ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

小出先生の限界

2012年05月07日 | 日本とわたし
マンハッタンの教会で、小出先生の講演を聞いた。
彼の講演は、それまでにも何度も、ユーチューブのビデオで聞いてきたし、ラジオの放送の録音でも聞いたことがあった。

小出裕章、という人の存在を、あの原発事故が起こるまで、わたしは全く知らんかった。
だいたい、原発が、日本に、54基もあることすら知らんかった。
たまに、原発立地に反対する人達の抗議行動の記事を目にしたことはあったけど、
その時も、読み逃げしながら、心の端っこの方で、気の毒やけど、電気は必要やからなどと、今から思えばとんでもない、
そやけど、わたしみたいなんがいっぱいおったから、こんな世の中ができあがってしもたんやとも言える、典型的な阿呆やった。

震災と津波が起こる少し前に、たまたまツィッターを始めてて、使い方もろくにわかってなかったけど、未曾有の災害に襲われた日本の様子を知りたい一心で、どんどんのめり込んでいった。

そして知った、原発の増加をなんとか阻止しようと、人生を懸けて闘うてきた人達。

小出先生は、その中のひとりやった。

だんだんと、知らんふりしてきた世界が、もうどうしようもないくらい歪んでしもてたことが分かり、
原子力にまつわる原発マフィアの実態や、日本という国がすっぽりはまってしもたシステムの実情も見えてきて、
こらあかん、なんとかせな日本は終わると、大げさやなく思た。

そや、小出先生や広瀬さんやったら、とうとう自分らの出番やとばかりに、ガンガン頑張ってくれはるやろう!
わたしらは、ついていったらええ。彼らを応援して、元気づけて、教えてもろたことを行動に移してったらええ。

日一日と過ぎていき、彼らの声色にも、怒りや恨みが薄まってきて、ずいぶんと落ち着きが感じられてきた頃になると、
「わたしにはわかりません。どうしたらいいのかわかりません。みなさんそれぞれができることをしてください」という言葉が増えてきた。
そして、汚染された食べ物のうち、汚染の酷いものを年寄りが、汚染のできるだけ軽いものを子どもが食べる、
そういうことも耳にするようになった。

日本だけに限らず、福島からまき散らされた放射能はきっと、ほんまはわたしなんかが想像してる以上に、世界を汚染してるんやろう。
放射能を専門に研究し続けてきた学者に見えてる現実は、わたしのそれとは違うのやろう。

そう思うのやけど、ついつい、こんなことを思てしまう。

そんなこと言わんとなんとかしてよ。
それだけの反原発の歴史と、反論できる研究資料があるんやろから、世界は絶対に無視せえへんて。
そやし、あんたらが先頭に立って、世界に助けを求めてよ!訴えてよ!
なんで、日本の中で、あちこち回って講演してるだけなん?


そしてとうとう、直に講演を聞くチャンスがやってきた。
質疑応答もあるという。
よし、直接聞いてもらおう。直接頼んでみよう。

意気揚々と会場である教会に出向いた。
小出先生が、すぐ前の壇上に立ってはった。
我々の寄付で募ったビジネスクラスの席でやって来はったとはいえ、多忙中の多忙の身での長旅直後というのに、
それはそれは清々しい、孤高の寂しさが混じり合うた静寂をまとい、彼はスゥッと真っすぐに立ってはった。

講演は、レントゲンからキュリー夫妻のこと、そして東海村の事故の話につながっていった。
・原子炉は、米国で、1942年に稼働が開始した。
・それ以来、毒物(核物質)の無毒化の研究も並行して始まったけど、世界中の優れた化学者が70年もかかってできなかったのだから、これから先もまず不可能だと考えなければならない。
・そしてその、原発から生み出した核廃棄物のゴミは、100万年もの間、毒を世の中に吐き続ける。

・今回、福島で起こった事故によって、日本が放棄しなければならない土地は、2万平方キロメートルに及ぶと思われる。
・それは、日本という国が倒産する規模のもの。
・そして今だ、最も危険だと見なされている4号機では、使用済み燃料プールの底に沈んでいる燃料を取り出そうとしているが、
・その作業自体、来年の12月にならないと始められない状態。
・しかも、燃料の上に爆発で崩れたがれきが被さっており、燃料も破損しているので、
取り出す際に燃料をいれないといけないキャスクに、きちんと入れることができるかどうかも不明。
・これからの若い科学者は、本当に気の毒。先人の過ちを尻ぬぐいをしなければならない。

そして講演が終わり、質疑応答が始まった。
わたしはその時でもまだ、小出先生にお願いをしようと思ってた。
『政治が嫌いだと、常日頃からおっしゃられていることは重々承知しております。が、このような解決し難い状況を少しでも打開するべく、世界の、お仲間の学者の方々に、小出先生から直接、働きかけをしていただけないでしょうか?
そのためにもし、政治家の介入などが必要な場合もあるかもしれませんが……』

質疑応答は、会場に来ている400人が、質問用紙に書き込み、その中で最も多かった内容の質問に答えてもらう、という形式で行われた。
小さな子供がいる母親からの、帰省の是非については、「もしできるなら、戻らないことをお勧めしたいです」と、苦笑いしながら答えてはった。
そこでもやっぱり、55才ともなると放射能に対する感受性はすごく低くなるので、という話が出た。
その55才のわたしは、心の中で、やっぱり反抗してた。

講演会のすべてが終わり、小出先生にサインや握手を求める長い長い列を眺めながら、会場に来ていた想田監督夫妻と話をした。
そこでわたしは、小出先生へのお願いがある話をした。
その瞬間、目の前のふたりが、ポカンとした表情でわたしを見つめ、空気が滞った。
え?と思った。
なにが間違ったこと言うたかな?

それからしばらくの間、いろんな話をして、そして家に戻り、興奮が覚めやらぬまま、パソコンの前で時間を過ごした。

そしてハッと気がついた。
自分の中に居座っていた、しつこい依頼心の存在に。
ある人が、ツィートで、小出先生の限界、という言葉を書いて送ってくれた。
その『限界』という文字を読んだ時、わたしはやっと、それこそが、一番認めとうなかったことやったことで、
認めとうないからこそ、しつこく、彼に対して何かを要求してたんやと気づいた。
そしてその当人のわたしは、自分のことを棚に上げ、ひとりひとりができることをやろう!などと、毎日叫んでいたんやと。

小出先生は、もう40年以上もの間、ご自身ができると思うこと全部をやり尽くしてきたと、はっきりと言うてはるやないか。
それでも何も変わらんかったと。
わたしは、そんな壮絶な人生を送ってきはった人に向かって、
「けど、今なら事情が違います。あなたはこんなに注目されてて、ついて行きたいと思てる人は大勢います。
そういう状況を利用しはったらええやないですか。
先頭に立って、ガンガンやらはったらええやないですか」などと、なんとも利己主義な思いをぶつけてきた。

小出先生の限界を理解し、受け取り、その限界の線を、わたしらひとりひとりの手で握った消しゴムで消していく。
そのわたしらひとりひとりにも、それぞれ違う限界がある。
けども、わたしらは数という力がある。
その数は、現実を知ることで増えてくる。
そのために、現実を伝えに、全国津々浦々を回ってくれてる。
そして米国までにも。

わたしはやっと、自分の手に、消しゴムを握れた気がした。

そしてもう一つ、
わたしは、これから世に出てくる、原子力関連の若い研究者ほど、やり甲斐がある仕事ができる人はいないと思う。
放射性物質の無毒化を実現させることはまさに、地球を救うことにつながるのだから。

小出先生からその人達に渡される消しゴムはきっと、とても特別で、硬くて、美しいだろう。

ピアノ教師冥利

2012年05月07日 | 音楽とわたし
先週末の土曜日は5月5日。
こちらでは『こどもの日』は無いので、普通の土曜日やったのやけど、13時間早く暮らしが成り立ってる日本では、原発ゼロが始まった。
あのちっちゃな島を、ぐるっと囲んでる、放射能を漏らしながら電気を作る原発が全基停止して、それでも全然普通やん!の証明が、日一日と増えていく。
そう思うと、今年の『こどもの日』は、めちゃくちゃ特別な祝日になった。

そんな日本にとって特別な日に、特別な日を迎える生徒がいた。
名前はサイブ。アメリカ人医師の父と、美しいフランス人母の娘で、半年ぐらい前から教えてる子。
ケタの違うお金持ちで、150年前に建てられたでっかいお屋敷に住んでいて、わたしは毎週、そのお屋敷に行って彼女にピアノを教えてる。

習い始めは、ピアノには稽古がつきもので、初心者といえど、覚えなあかんことが山ほどあることが理解できなくて、彼女は毎週混乱してた。
7才は7才なりに、物事の仕組みさえ理解したら、できることがたくさんあるので、とりあえず彼女の混乱が収まるのを待つことにした。

音符を読めることが楽しさにつながることにやっと気づいた後は、彼女もわたしもうんと楽になった。
そしたらどんどん欲が出てきたのか、ほんの二ヵ月前に、彼女がいきなりこんなお願いをしてきた。
「まうみ、わたし、今度のコミュニオンのパーティで、ピアノを弾きたい。んでもって、歌も唱いたい」

ふむ……。
コミュニオンは、カトリック教徒の子どもにとってはとても大切な行事で、そのお祝いに、大勢の人が集まってくる。
その大勢の人達の前で演奏したい、と思てるのやね、サイブ。

急きょ、シューベルトの『鱒』を連弾に編曲したものと、『サウンド・オブ・ミュージック』から3曲選んで演奏することにした。
ついこの間、ドレミをやっと読めるようになったとこやのに、頑張るったらない。
すごい勢いでうまくなり、コミュニオンのためにあつらえた、まるでマリア様のようなドレスに見を包み、
7才のサイヴは、堂々と、楽しそうに、誇らし気に、ピアノを弾き、唱った。

演奏の後、すぐにおいとましようと思てたのに、会食のテーブルに案内され、神父さんとサイヴの両親に挟まれてフルコースをいただいた。
幼い頃に、聖書を一通り読み、教会にも通い、その挙げ句に、数人の神父さん相手に討論しては遠ざかりして、
結局は、自分に合うのは、八百万の神様とお天道様やという結論に至ったわたしには、ちょいと居心地の悪い席やった。
神父さんは常日頃、近くのホスピスに行って、最後の数時間を共に過ごす、という仕事をしてはるそうで、
つい口が滑って、「その患者さんがもし、クリスチャンやなかってもですか?」などという質問をしてしもて、後悔したけど遅かった。
「そうですね、基本的には宗教がなんであれ、ですが、結局のところ、毎日の暮らしの中で神のご意思に添わずに生きてきた方は、最後の数時間でいきなり、というわけには……そういうあなたはどうなんですか?」

わたしはその、特定する、という考え方が嫌いなんです、などと言えるわけはないではないか!
わたしは、サイヴのお祝いに来てるんやから。

「ピアノ教師としての一番の願いは、ピアノを学ぶことを通して、生きていく上での大切な素養や底力が身に付く事、人生を通して音楽を好きになることです。この願いは、ある意味宗教ともつながっていると思っています」
などと、かなりトンチンカンなことを言うて誤摩化した。


家に戻って服を着替え、今度は高校生の生徒達の演奏を聞きに隣町の高校へ。

わたしがこちらに引っ越してきた12年前から、ピアノを習いに来てくれたエヴァン。
まだ5才の、クリクリ頭の、モミジのようなちっちゃい手をしてた。
力が弱くて、ピアノの鍵盤を叩くことができずに、しばらくは楽譜の読み方に集中して教えたこともあった。
緊張し過ぎる子で、恥ずかしがり屋で、時々涙ぐんだりしてた。
花粉症がひどくて、シーズンになると、悲惨な顔してやってきた。

そのエヴァンが小学生になり、中学生になり、そして高校生になると、急にどんどん人前に出ていくようになった。
ここらへんの地域では一番と言われてるマーチングバンドに入り、いろんな楽器を経験し、バンドを作り、福島への募金コンサートなども企画してくれた。
今回エヴァンは、生徒達だけで企画し、編集し、構成したミュージカルの音楽の監督をしていて、
バンドでは、同じく生徒のエラとオースティン(エヴァンの弟)も演奏するというので、それを聞きに行ってきた。

広いフットボール競技場。
ここで、マーチングバンドの練習もするのかな。


郊外の高校によくあるデザイン。


会場に入ると、おぉ~やってるやってる!


エヴァン達はどうやら、あの檻の中みたい。

いた!指揮をしながらキーボードも弾いてる。


エラは?いたいた!


オースティンは?いたいた!


さて、舞台では演技と歌がどんどん進み……みんな、やるなあ……。


台詞も演技も全部手作り。音楽の編集ももちろん。
休憩時間を挟んで1時間半。高校生の恋愛物語。音楽とともに、おおいに楽しませてもろたよ!ありがとう!

3人とも、最近は日常生活が忙し過ぎて、ピアノの練習に時間をとれないでいる。
なので、レッスンも飛び飛びになりがちやけど、ええねんわたしは。
どんな形であっても、どういうことが対象であっても、それが音楽と強う結びついてて、
なによりもそこに、あんたらの情熱と願いが強く関わってるのなら、
わたしは、あんたらのピアノ教師であることを、心の底から幸せやと思う。

ありがとね。