ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

朝からだらりんこ!

2010年08月09日 | ひとりごと
かあちゃんがパソコンしてる時は、ここ、かあちゃんのすぐ隣の椅子がアタシの特等席。

けど、かあちゃん、よう飽きんと毎日毎日パソコン遊びしてからに……。
アタシはまあ、ネコやさかい、じっと座ったり寝たりぼぉ~っとしたりするのがお仕事やねんけど、かあちゃんは他にやることいっぱいあるんちゃうんかいな……と、ネコながら心配になるねんな。

ほんで、毛繕いとかしてる最中にも、ふと気になって、かあちゃんの顔見たりしてるねんけど、

あ、気ぃつかれたみたい。かたまっといたろ。


なによ、そんな、ピカピカ眩しいのつけて……知らんふりしとこ。


もぉ~しつこいなあ……、今日は朝から洗濯と練習するんちゃうん?ダラダラしてんとさっさとしんしゃい!


へへぇ~い
……と見せかけて、こんなん食べにキッチンに入ったかあちゃんでした


器は師匠からいただいたヨウ君作のもの。入れ物がいいと、超~てきと~なシャーベットも美味しそうに見えます。
超安だからといってバカ買いしてしまって、冷蔵庫の中のオブジェと化していた、ブルーベリーとイチゴとバナナで作りました。


この子をのこして

2010年08月09日 | 世界とわたし
たとえ最後の二人になっても
どげん罵りや暴力ば受けても
きっぱりと戦争絶対反対を叫び通しておくれ

たとえ卑怯者と蔑まれたって
裏切り者と罵りられたって
戦争絶対反対の叫びだけは、守っておくれ

敵が攻めてきたとき
武器がなかったら、みすみす殺されてしまうではなかか
という人が多いだろう

しかし、汝の剣をさやに収めよ
剣を取る者は、剣に滅ぶべければ也だ

敵も愛しなさい
愛し、愛し抜いて、こちらを憎む隙がないほど愛しなさい
それには、お前が残してゆく子供達のためにも
忘れてはいかん

1945年8月9日 午前11時2分
長崎浦上で、何が起こったかを


永井隆博士の『この子をのこして』を、朝から読んでいます。
今日は長崎に原爆が落ちた日。
長崎に落下した原爆は、広島のそれよりも威力のあるものでしたが、落とされる直前に重なった失敗と天候の差によって予定以下の被害だったそうです。
それは落とした側の冷徹な事後報告であって、落とされた側にとっては被害の増減など全くどうでもよいことです。
そして、あの惨たらしい兵器によって殺された何万の人達の魂にとって、せめてもの慰めになるであろう核兵器撲滅の実現の日はまだまだ遠い先です。
 

放射線治療の研究に情熱を傾けていた永井博士は、すでに白血病に侵され、余命を告げられている身でした。
そこにあの日の原爆が落ち、原爆症という病も抱えながら、瀕死の状態で被害者の治療を続けました。


『この子を残して』の最後の文章です。

『死病にかかっている父、二人の幼い孤児予定者……これが如己堂の住人である。
この三人の人間が生きてゆく正しい道はどこにあるのか?……それを探して苦しみ悩み考え、祈り、努めてきた。
私が考えたこと、子供たちがしたこと、子供に話したこと、今わかりそうにないから書いておいて後で読んでもらうこと……それを、そのままこの書に書いた。

これは私の家の記録である。公のものではない。世間一般に通用する考え方、生き方ではないかもしれない。
しかし、孤児の親たち……あっと言う間もなく、愛する子を焼け跡に残して亡くなったあの人たちの魂は、あるいは共鳴してくれるかもしれぬと、ひそかに私は思うのである。
もし共鳴する魂があれば、この書はその亡き人びとの代弁をつとめるであろう。
 
ここから見ていると、誠一は瓦のかけらをもっこで担いで捨てに行くところ、カヤノはつるばらの花を有田焼のかけらに盛って独りでままごとをしている。
この兄妹が大きくなってから、私の考えをどう批判するだろうか? 
五十年もたてば、今の私よりずっと年上になるのだから、二人寄ってこの書をひらき、お父さんの考えも若かったのう、などと義歯を鳴らして語り合うかもしれないな』


「自分を愛するように、人を愛しなさい」



この、たった二畳の小屋の中で、死を迎えつつある重体の父は想いを切々と書きとめながら、親を失う我が子達の行く末を案じておりました。



わたしはいったい、どんな言葉を息子達に遺せるのか……。
平和ボケした母は、そんなことをぼんやりと思いながら、長崎に祈りを捧げます。