数日前の木曜日、長男くんからメールが送られてきた。
「土曜日、昼でも夜でも、マンハッタンに出てけえへん?ごちそうしたいから」
わたしの誕生日は先月で、その時に贈り物を渡し損ねたんを気にしてる彼は、母の日で帳尻を合わせたい、ちゅうところか。
そんなん気にせんでもええのに、とか言いつつも、嬉しゅうて顔がニタニタする。
去年の誕生日に、家族そろて食事に行った時、一枚のカードをテーブルの上に置いた長男くん。
それをわたしの方にスーッと押し出し、「これ、プレゼント」と一言。
見てみると、めっちゃ大きな(はっきり言うて、わたし自身の親にはいっぺんとしてあげたことがないような)額の数字が刻まれてるギフトカードにびっくり仰天!
「あんた、なに考えてんの?」と、ありがとうの前に出てしもた言葉に、「ええから、取っといて」と素っ気なく言う息子。
なんだかなあ……と考え込んでしまう。
わたしは、成人してからも、娘として、親になんか嬉しいことしてあげられたやろかと。
母の日がやってくるたんびに、多分おんなじようなことを書いてしまう。
そやから、それを覚えてはる人は、申し訳ないけど、読み飛ばしといてください。
弟とわたしが、まだ人並み以上の暮らしを営む両親の元で暮らしてた時の『母の日』は、テレビや雑誌の世界の『母の日』と同じく、
お小遣いを寄せ合うて、気に入るやろと思う物を探し回り、お店の人が、「親孝行なお子たちやなあ」などとこそばい言葉をかけながら丁寧に包んでくれた品を、
すっかりバレバレやのに知らんふりする母に、「これ、母の日おめでとうのプレゼント」という言葉を、弟と口を揃えて言う練習したりして渡してた。
母が家を追い出された半年後に、新しい家族となった義母と義弟と義妹の3人。
なんでわたしは、あれほどに、仲良くやっていきたいと願いながら、どうしても心を開くことができんかったんか。
なんでこんなにも、楽しかったこともあったはずやのに、イヤな思いをしたことばっかりが、思い出として残ってしもてるのか。
憎みたかったんか。憎んだ方が楽やったからか。今でもふと、なんでなんやろと思う。
関係がまだ良かった最初の頃の『母の日』が、どんなやったか思い出せへん。
そやのに、関係がこじれた頃の、渡したプレゼントを目の前でゴミ箱に捨てられた『母の日』ばっかり思い出す。
それ以降も、わたしはしつっこくプレゼントを渡し、多分一回だけ、義母は「ありがとう」と言うてくれた。
弟に助けられて、あの家から夜逃げした夜中までの、たった6回の、いや、6回もあった『母の日』の思い出。
いろいろあり過ぎて『母の日』どころやなかった、と言い訳できるのかもしれんけど、
ほんで、母自身の方も、彼女が抱き続けた罪の意識が災いして、いくら子どものわたしらが、そんなこと気にしてへんと言うても受け入れんかったこともあって、
弟とわたし(特に弟)は、長い長い年月の間、『母の日』を、幼かった頃のように、祝うことができんかった。
そやから今みたいに、無邪気に、「『母の日』おめでとう!この世に産んでくれてありがとう!」などと言うて祝えるのは、奇跡のように思えたりする。
長男くんは高給取りになり、こういうお祝い事に大きな額のお金を使う。
そしてポロッと「おかあさんは、(僕ぐらいの年の時、僕ぐらいの程度の)お祝いしてたん?」などと聞いてくる。
「いや、してへん。できひんかった」と答えながら、なんでできんかったかを、多分彼は、想像することも理解することもできんのやろなと思う。
それと同時に、祝いとうなかったという複雑な思いは、もっともっと伝わりにくいんやろと。
そう考えた時のうすら淋しい思い。
『母の日』は、おかんとしてのわたしには、そやからちょびっとだけ複雑な日。
「土曜日、昼でも夜でも、マンハッタンに出てけえへん?ごちそうしたいから」
わたしの誕生日は先月で、その時に贈り物を渡し損ねたんを気にしてる彼は、母の日で帳尻を合わせたい、ちゅうところか。
そんなん気にせんでもええのに、とか言いつつも、嬉しゅうて顔がニタニタする。
去年の誕生日に、家族そろて食事に行った時、一枚のカードをテーブルの上に置いた長男くん。
それをわたしの方にスーッと押し出し、「これ、プレゼント」と一言。
見てみると、めっちゃ大きな(はっきり言うて、わたし自身の親にはいっぺんとしてあげたことがないような)額の数字が刻まれてるギフトカードにびっくり仰天!
「あんた、なに考えてんの?」と、ありがとうの前に出てしもた言葉に、「ええから、取っといて」と素っ気なく言う息子。
なんだかなあ……と考え込んでしまう。
わたしは、成人してからも、娘として、親になんか嬉しいことしてあげられたやろかと。
母の日がやってくるたんびに、多分おんなじようなことを書いてしまう。
そやから、それを覚えてはる人は、申し訳ないけど、読み飛ばしといてください。
弟とわたしが、まだ人並み以上の暮らしを営む両親の元で暮らしてた時の『母の日』は、テレビや雑誌の世界の『母の日』と同じく、
お小遣いを寄せ合うて、気に入るやろと思う物を探し回り、お店の人が、「親孝行なお子たちやなあ」などとこそばい言葉をかけながら丁寧に包んでくれた品を、
すっかりバレバレやのに知らんふりする母に、「これ、母の日おめでとうのプレゼント」という言葉を、弟と口を揃えて言う練習したりして渡してた。
母が家を追い出された半年後に、新しい家族となった義母と義弟と義妹の3人。
なんでわたしは、あれほどに、仲良くやっていきたいと願いながら、どうしても心を開くことができんかったんか。
なんでこんなにも、楽しかったこともあったはずやのに、イヤな思いをしたことばっかりが、思い出として残ってしもてるのか。
憎みたかったんか。憎んだ方が楽やったからか。今でもふと、なんでなんやろと思う。
関係がまだ良かった最初の頃の『母の日』が、どんなやったか思い出せへん。
そやのに、関係がこじれた頃の、渡したプレゼントを目の前でゴミ箱に捨てられた『母の日』ばっかり思い出す。
それ以降も、わたしはしつっこくプレゼントを渡し、多分一回だけ、義母は「ありがとう」と言うてくれた。
弟に助けられて、あの家から夜逃げした夜中までの、たった6回の、いや、6回もあった『母の日』の思い出。
いろいろあり過ぎて『母の日』どころやなかった、と言い訳できるのかもしれんけど、
ほんで、母自身の方も、彼女が抱き続けた罪の意識が災いして、いくら子どものわたしらが、そんなこと気にしてへんと言うても受け入れんかったこともあって、
弟とわたし(特に弟)は、長い長い年月の間、『母の日』を、幼かった頃のように、祝うことができんかった。
そやから今みたいに、無邪気に、「『母の日』おめでとう!この世に産んでくれてありがとう!」などと言うて祝えるのは、奇跡のように思えたりする。
長男くんは高給取りになり、こういうお祝い事に大きな額のお金を使う。
そしてポロッと「おかあさんは、(僕ぐらいの年の時、僕ぐらいの程度の)お祝いしてたん?」などと聞いてくる。
「いや、してへん。できひんかった」と答えながら、なんでできんかったかを、多分彼は、想像することも理解することもできんのやろなと思う。
それと同時に、祝いとうなかったという複雑な思いは、もっともっと伝わりにくいんやろと。
そう考えた時のうすら淋しい思い。
『母の日』は、おかんとしてのわたしには、そやからちょびっとだけ複雑な日。
よう頑張って来はったね。
いいお兄ちゃんに育ってくれて、ほんまに良かったね。
毎年、母の日は私にとっても複雑です。
一生懸命、探すのに、
探しても捜しても、
見つからへん。
母親とのええ思い出が。
お母さんありがとう
大好きなお母さん
大嘘つきの私が、
怒られへん様に
一生懸命嘘ついている。
可哀想な事させてきたと、自分で自分にごめんなを言うてあげたい。
聞いてくれる人がいて、助かりましたぁ。
今日はこれから、母としての一日をエンジョイします。
時差があって、日にち違いの母の日。
助かった~。
怒られへん様に
一生懸命嘘ついている』
びわこさん……いっぱいあったんやなあ……。
いや、今も抱えてはるんやなあ……。
えらかったね、ようがんばったね、そう言うてあげたいです、びわこさんに。
けどね、けどね、きっとずっと後になって思い出した時、
自分に無理させて「ありがとう、大好き」っておかあさんに言うてきたことは、やっぱりよかった、自分にとってもよかったことやったって思うんやと思います。
その時の安堵感、自分に対するねぎらいは、おかあさんを嬉しい気持ちにさせてあげてきた以上に大きいと思います。
お互いに、今日の『おかんの日』を楽しみませてもらえる環境に感謝!ですね。
びわこかあさん、『母の日』おめでとう!