3/3の記事の続きです。
義兄葬儀の備忘録です、振り返ってみました。
2年ほど前の知り合いの葬儀は、東京で行われ、通夜はなく近親者のみの葬儀(昼をはさんで納棺・焼骨・お別れ式)だった。
今回は地方の浄土真宗、前日通夜・翌日告別式の葬儀だった。
通夜は、ほぼ昔どおりみたいのようでした。
告別式は、昔は通夜同様故人の自宅でお寺さんを呼んで行われていたが、今は市の葬祭場を会場にして行っていた。
<4日/通夜の日>
10:42/最寄駅~東京~13:26/ 飯山駅着
はくたか(昨年開通の新幹線で東京から乗り換えなし、7時間ほど要したころと比べると昔日の感です!)
13:30~15:00/妻の数珠を買って城山周辺散策
街中を散策、妻が愛宕町の「春栄堂」で女性用の数珠を買った。
その春栄堂さんから、「鶴亀のわら細工」をいただいた。
気に入った飾りのようで、いたく喜んでいた。
飯山城跡~本町を散策し、飯山駅まで。
市内は、いつもは1m近い雪があるのですが今年はまったく無い!!
数十年ぶりだそうです。
駅に出迎えてくれたMさんの車で、
15:00~16:30/Mさん宅に寄る
Mさん宅前の田畑から高社山がくっきり!!やはり雪が少ない。
右手に斑尾山が見える
久しく会わなかったが、
Mさん・小1のお子さんとくつろいで、車で4,5キロほど離れた義兄宅まで送ってもらう。
16:30~18:00/義兄宅へ、通夜前
義兄は、座敷の仏壇前に安置されていた。
聞こえるわけでもないが、義兄に言葉をかけ焼香を済ませた。
すでに集まっていた遺族・親族としばらく話を交わす。
18:00~19:30/義兄宅通夜、通夜ふるまい
僧侶が見え、参列者を含め『正信偈(しょうしんげ) 「教行信証」の中の七言120句の偈』をあげた。
お経の最中に焼香が廻った。
法話を聞く。
通夜ぶるまいが始まり、故人の話やその他の話が進んだ。
義兄は、3/2直前まで亡くなる様子は見られず、夜の22:00ごろ容態が急変し
翌朝3日の4:00ごろ逝去されたとのこと。
早めに失礼をし、タクシーを呼んで宿泊のビジネスホテルNへ。
19:30~21:00 駅近くのビジネスホテル
ビジネスホテルNは、駅から徒歩10分ぐらいであるが、義兄宅からタクシーで15分ほど。
<5日/告別式の日>
6時起床。
6:00~8:00/朝食~ビジネスホテル周辺散策
朝食を済ませ、8:00に予約したタクシーが迎えに来るまで
JR飯山線
ホテル周辺を散策。
冷え込みが厳しく、濃霧が立ち上がっていた。
愛宕町通りを駅のほうに向かって、若い男女3人が走って行った。
7:30ごろの早朝の時間だった。
通り過ぎてから、デジカメパチリ!
「高橋まゆみ人形館」近くだった。
8:30~9:00過ぎ/義兄宅へ、納棺・出棺
義兄宅付近は、街よりもいくらか積雪量が多い。
田園一帯も濃霧に覆われ、白雪と霧の中に朝の光が差し込み、なんともいえない景観を呈していた。
坂を上ると、山すそにある義兄宅。
8:30、葬儀社の指示により、安置された遺体を納棺。
遺族、親族、近親者で義兄に花を沿え、棺を閉じた。
来られた僧侶のお経の後、出棺。
部屋の中にも明るい日差しが差し込み、穏やかに葬儀が進んでいった。
棺は、霊柩車に乗せられた。
村人に見送られ、マイクロバスと一緒に火葬場へ。
9:40~11:30/火葬場へ、火葬
マイクロバスの車窓から
1時間30分ほどで、白骨と化し、骨壷に収められた。
骨拾いの時、かわいがられていた孫の大学生のY子さんが号泣していた。
12:00~14:20/市の葬祭場へ、告別式、お斎(とき)
火葬場からほどない所に市の葬祭場があった。
故人の縁者が集まって来た。
12:00より、「告別式」。
(1)導師入場 3人の僧侶だった
(2)開式の辞 葬儀社の司会
(3)読経 仏説阿弥陀経、正信偈、蓮如の白骨のご文章などか?法話めいたコメントもされた
(4)一般焼香
(5)導師退場
(6)親戚代表謝辞 喪主
(7)閉式の辞
告別式終了後、13:00過ぎからお斎(とき)=僧侶と遺族、親戚、近親一緒の食事懇親!!
会場で、昔縁があった95歳近い女性が日赤病院に入院しているとの話を伺い、
折を見計らいお斎の会場を抜け出し、14:40~15:30/日赤病院へ、知り合いを見舞った。
ひ孫さん相手に背骨を傷めただけでお元気だった。
16:28~/復路
16:28飯山駅発に乗り、東京駅経由で19:15ごろ帰宅した。
稲毛海浜公園外周回 10k
月間累計 20km