天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

新聞記事「ガリレオはゆっくり、着実に教会も動かす」とは逆に、私の劇場世界への復権はまったく期待不可能

2010-11-21 09:43:06 | 日記
今日の日記は、19日(金)読売新聞夕刊・ちきゅう 時の散歩『ガリレオ・ガリレイinピサ:全知傾け物理を探究』で取り上げられたガリレオ・ガリレイのことです。添付した写真は、去年9月私も訪れたピサ斜塔と聖堂(新聞掲載の一部)です。
以下に、この記事で印象に残っている記述を一部抜粋掲載します。
『・・先鋭的な科学研究は天動説を堅持するカトリック教会の怒りを買った。二度の宗教裁判の末、有罪判決を言い渡され、ガリレオは自説の「異端」を公言、屈服した。教会が公式謝罪したのは1992年のことだ。・・地球を動かした「天文学の父」は、ゆっくりではあるが着実に、教会も動かしている。』
この紀行文を読んで、私が書いた2009年8月26日付日記『異端審問に屈したガリレオ・ガリレイは360年の歳月を経て、現ローマ教皇にその非を認めさせた』を思い出しました。尚、その教皇は、もう逝去されており、私の記述は「前」教皇の間違いでした。
そして、そんな私の瑣末な間違いだけを糾弾したこの劇場社会独善的応援客の悪行は、さらにもっと悪化しています。「ゆっくりではあるが着実に、教会も動かしている」と言及した読売新聞記事とは、まったく逆の方向に進んでいます。
以下に、その私の日記書込の一部を引用・掲載します。
『17世紀初頭、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイがコペルニクスの地動説を支持、地球が太陽の周りを回ると人々に教えたとして、1633年ローマ教会の異端審問所は、彼に自著出版禁止と無期限拘束の有罪宣告を下しました。唱えた自説を異端と認めなければ、さらに拷問を行なうと脅迫されて、彼はその自説を撤回して過ちを認め、異端(地動説)を放棄しました。・・・人間はとても弱い生き物です。ガリレオ・ガリレイほどの偉人でも自らの信念を捨て、時の権力に屈したのです。だれも、彼を非難できないです。そんな彼の苦渋の姿を私は思い浮かべ、今ガリレオの行動を今回の追放劇で私が取った行動・信念の放棄に対して拠所・大きな励みにしています。でも、ガリレオの場合の偏屈な宗教心による異端審問官と違い、私の追放首謀者はその世界で楽しみを享受し、その恩恵を被っている人間でありながら、外の一般世界が持つその世界に対する蔑んだ倫理観を是として、その世界の素晴らしい価値をまったく認め無い、卑劣でまったく矛盾した論理を持った悪行客です。だから、その悪行客はその追放手段として、外の一般世界が持つその世界に対する倫理観を卑劣に悪用し、私をその世界から追放できたのです。現(私注:「前」の誤植)ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は10年の歳月かけてガリレオ裁判の見直し検討を行い、1992年10月に教会の非を認め、「聖書の権威が、明確で確実な推論と対立するような場合には聖書の解釈が正しくない」という決定を下しました。異端とされたガリレオの復権には360年近く歳月がかかりました。でも、私はその世界への復権はまったく期待できないでしょう。』
この私の投稿から、現在15か月近く経っています。しかし、逆に私を取り巻く環境はさらに悪化しています。私が関係した劇場社会から私を理不尽に追放した首謀者は、私が定義した通り『その世界で楽しみを享受し、その恩恵を被っている人間でありながら、外の一般世界が持つその世界に対する蔑んだ倫理観を是として、その世界の素晴らしい価値をまったく認め無い、卑劣でまったく矛盾した論理を持った悪行客』です。この追放首謀者は、独善的応援を行なう劇場演技者女性のブログを私だけ閲覧不能にしています。追放劇は第二幕になりました。私が去年言及した「その世界への復権はまったく期待できない」は、より強固で完全なものとなりました。
さらに、この劇場社会は、現民主党政権と同じでまったく自浄能力が欠如した悲しい閉鎖社会と私は得心しました。
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