、前に冷蔵庫の中で5年も暮らしてた奈良漬も大丈夫やったやん。
じゃあこれも冷蔵庫に入れてあったん?
いや…台所のカゴの中。
3分は経っただろうか、お互いに違うところを見ながら無言で立ちすくんでいた時間…。
まあ、もう炊いてしもてるし、できたのを匂ってみて大丈夫っぽかったら食べるわ。
あんたは気持ち悪かったら冷凍庫にあるご飯食べたらええやん。
あんたは気持ち悪かったら冷凍庫にあるご飯食べたらええやん。
というわけで、2年前に賞味期限が切れていた鯛めしの素で炊いたご飯は、我々の心配をよそに、なかなかに美味しく、結局二人で平らげてしまった。
その晩と翌日の朝まで、下痢とか嘔吐とかの不安がちらちらと心の中をよぎったのだけど、二人ともなんともなく、無事に今に至っている。
うちの台所には、そういう賞味期限切れの食品が結構ある。
別に自慢してるわけではないが、出汁昆布などは特についつい時間が過ぎてしまって古くなる。
でも、鍋とかに使うと十分に旨味を出してくれて、後で細く刻んで他の料理に使ってもなお美味しい。
腐りさえしてなかったらいいってことなのかなあ…。
この虫さん、うちのドライブウェイで車体にたかってて、走ったら逃げるだろうと思ってたら、結局一緒にまた家まで戻ってきた。
一体どうやったらこんな小さな体で、風の抵抗に耐えられるんだろう。
車体は黒なんだけど、まるで鏡みたいになっていて、なんか不思議な写真になっちゃった。
放射線を浴びたX年後 Ⅲ
サイレント・フォールアウト 乳歯が語る大陸汚染
サイレント・フォールアウト 乳歯が語る大陸汚染
ネバダ州の核実験から広がった“見えない放射性下降物”
アメリカ大陸の放射能汚染の実態に迫る渾身のドキュメンタリー
アメリカ大陸の放射能汚染の実態に迫る渾身のドキュメンタリー
1951年、アメリカ大陸ネバダ核実験場で大気圏内核実験が始まった。
計100回に及ぶ実験は、アメリカ大陸を放射能汚染。
それを実証しようとしたのは女性たちだった。
「子どもの命を守りたい」。
彼女たちの思いと行動が国を動かした歴史的事実とともに、放射能汚染に向き合う30人の証言と当時の文書から、いまなお潜む、“サイレント・フォールアウト、見えない放射性降下物”の実態をあぶり出す。
元ローカルテレビ局ディレクターで、ドキュメンタリー映画監督の伊東英朗によるシリーズ映画「放射線を浴びたX年後」第3弾。
過去2作品では、アメリカによる太平洋核実験で被曝した、マグロ漁師たちの被害を取り上げてきた。
今回は、1950年代から60年代にかけて、アメリカ・ネバダ州で実施された核実験による、アメリカ大陸の放射能汚染を追った。
本作は、子どもを被曝から守るために女性たちが始めた「乳歯検査」を中心に取材。
4000ページを超える文書と、2022年夏に米国内の被爆者、研究者30人に行ったインタビューをもとに、今も続く放射能汚染の現実を伝える。
以下は、この映画について書いた、昨年の11月の記事です。興味がある方は覗いてみてください。
そして先週の土曜日に、マンハッタンで行われた上映会に行って来ました。
軍事拡張のためと言って、空いてる場所ならどこでもできるとばかりに、周りに暮らす人々の健康や命のことなど無視して、核実験を繰り返す人たち。
核爆発を見せ物のように宣伝し、そこに集って見物する人たち。
狂っているとしか言いようが無いけれど、そうやって人類は破滅と皮一枚隔てたところで、仮想世界の平和につかまりながら生きてきた、そして今も生きているような気がします。
前に書いた記事から引用させていただきます。
映画監督でありTVディレクターである伊東が、2004年から追い続けているテーマがある。
それは、原爆、原発、核、水爆実験などと切っても切り離せない放射線だ。
1942年から始まったマンハッタン計画は45年の原爆投下に繋がり、続く核実験、54年のビキニ環礁水爆実験で被曝した第五福竜丸は氷山の一角で、62年にかけて米国や英国が太平洋で行った水爆実験の数々で被曝したであろう日本人たちは数知れない。
このテーマを追い続けているのには理由がある。
ビキニ事件における放射線の被害を調査し、報道を続けている人が他にいないからだ。
「僕が止めてしまうと、この調査はストップしてしまいます。放射能がいかに私たちの生活にとって脅威であるかということにみんなが気がついて、事実を突き止めようと動き出してくれる人が出てくるまで、僕がやるしかないと思っているのです」
伊東は元々、奏者になることを夢見てトランペットを演奏していた。
「僕が止めてしまうと、この調査はストップしてしまいます。放射能がいかに私たちの生活にとって脅威であるかということにみんなが気がついて、事実を突き止めようと動き出してくれる人が出てくるまで、僕がやるしかないと思っているのです」
伊東は元々、奏者になることを夢見てトランペットを演奏していた。
養護学校で音楽を教えたかったが、それが実らず、就いた仕事は幼稚園の先生。
映像について勉強をしたこともない伊東は、映画監督になるとは夢にも思っていなかった。
「もともと、僕は子供たちに教えることが好きで、幼稚園の先生を16年やっていました。いわゆる公務員です。40歳の時、教育委員会への異動が決まり、現場で教えることにこだわっていたので、退職届けを出しました」
自称「変な人」を名乗るように、幼稚園教師から映画監督になった人間は世の中に数えるほどしかいないだろう。
「もともと、僕は子供たちに教えることが好きで、幼稚園の先生を16年やっていました。いわゆる公務員です。40歳の時、教育委員会への異動が決まり、現場で教えることにこだわっていたので、退職届けを出しました」
自称「変な人」を名乗るように、幼稚園教師から映画監督になった人間は世の中に数えるほどしかいないだろう。
その伊東監督が、今回の上映会でお話しされた内容(質疑応答も含む)を文字起こししました。
いきなり冒頭から前略ー(なぜかというと、録画のボタンを押すのを忘れて、隣の人に教えてもらって慌てて録画を始めたので😅)
まず日本の話をする前にアメリカの話をします。
これは線量計です。いつも持ってます。
こうやって測ります。
2年前アメリカ全土を取材しました。
その多くのポイントで、安全基準値を上回っています。
今現在がその状態です。
皆さんは、そのアメリカに暮らしています。
じゃあ日本はどうなのか。
日本はとてつもない状態です。
それはなぜかというと、アメリカの水爆実験のフォールアウト、ロシアの水爆実験の影響、それはでも、1963年にケネディ大統領が中止宣言をして、ロシアとアメリカとイギリスが中止しました。
だから63年でその影響は終わっています。
ところが翌年、中国が核実験を始めます。
1980年代まで、中国は大気圏内核実験を行いました。
日本は、ひどく、長く、放射能汚染をし続けています。
その上に、1980年代にチェルノブイリの事故が起こって、相当強く放射能汚染をしました。
そして、今お話しされた、2011年、福島第一原発事故は、想像を絶する放射能汚染を日本に撒き散らしました。
科学的に言うと、東京の東側は人が住めません。
ところが日本政府は「安全です」と言います。
だから何も問題はありません。
今日、皆さんにお話をしている僕は日本人です。
なんで日本人に俺たちは言われなきゃいけないんだと、そう思う人もいるかもしれません。
でもちょっと待ってください。
僕は人類の中の一人です。
だから言う権利があります。
皆さんに事実を伝えたいと思っています。
また二つ、お話をしたいことがあります。
5分間辛抱してください。
アメリカの奇跡に気がつきましたか?
アメリカのネバダでは地下核実験が828回行われています。地下です。
もし、1950年代、60年代、自分たちの子どもの安全を確保したいお母さんたちが、女性たちが、もし動かなかったら、もしケネディ大統領が大気圏内核実験を中止することを決断しなかったら、もし828回の地下核実験が地上で行われていたら、アメリカ大陸は人の住めない大陸になっていました。
これはアメリカの歴史上最も重大な事実の一つです。
だけど、アメリカの多くの人たちはこの事実を知りません。
今日皆さん、映画を観て事実を知りました。
何をするか、分かってますよね。
知らせてください、皆さんに。
悲しい話ばかりじゃないんです。
アメリカには希望があります。
奇跡が起こる国なんです。
来年、原爆がアメリカで生まれて80年になります。
(この会場には)女性がたくさんいます。
奇跡を起こしましょう。
そしてもう一つだけ、大切なことは、自分たちが被爆者であるという自覚を持つということです。
これが全てのスタートです。
遠い話ではありません。
放射能の問題は遠い話ではないんです。
皆さんの国は核兵器を持っています。
世界で最も強い国と言われています。
ちょっと皆さん、聞きたいんです。
核兵器は、国を守るためのもの、ですよね?
でも、核兵器を持つために、皆さん自身、皆さんの子ども、お父さんお母さん、兄妹、友だち、親戚、皆さんの健康と命を差し出しています。
じゃあ一体、核兵器は誰を守っているんですか?
アメリカ国民ですか?
アメリカという国?
国と国民は違うんですか?
そして最も大切なことは、その事実を知らされていません。
いいんでしょうか?
僕は、そのことに怒りを感じます。
もし怒りを感じたら、ぜひ議論をしてほしいんです。
殴り合うんじゃないんです。
議論をしてください。
日本人としておこがましいですが、人類の一人として皆さんにこのことを提案したいんです。
だから、この映画を作って(感極まって言葉に詰まる伊東監督…彼のこれまでの奮闘を思うと、こちらまで胸が熱くなる)アメリカで上映をしています。
映画を作る過程で驚いたこと。
それは女性の名前を、そこにどう記録するかということです。
その当時、女性の名前は、夫の名前がフルネームで書かれます。
その後ろに、その妻、と書かれます。
あの当時、女性は夫たちの持ち物だったと、そういう人権だったということです。
その女性たちが、力を合わせて、行動を起こして、ケネディ大統領を動かしました。
今だったらもっともっと、行動を起こして成功できる可能性が高い時代です。
僕はアメリカに来て、アメリカで、先ほど言いましたが、議論をしてほしいんです。
これは友だちでもいい、家族でもいい、職場の人でもいい、その声を大きくしていくことが今必要です。
そして僕が最終的に目指しているのは、アメリカ議会でこのことを議論することです。
そして皆さんの中に、バイデンの友だちの人はいませんか?
ようバイデン、聞いてくれ。
(会場から、「でも、トランプの可能性もありますよ」と言われ)、トランプも(と苦笑)。
なんでもいいです、とにかく皆さんで声を上げて議論をして、この世論を大きくしてください。
僕はこれ、アメリカの人たちにお願いしたいことです。
今ここに、成功例は残念ながらありません。
僕が測って驚いたのはセントルイスです。
普通に歩いている時はそんなに高くないです。
でも、雨が落ちて、雨樋を通って、雨樋の下に水が落ちます。
そこで測ると基準値を超えています。
なぜかというと、放射性物質が風で運ばれて、雨で落ちて、落ちたものがその場所に溜まり続けるからです。
それを飲んでいるわけです。
それは、ミツバチがセシウム137を一生懸命集めて、濃縮してしまうのと同じ原理です。
アメリカでも日本でも同じですけども、オーガニックの野菜を気をつけて食べておられる方がいらっしゃると思いますが、オーガニック野菜には農薬は入っていません。
でも、放射能はもれなく入っています。
今の世代の子どもたちの乳歯テストが行われているかどうかは知りません。
でも調べることはすごく大切だと思いますが、核を推進する人たちにとってみると、それはやって欲しくないことです。
調査をしないということは『無い』ということとイコールなんです。
だから調査はしません。
視聴者からの質問
ネットで観られる、例えばNetflixとか、アメリカの多くの人たちに観てもらえる方法があれば、せひ教えてください。
伊東監督
今、YouTubeにもし流したとしても、誰も観てくれません。
視聴者
YouTubeからでも始めたら、それはいいきっかけになると思う。
伊東監督
ありがとうございます、やってみます。
視聴者
乳歯検査については、ジョー・メンガーノ氏に尋ねてみたらどうか。
www.radiation.org
www.radiation.org
社会に蔓延る問題に抗議し、それが相手に伝えられ、問題の解決に取り組ませる、あるいは止めさせる有効な方法というのは難しいと思います。
なぜかというと、日本だと私たちの政府がどう考えるか。
アメリカだと、皆さんの政府がどう考えるか。
そこに全て、あります。
日本政府は、汚染水を、安全だと言っています。
安全だから海洋に流す。
それを止めることはすごく難しいです。
日本でもたくさんの人たちが、福島の問題で頑張っています。
東京電力や日本政府を訴える裁判がたくさん行われています。
でも、ほぼ、全て負けています。
だから何をしないといけないのか。
だから僕はここにいます。
すごく遠回りなように見えるんですけども、アメリカの人たちが変わることで、その日本の問題も、世界の放射能も問題も、変わっていくと僕は考えています。
僕は、映画を、今回の映画は3作目です。
2作の映画は、日本国内で、300カ所で上映されています。
上映会場に行って、呼びかけています。「行動を起こしてください」
残念ですけど、一件も行動が起こりませんでした。
僕は絶望感を持っていました。
でも、そんな中、アメリカのルイーズ・ライスさんたちが起こした奇跡を知りました。
アメリカには希望がある、そして奇跡が起こると、僕は確信しました。
原子爆弾が生まれたこのアメリカで声が上がれば、世界の核の問題が大きく変わると、僕は考えています。
こんなことを皆さんに押し付けて申し訳ありません。
今回の、この北米上映ツアーの目標があります。
まず、アメリカ議会でこの問題を議論してもらう、ということです。
例えば、今、ロバート・ケネディさんにもアプローチをしています。
でも、彼は忙しい。
そして、もう一つはSDDs、国連が決めた環境問題のルールです。
その1番の目標は今、カーボンニュートラルになっています。
CO2の問題が、世界の環境の中で、最も重大な問題だというふうにSDDでは決められています。
でも皆さん、映画をご覧になって違うと分かりましたですよね。
CO2の問題、カーボンニュートラルも大切なんだけども、今、最も緊急性を要するのは、放射能による環境問題なんです。
今、SDDのメンバーにもアプローチをしています。
その1番の目標に、放射能による世界的な環境汚染という文言を入れてもらう。
そうすれば、世界の企業、いわゆる経済で動く企業が、放射能にエクスキューズをしていかないといけないようになるんです。
経済が変わることはすごく大切です。
軍事予算で儲けるんじゃなくて、放射能による環境汚染を改善することで儲けましょう。
大切なのは、反核、反原発、強い言葉を言うだけではなくて、経済を変えていくことがすごく大切です。
僕はそのことを実現したいと思っています。
日本では、hahaプロジェクト、ピースピースプロジェクト、それから歯歯(母・マザー)プロジェクトというものがありました。
活動しましたが、歯はほとんど集まりませんでした。
それから、1950年代、60年代、日本からも5000本以上の歯が、ルイーズ・ライスさんのところに贈られています。
集めたのは、国立衛生研究所、日本国の機関が集めました。
残念な結果ですけど、その歯にもストロンチウム90が入っていました。
ちょうど、僕たちの世代です。
僕は63歳です。
ちょうど僕らの歯です。
それで、歯の乳歯プロジェクトのこともまた映画化したいんですけども、僕はアメリカに来て、ほんとに驚くことばっかりなんです。
アメリカには放射能の問題がありすぎて、僕はもう頭が爆発しそうなんです。
例えば一つ、撮影の時のエピソードを話したいと思います。
(映画の中で)ラスベガスで車を運転してくれたジムさん、マスクしてましたですよね。
しかも、医療用のマスクです。
なぜ彼はマスクをしているか。
ラスベガスは、条例で、砂埃を上げてはいけないということになっています。
ジムさんは、軍を退役してから30年間、水を撒く仕事をしていました。
砂埃と水撒き、皆さん想像できますよね。
彼は、砂埃がたたないように水を撒く仕事をしていました。
なぜ水を撒かないといけないのか。
砂埃の中にプルトニウムが入っているからです。
プルトニウムは、地球上で最も危険な物質と言われています。
半減期が2万年以上です。
生まれると永久に人体に影響を及ぼします。
最も危険な状態は、気化した状態です。
0.0003グラムを吸い込むと肺がんになります。
だからジムさんは医療用のマスクをしています。
僕も彼の家に行くと、彼が急いで、マスクを僕たちに渡して、早くしろと。
観光客に言ってるのかと言うと、全く言っていないと。
みんな知らないで、カジノで遊んでいます。
それからもう一つ、ラスベガスの話で言うと、ラスベガスって今、人口4~5百万人ぐらい、相当大きな都市ですね。
ジムさんも言ってましたけども、元々は3~4万人の小さな町でした。
なぜ大きな街になったのか。
核実験ツーリズムです。
核爆発が起こる前に、ちゃんと告知をして、何月何日何時に爆発するというふうに宣伝をします。
そうするとアメリカ中から観光客が、キノコ雲を見るためにやって来ます。
ホテルのベランダで、ワインを飲みながら、核実験を見ます。
それが全米で大流行りしたんです。
それがきっかけで、ラスベガスは大きな街になりました。
そういうこともアメリカの人たちに知ってもらいたい。
そんなことがアメリカにはあり過ぎて、僕は何から手をつけていいのかわからない。
視聴者からの提言
・オペレーション・ベイビートゥース(乳歯作戦)というタイトルの映画を作ってみては?
・誰も聞きたくない話ではなく、お説教にならないような内容の映画を作ってほしい。
・放射能フリー経済を推進する企業を育てるというプロジェクトを立ててみては?
今までの間に、2000回以上の上映をしています。
人が生きていく中で合理性を追求すると、やっぱり今電気なんですよね。
やっぱり少し、アナログになってもいいんじゃないかな。
ドクター・ライスのことは、(今日も会場に来ていた)ジョセフ・マンガーノという方が書いた書籍で知りました。
彼女のことだけでも映画が一本できると思います。
わたしは、伊東監督は本当にすごい人だと思います。
人類の健康と命を脅かし続けている放射能汚染の現実と実態を世に知らしめ、知らず知らずのうちに被曝させられた人々にその自覚を促し、汚染を発生させた犯人に補償させる。
放射能汚染を、国際的な環境問題として捉え、実践的で現実的な改革を起こす。
その目標を達成するために人生を賭けておられます。
この映画を世に広めようと行動し続け、1000万円以上もの赤字を抱えてもなお、前に進もうと闘われています。
2度に渡り、クラウドファンディングが行われましたが、コロナ禍の発生や円安が続く中での海外取材や上映会には、予想をはるかに超える費用がかかります。
今現在は終了したクラウドファンディングのページを紹介させてください。
ここに全てが書かれています。
どうか目を通してください。
そして、再度ファンディングが行われる際には、お知らせをさせていただきますので、皆さんのご協力を心からお願い申し上げます。
そして、再度ファンディングが行われる際には、お知らせをさせていただきますので、皆さんのご協力を心からお願い申し上げます。