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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

アラセブの挑戦

2025年04月25日 | 音楽とわたし
ピアノの調律を自分でやってみよう。
ずっと考えていたことなのですが、先日から実践してみることにしました。
これまでに何人もの調律師さんと出会っては別れ、また出会っては別れというご縁を繰り返してきましたが、相性や音の好みがピッタリ合うという人に出会うことは本当に難しいですね。
今、わたしのピアノたちがお世話になっている調律師のマーティンは、長年の付き合いだった元調律師さんのお弟子さんです。
元調律師さんはフロリダに引っ越してしまったので、わたしの好みをよく知る彼が、マーティンを紹介してくれたのでした。
そのマーティンが、冬の終わりに、音がシャンシャンしてきた生徒用のピアノを、全体的に丸くて柔らかな音色に変えてくれました。
これで複数の生徒から苦情が出ていた、「どんなに気をつけても弱い音や柔らかい音が出せない」という問題が解決したのですが、なぜか今回はわたしのピアノとの音程が合わない鍵盤がいくつもあって、一緒に弾くのが苦痛でなりません。
それで急遽、問題の鍵盤だけの調律をお願いしたのですが、彼とのスケジュールがなかなか合わなくて、やっとのことで再度調律してもらったにもかかわらず結果はあまり芳しくありません。

また来てもらうのは気が引ける。
けれどもこんな状態ではレッスンが苦痛になる。
自分でやってみるか。

わたしは調律の作業を見るのが好きで、調律師さんが変わるごとに眺めてきましたし、絶対音感もあるので、見よう見真似でできると過信していました。
なので簡単に考えていて、ネットで評判の良さそうなチューニングハンマーを買い、それだけでもうすっかり調律師になった気分でいたのでした。
そして第一日目、そのハンマーを見た夫の、「そんなチャチな工具で大丈夫なのか?」と訝る声を思いっきり無視して調律開始。
まずは調律したい鍵盤のピンはどれかをしっかり確認します。
そしてピンにハンマーの先をはめ込んで、クイッと回すと…。
結果から先に言うと、とんでもないことを始めてしまったと、ものの3秒くらいで思いました。
そもそも、一つの鍵盤に三つの弦が関わっていることすら頭に無かったほどの阿呆だったし、生徒用のピアノの音に合わせたら良いのだからと、音叉もチューニング機能アプリも使わず、ただただ雰囲気のみでやってしまったのでした。

ものすごく長い時間をかけて、たった2音の調律を終え、じんわりと汗をかいた(多分脂汗)まま、慌ててYouTube先生に調律の器具の選び方と調律の仕方について教えを乞いました。

数件のビデオを観ながら(よくも弦を切ってしまわなかったことよ)と冷や汗をかき、自分がいかに無謀なことをしていたかを大反省。
今度はちゃんとした工具を注文し、教えてもらったことを参考に、弦の音をミュートするゴムウェッジなるものも使いながらやってみました。

ピアノの調律は100%を目指さない。80%がいい感じ。
1日5分程度の短い時間で1音だけ調律していく、というような軽い感じでやっていく。
いやはや、ピアノの調律というのは実に大変な作業であることを、今更ながら学びました。
でも、調律ってなかなかに楽しいです。
アラセブの手習いとして、末長く練習していこうと思います。
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やっと見えてきた春のお顔

2025年04月24日 | 日本とわたし
春は桃色、春は黄緑、春は乳白の温かさ。
そしてそこらへんの隅っこで輝く鮮やかな黄色。
この季節が一番好き。
繰り返される命の芽吹きを見せてくれる春を見ているだけで、あなたはあなたのままで、そのままで生きていていいんだよっていう柔らかな声が聞こえてくる。

ご近所さんの春のお顔






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海の災難

2025年04月22日 | 家族とわたし
家猫の弟分、海(KAI)が体調を崩してから2週間が経ちました。
リサイタルが近づいていた頃から、1日に数回嘔吐をするようになり、獣医に連絡をしなければと思いつつ、予約を取ることができないまま日が過ぎて、ついには便が緩くなってきました。
嘔吐も下痢も、数日経ったら自然に治っているという今までのパターンは、ただの幸運に過ぎなかったのでした。
そしてそんな飼い主の身勝手な希望的観測のせいで、不快で苦しい症状を持ち続けなければならなくなった海は、体重が2キロ近くも落ちてしまい、撫でると背骨や頭頂骨がコリコリと手に当たります。

わたしはだから、ごめんねごめんねと心の中で謝りながら、彼の体から噴き出される汚物の処理をし続けているわけなのですが、彼の便がとうとう完全な液状になってしまった夜は、まさしく悪夢そのものでした。
まだその頃は、近いうちに発生するであろう最悪の状況を想定し、対策を練り、対処する方法を予め準備しておく、という考えがありませんでした。
悪化する、というふうに考えたくなかったのかもしれません。
病院に連れて行かなければと思いながら、ぐずぐずしていた我々のせいで、海の容態はどんどん悪化していったのでした。

海は猫です。
猫は訓練しなくても排便は必ず猫用トイレで行い、した後は丁寧に、徹底的に、猫砂(我が家では紙を棒状に圧縮したもの)を足で掻いて隠します。
なのに彼は、それができなくなってしまいました。
液状になった便は、彼の意思とは関係なく、時と場所を選ばずに垂れ落ちてしまうからです。
そのことに彼はとても動揺し、困惑し、わたしに叱られると思うのか、部屋の隅に行ってすまなさそうに俯くのです。
その姿を見ると余計に申し訳なくなり、全く怒っていないし、あなたは悪くないんだということを伝えたくて微笑みながら話しかけるのですが、なかなか伝わりません。
もちろん、その刺激臭といったらもう、半端ではありません。
一瞬クラクラするほどの悪臭にたじろぎますが、さっさと拭き取って密閉してしまわないと、家中に臭いが充満してしまいます。
その夜はだから、一滴のブツも見逃すまいと、ありとあらゆる所を懐中電灯で照らしながら(うちの床は全て板貼りなので保護色になって見つかりにくいのです😅)、見つけては拭き、また見つけては拭き、という作業を続けました。
相手は猫だから、どんな狭い所でも通り抜けるし、階段の上り下りもするわけで、特に腹に力が入る動作をしたであろう場所を念入りに調べていきました。
その作業をする間、辛くて、申し訳なくてたまりませんでした。
散々な夜をほぼ徹夜で過ごしたわたしは、心身ともにボロボロになってしまいました。
そんな姿を見た夫が、ホリスティック治療をする獣医の予約を取り、海を連れて行ってくれました。
それが壮大なるカオス第一夜。

夜が明け、ヘロヘロの頭で考えたのは、もう2度と同じことは繰り返したくないの一点のみ。
海を抱き上げると必ず衣服にブツが付くので、抱き上げは禁止。
カウチ全体をビニールシートで覆い、その上に洗濯しやすい薄手の布と大きめサイズのバスタオルのお古を敷きました。
朝ご飯の後は外に出るので、家の中が汚れることにはなりませんが、夜ご飯の後は外には出られません。
食べ終わって2時間ばかり経つとカオスの始まりがやってきます。
2日目の夜は夫が前半を手伝ってくれたものの、やはり後半はわたしだけの作業になり、再び寝不足に。
今回ばかりは獣医に即効性の下痢止めを処方してもらってとお願いしたのですが、獣医も夫もその考えには賛成してくれず、このままではまた眠れないと思ったわたしは、思い切って海を台所に軟禁しようと提案しました。

3日目は、2階の洗濯室に置いてある猫トイレを1階に降ろし、海を台所に閉じ込めました。
海は台所を拠点とし、台所の窓に取り付けられた猫窓から裏庭に出ることができます。
午後6時以降は台所のみになりますが、夕飯後に例のカオスが始まった直後に、すっかり暗くなった外に出してみました。
粗相は外で、という提案を海は理解してくれるかどうかの実験です。
普段は夕方の6時に、季節柄まだ明るくても家に戻るというルールを守らせてきたのですが、今は非常事態なので仕方がありません。
でも猫たちは大いに混乱し、一体全体どうなってるのかわからなくなり、だからルールも常識も吹っ飛んでしまったところにようやく春がやって来たので、毎日の決まりもいつもの暮らしもどこかに消えてしまいました。
そんなこんなの大混乱の中、海が無理矢理こじ開けた猫窓のレバーがおかしなことになってたからか、2匹とも朝まで部屋の中に入れずにいたのが今朝の出来事。
今日は空を台所に入れなくして、2匹を完全に隔離しました。

4日目の明け方の便は完全な液状ではなく、少しですが固まりが混じっていました。
全体重の4分の1を失ってしまい、一時期深刻な状況に陥っていた海ですが、昨日あたりから少し元気が戻ってきたようです。
夫が処方した漢方薬と獣医からの漢方薬を混ぜた餌の味にも慣れてきて、食べる量も少しずつ増えてきました。
2週間以上もの間、あれだけ吐いてあれだけ出してきたのだから、お腹の中はずいぶん荒れてしまっているでしょうし、すぐに前みたいな状態になれるとは思っていませんが、彼の食欲が途絶えることがないことが唯一の支えになっています。

思えば液状便になったあの夜がどん底だったと思います。
わたしの人生にはいろんなどん底が目の前に現れては消えていきましたが、その度に必ず思うことがあります。
ああ、これが一番底だなあ。もうこれ以上落ちることはないなあ。これからはずっと昨日よりはマシ、今日よりはいい感じ、みたいな日が続いていくんだなあ。
今回もどん底が見えたので、今はもう這い上がっていくのみ、希望がふつふつとわき上がってきました。
海、しんどい思いさせてほんとにごめんね。
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春生まれ68歳と桜

2025年04月22日 | ひとりごと
先週の火曜日に68歳になりました。
父は68歳になった翌月に救急車で病院に運ばれ、そのままスキルス性胃がんの末期の治療を受けながら、余命宣告通りに2000年の2月に亡くなりました。
最後の最後まで死にたくないと足掻いていた父の執念を、その当時の彼と同い年になった今、ようやく理解できたような気がします。

真っ赤な薔薇がよく似合う、我が家のフラメンコ猫。

バースデーの朝食を夫が作ってくれました。
初めてうちで焼いたプランテインとスクランブルエッグがなかなかに美味しかったです。

生徒の半数以上が春休みで旅行に出かけたので、平日の火曜日なのにレッスンが無く、じゃあマンハッタンまで行って、息子夫婦たちと一緒にお祝いディナーを食べようということになりました。
息子が『鳥心』という、美味しいと評判の焼き鳥屋さんに予約を入れてくれました。

撮ってもらった写真をジブリ風に。



リサイタルが終わり、誕生日も無事に迎えられたし、気温もそこそこ上がってきたので、ようやく荒れ果てていた前庭の掃除をしました。

レンガ道が顔を出してくれました。

牡丹の芽が出てきて、水仙やチューリップなどもようやく花を咲かせてくれました。



中庭の野生のヒヤシンスは、花が重いからか地面に横たわってしまっていたので、部屋で楽しませてもらうことにしました。




ポンちゃんの満開の花びらが、風に乗って舞い降りてきます。

その頃、裏庭のソメイ姉妹はまさに満開を迎えていました。

蜂さんがひっきりなしにやってきます。


昨日、強い風に吹かれた花びらがみるみるうちに減ってきたので、お別れを言いに行くと、花びらの色が薄桃色に変わっていることに気がつきました。
ソメイヨシノって、散り際に頬を染めるのかな。


長雨、低温、強風などなど、いつになったら春が来るんだろうと鬱々とする毎日が続いていましたが、一昨日ごろからようやく、ああ春になったなあと感じられるようになりました。
この年から、わたしは父の無念を胸に、父が生きられなかった時間を、できれば健康に、幸せに、彼の辛かった気持ちが少しでも薄らいでいくよう願いながら生きていこうと思います。
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リサイタル無事終了♪♪

2025年04月12日 | 音楽とわたし
親愛なるサラのソロリサイタルが無事に終わりました。
彼女のパートナーとして演奏し始めてからもう何年経ったのか、多分少なくとも15年以上だと思うのですが、彼女は初めて会ったその時から、ずっと素晴らしいバイオリニストです。
そんな彼女のリサイタルのお手伝いができたことはとても光栄なことでした。

昨日は自作曲の『OKINAWA』と、詩的で情緒的な、バイオリニストにとってはかなりの難曲である『The Lark Ascending』をサラと演奏しました。
『OKINAWA』の最初の和音を弾いた瞬間に、なぜだか右足のふくらはぎがぴーんと攣って、え?え?え?と初っ端からパニックに。
ペダルを踏むたびに痛みが走り、いや、これ、一旦音楽を止めさせてもらおうかどうしようかなどと考えたり、なんのこれしき、音楽に集中するんだまうみ!と励ましたり。
せっかく一音一音、時間をかけて音作りを頑張ってきたのだから、それを無駄にしてしまうのだけはやめようと思ったり。
そういう小さな葛藤は、多分ほんの一瞬のことなんですが、我ながらどうしていつも何かびっくりするようなことが起こるのだろうと思います。

そんなこんなの演奏でしたが、聴きにきてくれた三郎さんが、とても素敵なコメントをFacebookに書いてくれたので、それをここで紹介させてもらいます。

まうみさんのピアノ演奏を聴きに行った。
彼女に会ったのは、総領事館前のスタンディングや、玉城デニー知事が来た時の歓迎集会だったので、ピアニストとしてよりも、アクティビストとして知り合った気がする。
会場は7番街28丁目のオペラ・アメリカズ。
彼女の作曲した「OKINAWA」という曲は、何年か前、コロナの前にカーネギーホールで初演されたのだったが、ぼくは用事が重なって聴けなかった。
だからとても楽しみにしていた。
彼女のブログには、「沖縄の不屈の歴史に思いを馳せながら書いた曲ですが、同時に沖縄への讃歌でもあります」とあった。
バイオリンが奏でるアジア的なメロディを支えるように、平和を求めてたたかう沖縄の人々の心情を、ピアノが波のように繰り返す。
ぼくが映画を作るなら、この曲を使いたいなと思った。

そしてもう一つ、サラがこんなメッセージを送ってくれました。

私の教師仲間の娘さんは、典型的なティーンエイジャーなんだけど、私のところに来て、あなたの曲でどれだけ感動したか、音楽から沖縄を想像できたかを話してくれたの。
そして家に帰ってピアノの練習をしたんだって。
あなたは彼女にインスピレーションを与えたのです!

平日の夜に、忙しい毎日の中、聴きに来てくれた人たちみんなに、心からありがとうを言いたいです。


さて、そんなリサイタル当日の朝、わたしは何をしていたか…。
寝室に置いてあるキンカンの水やりを怠っていたので、慌てて水をやり、何の気なしに実を触ってみたら、皮に張りがないことがわかりパニックに。
今回は実が熟すタイミングも実の大きさもまちまちだったので、先に熟してから時間が経っている実が、後続の実を待ちきれずに弱ってしまっていたのでした。

これはいかん!と、慌てて冷凍することにしました。

君たちも1日も早く熟しておくれ!

午後からは雨になると聞いていましたが、空はピーカンの青空です。
ずっと雨に濡れそぼっていたポンちゃんとソメイ姉妹の写真も撮っておかねば!





歩美ちゃんからお裾分けしてもらったあやめも、元気に伸び上がってきました。

さあ、今日もまた仕事仕事!
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デモとスプリングコンサートとリサイタルと

2025年04月07日 | 音楽とわたし
昨日の5日は、『HANDS OFF!』デモが全米各地で行われました。
これまでずっと、こういう抗議行動には一切参加しなかった夫が、しとしとと冷たい雨が降る午後に、初めて出かけて行きました。
このデモは、トランプ政権の移民政策と、イーロン・マスクが率いる政府効率化部門が主導する連邦政府職員の大量解雇に反対するため、民主党の活動家たちが組織したもので、ここニュージャージーではコーリー・ブッカー議員が各会場を回って民衆を鼓舞しました。
彼は米連邦議会上院の民主党議員で、先日の1日に上院で、ドナルド・トランプ大統領に対する抗議を象徴するマラソン演説を、25時間4分もかけて行った人です。
丸一日以上にも及ぶこの演説中、彼はずっと立っていなければならず、トイレ休憩も許されていませんでした。
すごい人です。
トランプ政権については、考えていることが山ほどありますが、具体的に話せるほどにまとまっていません。
身近では、イーロン・マスクによる解雇のために職場を失ってレッスンに来られなくなった生徒が2名います。
そして今回のこのデモに、参加したくても万が一のことを考えると恐ろしいと言って、参加できない人を何人も知っています。
抗議デモの行進のそばを通りかかっただけの大学院生が巻き込まれ、警察に捕まりはしましたが何の嫌疑もないので当然釈放されたのに、なぜかその事実を理由に身柄を拘束され、国外退去を命じられました。
移民だったからです。
そういう、極めて個人的な小さな出来事や行動までが監視され、それを元に暴力的に国外退去を命じられたり職をもぎ取られたりする様を目の当たりにすると、人々はどんどん萎縮し、殻に閉じこもっていきます。
ブッカー氏はそういう一般市民が被っている恐怖政治について、丸一日をかけて演説したのでした。


さて、わたしはというと、木曜日の夜にリサイタルを控えていて、気分はもう舞台の上。
そして、夜にはマンハッタンで行われるACMAのスプリングコンサートを聴きに行く予定だったので、今回はデモには行きませんでした。

スプリングコンサートは、いつものこの素敵な教会で開催されました。


今回の演奏会では、初めて見たものがいろいろありました。
真ん中の奏者が吹いているのはアルトフルート、そして右側の奏者が吹いているのはバスフルートです。
厳かな、温かくて深い響きです。


そしてこの方は、アルトサックスとピアノのための曲を作曲し、それを自分一人で同時演奏しちゃってます😳。


この夜もとても寒くて、ブルブル震えながらマンハッタンの街を歩いていたのですが、頭上では深い霧が立ち込めていました。



さて、今度は自分の番です。
練習を重ねるごとに、あ、ここはこういうふうに弾いた方がいいのではないか、この音はこんな響きに変えてみようかと、アイディアが次から次へと浮かんできて、時間がいくらあっても足りません。
こんなことを言うと、ほんとに何を今更なのですが、わたしはこの歳になってやっと、自分が良かれと思って弾いていても、聴く人にとっては聞き心地の良いものではない音を見つける作業を、根気よく繰り返すようになりました。
そのためにはまず録音をしなければなりません。
自分が弾きたいように弾いていた部分を、一音一音磨きをかけたり空間に放ったりしていると、だんだんと歌になってきたような気がします。
歌っていたと思い込んでいたそれは自己満足の押し付けで、耳障りな音がたくさんありました。
今回の舞台で、この練習が十分に活かされるよう、あと3日、ラストスパートをかけたいと思います。


リサイタルまでの3日間、もちろん仕事も当たり前にあるわけで、なので夫は3日分の美味しいスープを作ってくれました。
わたしの大好物のフィッシュスープです。

夕食を食べる我々のすぐそばでは、海がお得意の休憩ポーズでジィッと見ています。
なんか目つきが怖いなあ…😅。

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米国『THE HANAMI』事情

2025年04月07日 | 米国○○事情
花が咲き乱れている日本に引き換え、こちらはまだまだ肌寒いを通り越してとっても寒い今日この頃です🥶。
とはいえ、日差しや風が肌にあたると、ほのかに春を感じることができるくらいまでにはなってきました。
そんな中、ポンちゃんが、いきなりの満開です😳。
例年なら、濃い桃色のつぼみを下から順に、何日もかけてポンポンと咲いていくのに、今年はいきなり暖かくなった、たった二日の間に、すべてのつぼみが開いてしまいました。
多分、雨がずっと続いていて、ゲップが出るほどお水を飲んだことも理由の一つかもしれません。

昨夜は寒い上に大雨が降りました。
窓を打つ雨の音を聞いただけで、雨粒がかなり大きいことがわかります。
風もビュンビュン吹き荒れていて、ポンちゃんのことが気になってなかなか寝つけませんでした。
明け方、鳥の声が聞こえてきたので寝室の窓を開けてみると、なかなかに妖艶なポンちゃんの姿が。
花びらはそれほど落とされていないようです。


いつになったら青い空が見られるのかなあと思いつつ、ポンちゃんを大切に守ってくれているお向かいさんが、米国版『HANAMI』パーティをしてくれるというので行ってきました。

お向かいさんの玄関ポーチから見たポンちゃん。

1年のうちのほんの数日間だけど、こんなふうにプライベートな花見ができるっていいなあ。

曇り空の上に雨続きですっかり濡れそぼっているポンちゃんです。


ポンちゃんのハート💜



一体何があったのか?

寒いけどめっちゃ楽しかったパーティ。

ポンちゃん、みんなから褒められて嬉しかったかな。



まだまだ来週も雨が続くようなので、今回は青空とポンちゃん、という写真は撮れないかもしれないけど、こんな年もあってもいいよね。
ポンちゃん、今年もほんとにありがとう!


おまけって言ったら怒るかな、うちの裏庭のソメイヨシノ姉妹もずいぶん大きくなってきました。
こちらは五分咲きです。



お、ちょっと雲が切れて青空が!


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頑張っている母

2025年03月27日 | 家族とわたし
母がリハビリ病院に転院してから早2週間が経ちました。
最初の数日間はいろいろと初めてのことに混乱していましたが、今はもうすっかり慣れたからか、前の病院に比べたらすごくマシだと褒めちぎっていた病院食の、おかずの文句が始まりました。



こちらはまだまだ寒い日が続いていますが、日本はまさに花開く春を迎えているようですね。
病室の窓から見える景色も、ずいぶんと春めいてきたと母から聞きました。
母は1日に3回、週末も休まずリハビリに励んでいます。
前の病院では、病室内での移動のために歩行器を貸してくれていたのですが、今の病院では車椅子を使わなければなりません。
ところが部屋の床にはカーペットが敷かれていて、慣れない車椅子が余計に使いにくいみたいで、10センチ進むのに1分かかると、毎日ぼやいています。
この歳になって車椅子の練習をせなあかんやなんて、長生きするもんやないわと母。
いやあ、その歳で車椅子が運転できるようになるやなんて、めっちゃ渋いしカッコええやんとわたし。



先週の火曜日は、初めてのシャワー体験日でした。
母はてっきり一人で入れてもらえると思っていましたが、シャワー室には他に5人の患者さんがいて、仕切りのないところでずらりと並び、同時に洗ってもらったのだそうです。
母はもとから銭湯が苦手で、温泉に行っても大浴場に入りたがらないような人なので、かなりショックだったみたいです。
おまけに、洗ってくださるスタッフのみなさんの中には男性もいて、その方にお尻まで洗われたと、声を低くして文句を言っていました。
さすがに前だけは自分で洗いたいと申し出たようですが…。
そんなこんなでパニックになった母は、髪の毛が短い女性のことを男性だと思い込み、わたしにしつこく訴えます。
いくらなんでもそんなはずはないと言い聞かせると、もしかしたらわたしの勘違いやったかもしれんと落ち着いてくれました。
こんなことでは来週は無理かなと案じていると、やはり1週間に1回の洗髪が楽しみだったらしく、先日の火曜日は割り切って入れてもらったようです。


病院の看護師さん、スタッフのみなさんは若い人が多く、揃いも揃って親切で、本当にありがたいと毎日感謝している母。
昨日は鮮やかな血尿が出たと言って驚かされましたが、血尿は1回きりで、その後は痛みもないようなので、よく水分をとってしばらく様子を見るように言いました。
いずれにせよ、母は病院に居てくれるので、こういう異変が起きても殊更に心配しなくてもいいのは本当に助かります。
母は、気がついたら眠ってしまっている、という状態からも脱したようで、声と言葉に張りが出てきました。
弟が設置してくれたポータブルWi-Fiのおかげで、お気に入りのパズルゲームもできるようになり、わからない問題を読む母の声を、電話越しに聞けるようになりました。
ただ、以前のように文章を読むことは難しいようで、書かれている単語自体がわからなくなったり、読もうとしても発音ができなかったりします。
こんなことは入院する前には無かったことなので、少しずつでもいいから読み書きの練習になるようなことを電話で伝えていこうと思っています。



家猫の空と海の爪研ぎ場にされちゃってた桜の幹が、1年でこんなにも伸びました。

小型機の飛行機雲だそうです。

夫が焼いてくれた最近のバーベキューおかず。


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『OKINAWA(沖縄)』を再演します!

2025年03月26日 | 音楽とわたし
ホールはここ↓です。こぢんまりとした美しいホールです。


まだまだ先だと思っていましたが、気がつけばもうあと2週間ほどで本番を迎えます。
大勢の人たちの前で演奏するのは本当に久しぶりなので、25分弱の演奏時間中、集中力を維持できるのかどうか、ちょっぴり心配です。
これからの練習は、自分の演奏を録音して聴く、他の人の演奏を聴いてみる、そして弾いてまた録音する、の繰り返しになると思います。

今回のプログラムに自作曲の『OKINAWA』を入れてもらえたことがとても嬉しいです。
この曲を一体何年前に弾いたのか、それも覚えていないくらいでしたので、練習を再開した日にはあまりに弾けなくて我ながら驚くやら呆れるやら…どうなることかと思いましたが、音を付け加えたり、表現やアーティキュレーションをちょこちょこ変えたりしながら、練習を重ねてきました。
沖縄の不屈の歴史に思いを馳せながら書いた曲ですが、同時に沖縄への讃歌でもあります。
パートナーのバイオリニストのサラも、わたしに同感して演奏してくれるので、二人の思いが届くといいなあと思っています。

もう一つの曲は、甘美で清浄できらびやかな詩を元に作られた曲です。
ひばりが舞い上がっては降りてきて、そうかと思うと輪を描き、絶え間ないたくさんの繋がりを持つ銀の鎖のような音を地に落としてゆく。
そんなひばりの様子がバイオリンの見事なソロで描かれます。
この曲は個人的な感情を直接的に語ろうとしていません。
ひたすらに情景描写に徹し、その音の響きの中から聞こえてくる作者のつぶやきやため息を、演奏で表現できたらいいなあと思っています。

場所はマンハッタンのミッドタウン、7番アヴェニューと29丁目が交差する辺りにあります。
平日の夜ですが、1時間ばかりの演奏の後、ワインとチーズをいただきながらのレセプションも行います。
無料のコンサートなので、お気軽にお越しくださいね!
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モヤモヤからワクワクへ

2025年03月10日 | 音楽とわたし
夫が家に居る間は、大っぴらにピアノを練習することができません。
このことはずっと長い間、わたしたち夫婦の間の問題になっていました。
夫はずっと、揉めるたびに、「電子ピアノを買ってそれで練習すればいいじゃないか」と言っていたのですが、わたしがどうしても納得できなかったのです。
やっとのやっと、60歳を過ぎて、弾き心地がとても良い上に相性の合うピアノを得ることができたのに、何が悲しくてそんな電子ピアノなんかで練習せなあかんのよと。
いえね、電子ピアノを貶しているのではないんです。
アコースティックピアノが一台も無くて、そういうものを置ける環境ではないなら、わたしは喜んで電子ピアノで練習すると思います。
けれどもうちにはベビーグランドピアノが2台あって、しかもそのうちの1台は超お気に入りのピアノなので、練習はそのピアノを使ってやりたいと思うし、夫と練習のタイミングのことで言い合いをしている時は気分がイライラしているので、ついつい電子ピアノ(なんか)で、と言いたくなってしまうわけです。
電子ピアノさん、そして電子ピアノユーザーさん、ごめんなさい!

でももう本当に疲れました。まさに不毛の言い争い、不毛の気遣い、不毛の苛立ちを、延々25年近く持ち続けてきた自分に、電子ピアノを買え!と命じました。
それでエイっとばかりに決心して購入したのが、DONNERという会社の電子ピアノなのでした。
実は、初心者のちびっ子の親御さんから、まだアコースティックピアノを買う決心がつかないから、電子ピアノを紹介して欲しいと頼まれることが時々あります。
彼らが希望する価格帯で、推薦するに相応しい楽器かどうか確かめるつもりで購入してみたのですが、先日の記事でお話ししたように、組み立て部品の破損や欠品があり、さらに鍵盤は恐ろしく重くて弾きにくい、これは失敗だと思いました。
けれどもまあ、とにかく組み立ててしまいたかったし、いつでも自分の思う時間に練習できるという環境にしたかったので、部品の交換と補充をして欲しいと、サービスセンターにメールしました。
すると、こんな返事が送られてきたのです。
「どちらも市販品だから、自分で買ってくるのが一番手っ取り早いと思いますよ」
え?と一瞬驚きましたが、まあ確かにそうかもしれないと思い、ホームセンターに行ってみました。
そこで30分以上、これか?あれか?と探し回った挙句、何一つ見つけられなかったことにがっかりして家に戻り、もう一度そのメールを読んで思ったのです。
なんでわたしが買いに行かなあかんねん?と。
そこでもう一度メールしました。早急に送ってくださいと。
すると、中国の工場から送るので、20日から1ヶ月ほどかかります、と言います。
いや、あんな小さなネジを数本(変形していたヒンジはペンチで直しました😅)送るのになんでそんな長い時間かかるわけ?まさか船便で送ろうとしてるの?当然航空便っしょ?
では、できるだけ迅速に対応できるよう努めます。

そしてまた3日が経ち、1週間が経ち、この時点ですでに合計3週間が過ぎていて、けれども事態は全く進まず、また同じようなメールが送られてきたので、ああ、こんなサービスをする会社の楽器を所有していたら碌なことはないと思い、返品することにしました。
また一からやり直しです。
気を取り直してパソコンの前に座ったわたしに夫が、「今度は少しぐらい高くても、ちゃんとしたものを買った方がいいんじゃないか」と言ってくれて、ハッと気がつきました。
今わたしが買おうとしているのは、もしかしたらグランドピアノよりも長い時間練習することになるピアノなのだと。
だから、いい加減なものではなくて、そこそこ弾き心地が良いものでなくてはならないのだと。
そこでメーカーをヤマハに絞り、クラビノーバの後に出たシリーズの中から、鍵盤の感触とアクションができるだけアコースティックに近いものを選びました。


今日は初めて本格的に長い時間をかけて練習をしてみました。
置いた場所が自分の寝室なので、練習に疲れたらベッドに直行です😅。
この部屋はこの家の中で一番日当たりが良く、夏はめちゃくちゃ暑くなるので、暑さ対策を考えねばなりません。
それでもこんなふうに、好きな時に好きなだけ練習ができるのは、やっぱり気分がスッキリします。
もっと早くこうするべきだったのでしょうね。
意固地になるところがなかなか直りません。
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