ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

母の日

2020年05月11日 | ひとりごと
母になってから34回目の母の日。
頭の上に「まうみ37さい」とデカデカと書かれた似顔絵、カーネーションの図柄入りの「おかあさんありがとう」手紙、肩たたき券、部屋の掃除一回だけ券、なべ敷き…。
それがいつの間にか花束になったりギフトカードになったりすっかり忘れられてたり…。

今年は新型コロナウイルスのせいで、会うこともできなかった次男くんは、朝から「ありがとう」の電話をかけてきてくれた。
一緒に住んでる長男くんは、中東料理をウーバーイーツでご馳走してくれた。

どちらも無事で、仕事と趣味と兼業に励める元気があって、親のわたしたちがなんの心配もせずにいられる孝行息子。
本当にありがたいし、恵まれていると思う。
だから彼らが何よりの贈り物だ。

母の日は絶対に何もしない。
掃除も洗濯も炊事もしない。
そう決めて一日中ダラダラした。
ほんの5年ぐらい前まではこれができなかった。
休みの日でないとできない事は、どんなに休みたくてもやっておくべきだと思ってた。
夫は、どんなに差し迫った事であっても、休みの日でしかできないっぽい事であっても、週末は休むと決めている。
だから何度も何度も喧嘩した。
怒っているのはいつもわたしで、夫は呆れていた。
数回プチ家出をしたこともあるけど、夫は絶対にその態度を変えようとしなかった。
それでじわじわとわたしの方から歩み寄って、週末に用事を済ませるにしても、それはわたしがそうしたいからであって、誰の手伝いも期待しない、と思うようにした。
そしたらなんとなく夫が見ている景色が見えてきて、ふーん、こういうことかと思えるようになった。
その長い長い28年間の気持ちの色変わりについては言葉でうまく説明できないけど、
どうしても対処しなくてはならないような問題以外なら、別にそれが数週間、数ヶ月、数年延びてしまっても、まあいいか、と思うようになった。

そんなだから母の日は特に、何にもしないでダラダラすべき日なのである。