ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ポテトサラダ

2010年08月05日 | 家族とわたし
この町のファーマーズマーケットが復活した!とのことで、ちょっと覗きに行ってみました。
う~ん……。
前に住んでいたモントクレアのファーマーズマーケットが盛大な規模なので、やっぱりテント一基のみのマーケットはちょいと寂しい……。

けれども、そこで演奏していたバンドがとってもうまかったので、買い物がてら、ベンチに座って聞いている人がたくさんいました。

ぜひとも新鮮な卵が欲しくて行ったのだけど、とうもろこしもとても美味しそうだったので、他の野菜も一緒に選んで、レジの前に立ちました。
売り子のおじさんに「卵はありますか?」と聞くと、「ああ、あるよ」とはっきり答えてくれまして、やあやあ、ここのはどんな卵なのかなあ~とワクワクして待っていたのですが、いっこうに出てきません。
おじさんはさっさと野菜の値段を足して、「11ドルね」と言ってわたしの支払いを待っています。
「卵も入れて?」と聞くと、
「そうだよ」とおじさん。
「でも、わたしには卵が見えないんだけど……」と言うと、
「ここにある」と真顔で野菜を指差すおじさん。
「いや、わたしには見えませんけど……卵」
「ここだよここ」と、野菜の入ったビニール袋を指差すおじさん。
「でも、そこには卵は無いですよ」
「ここにあるよ」
「だから、野菜じゃなくて卵ですよ、卵。EGGS!」
「だからここ!」



あかん、こりゃ埒があかん……。
横に立っているもうひとりの男性に「卵は売ってますか」と聞くと、「いや、うちは売ってない」ときっぱり言われガックリ……。
土曜のモントクレアで買おっと。
でも……いったいあのおじさんは、卵という単語をなんだと思ってたんでしょうか。あまりに自信あり気だっただけに、ちょっと聞いてみたい気もします。


今夜は旦那がマンハッタンに帰省している友人を訪ね、Kはトーナメント、Tは休日前で多分飲み会、なので呑気にひとりご飯だ~!と思っていたら……、
「おかん、家で食う」とTから連絡が入りました。
慌てておかずを考えました。おっしゃ、ポテトサラダにしよう。

ポテトを茹で、キュウリを塩で揉んで輪切りに、人参もいちょう切りにして、玉ねぎを水にさらし、卵を茹でて下準備完了。
けど待てよ……うちにはマヨネーズという物が無いことに気がつきました。
旦那が嫌いで、滅多に料理に使わないので、いつも古くなって捨てなければならなくて、もったいないので買うのをやめたのでした。
う~ん……マヨネーズ抜きではTがガッカリするだろうなあ……う~んう~ん……。
で、マヨネーズを作っちゃえ!ということに。生卵を食べないここでは、生の黄身を使うのはちぃと勇気がいるのだけれど、家にあった卵はとりあえず大丈夫そうだったので決行しました。

あとはとうもろこしを茹で、鯵の開きを焼いておしまい。


なかなかに暑苦しい台所になりましたが、Tとふたりでおいしくいただきました。

「オレ、ポテトサラダ食べたかってん」

なにやら最近、インターネットで観ていた日本のバラエティショーでポテトサラダのことが特集になっていて、それを観てからやたらと、ポテトサラダを食べたくなっていたのだそうな。
なんてこともない一言だけど、そういうふうに言ってもらえると、汗まみれで作ったおかんとしてはかなり嬉しい。

暑いけど幸せな、夏のある日のポテトサラダなのでした。






誰にもあっちゃあいけん!

2010年08月05日 | 世界とわたし
米大使の平和式典出席は「大統領判断」


そして今夜、夕飯の支度をしながらCNNのニュース番組を観ていると、ニュースキャスターのもとに、広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ機長(故人)の息子から電話がかかってきました。
その電話の中で彼は、ルース駐日米大使の記念式典出席を「前例がなく、すべきではなかったし、あれでは暗黙の謝罪だ」などと批判していました。
その、米アラバマ州に住む息子のジーン・ティベッツ氏は「原爆投下は正しかったか」と問われ、「我々は正しいことをした。多くの米兵の命が救われたうえ、多くの日本人の命を救った可能性もある」と、これは原爆擁護説を唱える人達と全く同じフレーズをまたくり返していました。
そんな彼の言葉を聞いているニュースキャスターの表情から、なにかを感じ取ろうとしたのですが、こういう問題に関する意見というのは、ひとつ間違うととんでもない方向に飛んでいってしまうので、彼はいつもの彼からするとかなり珍しいのですが、表情を消して沈黙を守っていました。
息子は保守系の米フォックス・ニュースの取材にも応じ、「日本は真珠湾を攻撃した。我々は日本人を虐殺したのではなく戦争を止めたのだ」とコメントしていました。
この局は保守系の人達に偏ったオーガズムを与えることに情熱を燃やしているので、もうそりゃ言いたい放題。かなり盛り上がっていたそうです。

立場が変われば主張も変わる。そう考えようとしても、あの息子の意見は、日本人のわたしにはすっと受け止められるようなものではありません。
けれども、米の主要メディアが広島の記念式典を取りあげるのは異例のことです。
少なくともわたしにとっては、この十年間、プライムタイムのニュース番組で取り上げられたのを観たのは、初めてのことでした。


本当にわずかずつの歩みだけれど、「こがあないびせえ(こんな恐ろしい)こたあ、ほかの誰にもあっちゃあいけん」という広島のメッセージが、世界の国々に少しずつ少しずつしみ込んでいっているのではないでしょうか。

来月、被爆ピアノを弾かせていただくことになり、毎日祈りをこめて練習をしています。

「こがあないびせえこたあ、ほかの誰にもあっちゃあいけん」



遠くからではありますが、わたしも心から祈ります。

初心にカエル

2010年08月05日 | ひとりごと
思えば今からちょうど二年前のこの日。
「まうみさ~ん、ブログ、始めといたからね~」というKちゃんからの恐ろしいメールを受け取った。

仰天して見てみると、可愛い蓮とおたまじゃくしが描かれた、好きな緑色の画面が現れた。
そして……もっともっと恐ろしいことに、そこにはわたしが彼女に送った愚痴っぽいメールがそのまま載っていた……。

まったく未知の世界だったけれど、とにかく画面に載ってしまったメールを編集して、記事っぽいものにせにゃ~と焦りまくって校正した。
ふぅ~……と一息ついた時には、とんでもなく長い時間が経ち、頭はめちゃくちゃに疲れていた。

どうしようこれから……と、本気で心配したあの夜。


二年経ち、今わたしは1001回目の記事を書いている。
あの時とても心が動いた家は結局手に入らなかった。
数えきれないほどの家を見て、数えきれないほど凹んだり盛り上がったり、落ち込んでいる自分の手をもう片方の手で引っ張り上げたり。
へとへとに疲れたけど、あきらめたらおしまいだと粘り続けていたある日、この家の玄関ホールの写真が目に飛び込んできた。
そんなお家狂想曲が流れている間にも、家族や友達、そして自分自身から発生する音を書き留めているうちに、本当にすてきなバーチャル出会いに恵まれた。
初心にかえり、気持ちを新たに、今まで関わってくれた、あるいは今も関わってくれているたくさんの人達に心から感謝したい。

三年目への第一歩の今日、記念に初めて目にした画面をまた使います。

みなさん、本当にありがとう!百才ブロガーとしてギネス、狙いまっせ!