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リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

専門家ぎらい

2011-04-20 07:06:44 | オヤジの日記
原子力には不安があるから、火力発電を見直そうという意見が出ているらしい。

京都大学原子炉実験所助教・小出氏などが提唱しているという。

しかし、そもそも火力から原子力発電への移行は、石油など火力発電に必要な資源が将来枯渇するから決められたのではなかったか。
そして、CO2。
石油や石炭は、CO2排出量が多いから、原子力発電に転換しようというのが、当初の導入目的ではなかったのか。

それがまた、火力発電に回帰?

なぜ、時計の針を戻そうとする?

火力発電が、将来性豊かなで安全なものなら、学者さんたちは、そのときなぜ、それを主張しなかった。

政治家の利権欲の横槍に負けたからか。

天然ガスなどは、石油よりCO2排出量が少ないらしい(原子力ほどではないようだが)。
それは代替資源にはなりうると思うが、枯渇したときの対処を具体的に示すことができるのだろうか。

50年後には、原子力の制御も万全だろうから、資源が枯渇したときは、そのときこそ「原子力で」などという、馬鹿げたことは言わないでいただきたい。
それは、科学の信頼性を貶めるだけだ。

限りある資源である石油、石炭、天然ガスを燃料源とし続けたら、電気の供給はままならなくなるということで始めた原子力発電である。
そして、地球にとって有害なCO2を排出しないということで導入した原子力発電である。

多少のCO2排出は、人間の生活に危機を及ぼすよりは「まだまし」だ、という論拠を彼らが持っているとしたら、なぜ原子力導入のとき、それを強く主張して、原子力導入に反対しなかったのだ。

「いや、そんな状況ではなかった。世の中の流れは、原子力に傾いていたから、自分ひとり反対しても意味がなかった」
学者の常套句、言い訳である。

大きな災害をきっかけに、過去の持論を蒸し返したとしても、では、その論に未来はあるのか。

いま、とりあえず、放射能の恐怖から逃れるために、原子力導入前に戻って、電力エネルギーを見直しましょう。
資源が枯渇する前に「きっといい案は生まれますよ」という楽観論に、本当に説得力があると思っているのか。

「きっといつか、いい案が」の前に、突然資源がなくなることもあるのではないだろうか。
たとえば、石油、天然ガス産出国に、狂気に捕らわれた支配者が出てこないとも限らない。

そんな狂者が、石油を手品のように一瞬に消し去ることがないとは言えないだろう。
エネルギー・テロリストがいないという保障はないのだ。

1.原子力は危険だ。放射能が怖い。
2.とりあえず、火力で電気を賄おう。
3.では、それが枯渇したときのエネルギーをどう賄おうか。

この中で、将来必ず問題となるのは、「3」である。
1と2は、誰でも思いつく。

しかし、3は、専門家にしか解決できない問題だ。

その3の方法論を具体的に提示してもらわなければ、原発を否定する根拠には乏しい。

その場限りの代替論なら、素人にでも言える。


楽観論しか持たない学者と専門家が、私は嫌いだ。