まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『ティファニーで朝食を』素敵なお洋服もいいけれど…

2009-10-17 00:13:39 | アメリカの作家
BREAKFAST AT TIFFANY'S 
1958年 トルーマン・カポーティ

映画では、おっしゃれ~! な部分だけが一人歩きをしているようですが
決してそんなにスタイリッシュな物語じゃありません。
お衣装はたしかに素敵な気もしますが、それはおいといて…
考え無しな女のだらしない毎日を描いた、お子さんにはお薦めできない内容よ。

でも、なぜか優雅で美しいのです。
男に肩をかまれて逃げ込んで来るホリーも
下着姿同然で散らかった床からストッキングを拾うホリーも
14歳で40代の男やもめの後妻になった過去も
何も彼女を汚すことはできない感じは、まさにHolyです。
本当はHollyですけどね。

ホリーはとんでもない女です… でも自由な女です… でもああはなりたくない…
でもちょっとうらやましい… ただの遊び人で怠け者でしょ?… でも根は優しいの。

古今東西、手に負えないヒロインが出てくる物語は多いけれど
読者にほとんど不快感を与えないというのは…カポーティーは素晴らしい。

メンタルな問題だとか過去のトラウマなんてことを言い出すと
とってもめんどくさくなるからやめましょう。
彼女の幸運を祈りつつ、文章を楽しみましょうね。

この本には他に3篇の短篇が収められています。

『わが家は花ざかり』は、ハイチの娼館で売れっ子だった17歳のオティリーが
里山のロイヤルにひと目惚れして出て行ってしまうお話です。
そこには意地の悪い老婆がいて彼女をいびるのよ さてさて…

『ダイヤのギター』は、刑務所の古株で信頼厚い囚人シェファーさんが
新入りの若者ティコ・フェイと仲良くなって脱走をそそのかされる物語。
シェファーさんは乗り気じゃないんだけど、ティコはとてもしつこいんです。

『クリスマスの思い出』は短篇集『夜の樹』に収められていた『感謝祭のお客』と
登場人物が同じだと思われます。
もう… 泣けてきた こんなクリスマス、経験したかった。
カポーティ自身の思い出でしょうか? そうでしょうね?

前にも思ったのですが、カポーティは書く物語の内容によって
憑依されてているんじゃないかと思うほどに表情が違う気がします。
でもやはり彼独特のファンタジーが含まれているんですよねぇ。
暖かいか冷たいかは別にして。

ティファニーで朝食を 新潮社


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余談です
『Moon River』をカラオケで歌うのが好きなんです。
でも聞いてる人は『My Way』と同じぐらいウンザリしちゃうんだって。
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オランダ女王 ヴィルヘルミナ

2009-10-16 01:09:56 | オランダ王妃
2回の大戦をサバイブした
オランダ女王 ヴィルヘルミナ


1880~1962/在位 1890~1948

ヴィルへルミナ女王は1890年に即位して1948年に退位、在位58年。
オランダ王室で最長です。
しかも正式に王位を王女ユリアナに譲ったのは亡くなった時なので
在位72年、ヴィクトリア女王より長くなってしまうんじゃなくて?
      
ヴィルヘルミナはウィレム3世の63歳の時の子供で、ものすごく可愛がられ
たいへんなパパッ子だったそうですが、10歳で父王を亡くし女王に即位します。
その時に訪問を受けたヴィクトリア女王は
“ とても優雅で可愛らしい。賢くて英語も上手に話すし、振る舞いもチャーミング ” と
書き記しています。絶賛ですな!

21歳の時にメクレンブルク=シュヴェリーン公ヘンドリクと結婚しました。
この結婚に愛はないと言われていたものの、ヴィルヘルミナは常に夫を気遣い
ふたりはお互いを思いやっているように見えたということです。

ただ、ヴィルヘルミナはヘンドリクに、オランダの政治について口を出させず
女王の夫にはつきものの “ 妻の後ろに従う夫の立場 ” を守らせました。

さらにふたりにはユリアナ以外の子供ができないのに
ヘンドリクが他所でお子様をこしらえたことが、度々夫婦に争いをもたらします。

例によって、政治的なことは学者の方々におまかせするとして…
なにしろふたつの大戦を、強国ドイツとイギリスの間で生き延びた女王です。
激しい気性の持ち主だったと言われるのもむべなるかな…

ヴィルヘルミナはボーア戦争を起こして植民地を奪ったイギリスのことが
大っっっ嫌いだったそうです 親戚なんだけどね…
20歳の時には大統領ポール・クリューガーを援護するため
オランダ艦隊をトランスヴァールに差し向け、尊敬と賞賛を浴びました。

第一次世界大戦も、良好だったドイツとの貿易維持のため中立を貫き
戦後には共産主義の台頭をおさえたものの
第二次大戦ではナチスに侵攻されて亡命することになりました。

この時女王一家に救いの手を差し伸べたのが大嫌いなイギリス…
けれどもイギリスに落ち着きBBC放送でオランダ国民に語りかけたヴィルヘルミナは
少しイギリスを見直したようです。

その後従姉妹アリスが住むカナダに疎開しましたが、従者なしでオタワの街を歩いたり
一般人と同じ汽車に乗ってアメリカを訪ねる姿が見られたそうです。

1948年には王権を放棄して人気者だった娘ユリアナに譲り
国中を旅して国民に勇気と意欲を与えて歩き、1962年に亡くなりました。

在位72年はヨーロッパではルイ14世についで2番目、世界では7番目
女性では世界一の在位期間を誇ります。

             
                  晩年の女王
              激動の時代を乗り越えてホッとなさっているのかしら?


ナポレオンの台頭と第二次世界大戦で各国の王制のあり方は大きく様変わりをしています。
日本も例外ではありませんが、王制が残っている国と廃止された国、
その経緯にはおおいに興味がありますね。
今後の課題にしてみたいと思います。

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント (2)
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オランダ王ウィレム3世妃 エンマ

2009-10-14 01:04:19 | オランダ王妃
老道楽者の驚きの再婚
ウィレム3世妃 エンマ・ファン・ヴァルデック=ピルモント


1858~1934/在位 1879~1890

エンマの実家はドイツの小さな公国ですが、様々な名家と縁組みをしています。
エンマの姉妹ヘレナはヴィクトリア女王の王子オールバニー公レオポルトへ、
マリーはヴュルテンブルク王ヴィルヘルム2世へ嫁いでいます。

     

そしてエンマも王妃ソフィアを亡くしたオランダ王ウィレム3世の後妻になりました。

しかしですねぇ、ふたりの年の差41歳!
その上ウィレム3世は “ 当代随一の道楽者 ” と言われた浮気な王です。
エンマの前にも姉のパウリーネやデンマーク王女ティーラに求婚してました。
60歳すぎて… お元気ですね。

再婚の翌年、ふたりには王女ヴィルヘルミナが生まれます。
ウィレム3世にはソフィアとの間に3人の子がいましたが
1890年にウィレム3世が亡くなった時、生存していた子供はヴィルヘルミナだけでした。

10歳のヴィルヘルミナが女王として即位したためエンマは摂政に就きます。
女王が18歳になるとその座を退き、王太后として晩年を送りました。
1934年、気管支炎の合併症で亡くなりました。

その後オランダはドイツの侵攻など存亡の危機に立たされます。
危機に立ち向かう娘の側にいて助けたかったでしょうね。
それともそんな悪夢を見ずにすんで良かったのかしら?

お写真から想像するに心が広そうで、包容力がありそうで、頼りになりそう。
政治的なことでなく、恋愛のことや今夜のおかずの相談にのってほしい感じですよね。

             
           若い頃も、なんて言うか…庶民的なお顔ですね

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『鏡は横にひび割れて』リズの姿に涙 ゜(´□`。)°゜。

2009-10-14 01:04:06 | アガサ・クリスティ
THE MIRROR CRACKD FROM SIDE TO SIDE 
1962年 アガサ・クリスティ

私は若い頃のエリザベス・テイラーが大好きなんですよね。
ヘップバーン、バルドー、グレース・ケリーみたいに
女性誌に持ち上げられることはないけど、本当に作り物みたいに綺麗だった。

それなのに、ああ、それなのに…
マイケルの埋葬式といい、フレディ・マーキュリー・トリビュートといい
ショッキング映像!!

そしてショッキングなリズの兆しが見えたのが
彼女が主演した『クリスタル殺人事件』で、この物語が原作になっております。

せりふで「お肉よ、お肉飛んで行け~」って言ったり、共演者に牛よばわりされたり
泣きそうになっちゃったわよ!

内容を簡単に説明すると、ミス・マープルの友人バントリー夫人の館を買った
女優のマリーナ・グレッグが恒例の村の催しを開くのですが
その席で幹事のミセス・バドコックが急死します。

グラスに毒が入っていたようですが、グラスはもともとマリーナのものでした。
マリーナは実は脅迫を受けていたと打ち明けました。

カクテルを作った夫ジェースン、ジェースンに恋する秘書のエラ
マリーナのライバル女優のローラ・ブルースター、
はたまた以前マリーナと結婚していたバドコック氏やら
バドコック氏と親しいベイン夫人、マリーナが捨てた養子たちと
怪しい人物には事欠かきません。(映画より大人数よ)

けれどもミス・マープルが注目したのは、ミセス・バドコックと会話していた
マリーナの表情が一瞬凍り付いたという証言でした。

その後、マリーナのカップにヒ素が入れられ、エラが鼻の薬で急死し
執事のジョゼッぺが射殺されるというとんでもない連続殺人事件へ。
いったい誰の仕業でしょうね? 何が目的なのかしら?

ヒントはね、まるで実生活のリズさながらに
マリーナが何度も結婚を繰り返したってことなのです。
不幸なこともありました。 特に子供に関しては。

事件は「いったいどこからそんな話しをもってきたんだよぉ」という
動機が見つかり解決します。
よーく読んでみると確かに書かれているんですけどね。

なんだかリズの姿が思い出されて投げやりになってしまった
お話は面白かったんだけどもね。

映像もいいけど、活字はより心理劇が楽しめます
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『人間の絆』現実的な夢見る青年

2009-10-13 00:27:53 | イギリス・アイルランドの作家
OF HUMAN BONDAGE 
1915年 サマセット・モーム

この本を読んでいたら何かを思い出した…

スタンダールの『赤と黒』 のジュリヤン・ソレルも
ハーディの『日陰者ジュード』のジュード・フォーレイも
それぞれ聖職者を夢見て、そして挫折してましたね?
そんなに憧れの職業だったのでしょうか? 司教とか牧師って。

『人間の絆』の教訓的な部分や哲学については、解説にびっちり書かれているから
触れないでおくとして、主人公フィリップのポジティブ さに乾杯! って言いたいわ。

フィリップはおおよそ不幸と呼べる境遇を背負っているわりには
どん底を見ることはないんですよね。
それはもちろんフィリップをとりまく環境もあるのだけれど
彼自身の中にある理想と現実の絶妙なバランスが生み出したものではないかと…

現実的な人物としての象徴が牧師の伯父や寄宿学校の教師たちで
夢見る人の象徴がフランスの友人たちや有閑青年ヘイウォード。
彼らの間で冷静な立ち位置を見いだしていったような気がします。

幼いフィリップは両親を亡くして牧師の伯父夫婦に引き取られます。
伯父は厳格だけど、フィリップを聖職者にするための教育には出し惜しみしないし
伯母は優しい愛情を惜しみなく注いでくれます。

脚に問題を抱えているフィリップは学校でいじめにあい友達もあまりできないのですが
そのおかげで(って言ったらなんですけど)存分に勉強ができて将来を嘱望されます。

ドイツ、パリへと飛び出した結果、何も得られず帰って来たように見えて
一生の友達と今後を生き抜く現実的な思考を手に入れています。

恋愛も上手くいっていないように見せかけて、捨てた女性もいることだし
金が底をついた時にも最終的には友人の世話になり、不況の中職も得て
最後は伯父さんの遺産が入り、密かに万々歳という…

ね? あんまり同情できないでしょう?
たしかに波乱含みの平坦ではない人生ですけどね。

唯一の不幸で最大の見せ場、ミルドレッドとの “ 自分ではどうにもできない愛 ”
これはお気の毒としか言いようがありません。
「どうしてそんな女(男)がいいかね?」 というのは他人だから言えること。
理性では分かっていてもコントロールできない愛…
本物の愛かもしれないけど本当に大変そう 真似できないね。

若者の苦悩と挫折を題材にした他の小説と比べてうんざりせずに読み通せたのは
主人公以外の登場人物(これが多い!)の人生やパーソナリティーも描かれていて
いろいろな物語がちりばめられていたからではないかしら?
特に人生に敗北感を感じている人たちのエピソードが多い気もしますけど…
短篇の名手モームの片鱗が表れていると思います。

牧師の伯父に引き取られたり、ドイツに行ったり、医者を目指したりと
主人公フィリップはモームの人生に重なり合う部分が多いそうですが
自叙伝だとは考えない方がいいみたいです。
なんたってモームは皮肉屋さんですから… どこまで本当のことを書いているのやら…

人間の絆 上巻 新潮社


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新潮文庫はこんな感じ…可愛いですね。
上下刊みたいです。

余談です
今読み返してみると『日陰者ジュード』と『赤と黒』に対する私の感想は
相当投げやりですね そんなにつまらなかったかな?
いつか読み返してみましょう。

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『愛の探偵たち』ラヴ・ストーリーではありませんが…

2009-10-11 00:15:28 | アガサ・クリスティ
THREE BLIND MICE 
アガサ・クリスティ

“ 愛 ” をテーマにした物語が8篇収められている短篇集です。
愛とはいっても男女のことだけでなく、家族愛なんかも含まれています。

気に入った物語をいくつかご紹介しますね。

『三匹の盲ネズミ(Three Blind Mice)』
ジャイルズとモリーの新婚夫婦が始めた下宿屋に入居人がやって来た翌日
トロッター刑事部長がやって来て殺人犯がいるかもしれないとふたりに告げます。
ふたりは下宿人たちの詳しい素性をしりません。
それどころかお互いの過去も本当なのか分からないのです。

昔の小説の下宿屋って風情があって好きなのよね。
でも同じ屋根の下で一緒に暮らす人々の素性が分からないっていうのは怖いかも…
特に今みたいなご時世じゃあ、下宿屋経営は難しいかもしれないですね。

『非の打ちどころがないメイド(The Case of the Perfect Maid)』
ミス・マープルのメイドの姪グラディスが、あらぬ疑いをかけられて
スキナー姉妹のところをクビになりました。
誰もがメイド探しに苦労すると思っていたら、なんと完璧なメイドがやってきます。
しかしその完璧なエミリーは、11日後に姿を消してしまいました。
フラット中の家から盗みをはたらいて…

読んでいるうちに犯人は分かります。 クリスティがよく使う手だしね。
でもコミカルで読んでいて楽しいところが好きですね。

『管理人の事件(The Case of the Caretaker)』
インフルエンザになったミス・マープルを診察しにやってきたヘイドック医師が
薬のかわりにある事件の覚え書きを置いて行きました。
それは村に帰って来たハリーの新妻が馬から落ちて死んだ事件。
実は新妻はハリーの屋敷の管理人だった老婆を恐れていました。

事件の中身はともかく、薬のかわりに犯罪解決っていうのがいいでしょ?
さすが主治医、よく分かっていらっしゃる。
ミス・マープルは事件を解いたらすっかり良くなっちゃったんですよ。

『三匹の~』は舞台にもなったそうです。
登場人物のキャラクターもはっきりしているし
目の前で見たらとってもハラハラドキドキしそうだもの。

クリスティもいくつか戯曲を書いているのですけれど
戯曲が苦手な私は読んでないんですよね。

いつか克服しなければ、名作を読まずに人生を終えることになってしまう…
まずはクリスティで克服してみようかと考えています。

地味めですが、かなりおもしろい一冊です
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オランダ王ウィレム3世妃 ソフィア

2009-10-11 00:06:04 | オランダ王妃
死装束に思いを込めた王妃
ウィレム3世妃 ソフィア・ファン・ヴュルテンブルク


1818~1877/在位 1849~1877

ソフィアにはギリシャ王オットー1世との縁談があったのですが
父のヴュルテンブルク公が「できたばっかりの王国は信頼できない」と
考えて破談になりました。

1839年、シュトゥットガルトでウィレムと結婚しました。

ソフィアの母カタリーナは、ウィレム2世妃アンナの姉ですので
ウィレム3世とは従兄弟、義理の母は伯母にあたります。

       

この結婚はソフィアにとって大変不幸なものになりました。

まずは義理の母アンナ… やっぱりね
アンナはなぜか姪のソフィアとの結婚に大反対だったんですね。
そこでソフィアのことを完全無視、見向きもしません。
そんな母親にウィレムが全幅の信頼を寄せているというのも腹立たしいですね。

ソフィアはウィレム3世より、知性の面ではるかに勝れていました。
そしてそのことを隠そうとせずウィレムを見下していました。
現にウィレム3世は権威主義者で国民にも不人気だったそうよ。
ソフィアがウィレムのことを王に相応しくないと考えていることは
誰が見ても丸見えスケスケだったということです。

ソフィアは離婚を試みるも拒否され、なんとか1855年に別居にもちこみました。
その後はできるだけ故郷で過ごしていましたが亡くなったのはハーグでした。

ソフィアのたっての望みで、彼女は花嫁衣装で葬られました。
これはね…ロマンティックな理由からじゃないの。
彼女がこのドレスに込めた思いはね…
「私の人生は、結婚した日に終わった」という意味なのです。
幸せの絶頂で着るはずの花嫁衣装を、こんな形で着なければならないなんて…

            
                若い頃の肖像画
               こんなにふっくらした顔が…やはり気苦労か?


(参考文献 Wikipedia英語版)
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オランダ王ウィレム2世妃 アンナ

2009-10-09 01:33:17 | オランダ王妃
小さな王室に驚いた
ウィレム2世妃 アンナ・パウローナ


1795~1865/在位 1840~1849

アンナはナポレオンがジョゼフィーヌと離婚した後
高貴な家柄の公女と結婚したいと望んで最初に求婚した女性です。
兄のロシア皇帝アレクサンドル1世が断ったのでハプスブルク家にとばっちりが…

        

アンナは1816年にウィレム2世と結婚しました。
式をサンクトペテルブルクで挙げて1年ほどロシアで過ごした後
オランダに向かったアンナは、ロシア皇室とオランダ王室の
あまりのギャップにショックを受けました。

「え? これって王宮? 門番小屋じゃなくて? 」てな感じでしょうか。
なにしろロシアの宮殿は、寒いかもしれないけどでっかいしゴージャス。
それに比べてオランダは… 素朴でコンパクトだったんでしょうね。

それから貴族社会が小さくて、王室と民衆の距離が小さいことにも驚きました。
昔から気さくだったんですね、オランダ王室。

アンナはなかなか慣れることが難しかったようです。
慣れる気がなかったんじゃないか? とも思われます。
最後まで民衆との距離は縮まらなかったようですよ。

だいたいアンナはロシア正教からプロテスタントに改宗もしていません。
逆にロシアに嫁ぐ女性ほとんど改宗させられていたんですけどね。

ウィレム2世は浮気癖があったようで、喧嘩が絶えることがなく
結婚生活は大荒れでした。

1829年にアンナの宝石がいくつか盗まれる事件がおきると
彼女は夫に疑惑の目を向けたほどです。
ロシア皇帝一家の宝石ってすごそうじゃない?
愛人にあげたらさぞ喜ぶことでしょう… 真偽のほどは分かりませんが。

1840年に父王が退位し、ウィレム2世が即位しました。
アンナは王妃になったわけですが、その3年後にはふたりは別居します。

1849年、ウィレム2世が亡くなると息子ウィレム3世が即位します。
風格と威厳たっぷりで堂々としていたアンナは、未亡人になっても
前王妃に相応しい晩年を送ったとされています。
てことは、偉そうだったってことかしら? 次の王妃へ…つづく

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『スリーピング・マーダー』ミス・マープル最後の事件

2009-10-08 01:00:42 | アガサ・クリスティ
SLEEPING MURDER 
1976年 アガサ・クリスティ

直訳すると『眠れる殺人』… なんだか怪しく美しそうな題名ですね。

結婚してデボンシャーへやってきたグエンダは一目見てヒルサイド荘が気に入り
夫のジャイルズを説得して購入しました。
しかし家をリフォームするうちに、なぜかそこで暮らしたことがあったような
錯覚に陥ります。

壁紙の柄、ドアの位置、子供部屋の場所、昔庭に階段があったことなど
知らないはずなのに次々言い当てるのです。

ある日階段の手すりから、女性が死んでいる場面を見てしまいます。
しかもその女性の名前はヘレンだということまで知っていました。
もちろん錯覚でしたが、グエンダには納得がいきません。

実はグエンダは昔ヒルサイド荘に住んでいたのです。
ヘレンは父が再婚した女性の名前で、彼女はある日こつ然と姿を消しました。
父はヘレンを殺したと言い張り、病院に入れられ亡くなりました。
幼い頃オーストラリアのおばに預けられたグエンダは知らなかったことでした。

不思議ですよね?
何かに導かれる運命って、絶対に無いとは言い切れないものです。

グエンダとジャイルズは若者ならではの好奇心でヘレンの行方を探ろうと調査を開始し
ヘレンの兄や関係があった男性たちを訪ね歩きます。

ヘレンの兄ケネディ医師は協力的でした。
昔ヘレンに婚約破棄された弁護士フェーンは戸惑い気味です。
ヘレンと逃げたと有力視されていた軍人アースキンは今でもヘレンに未練がありそうです。
若い頃ヘレンと付き合っていたアフリックは、ある疑問を感じていました。

いつもなら真相を明かしたくて仕方がないミス・マープルなのですが
ふたりには「眠れる殺人はそっとしておきなさい」というアドバイスを与えました。
もちろん言うことを聞くふたりではなかったのですけど…

確かに、明かされた真実はある者には幸福をもたらしました。
けれどその真相を解明するためにはさらにひとりの犠牲者が必要でした。
そしてもうひとり…ミス・マープルの機転のおかげで助かったのです。
めでたし、めでたし

サブタイトルが『マープル最後の事件』ってなってるのが悲しくってねぇ
現存するおばあちゃま探偵は、ほぼミス・マープルを踏襲していると
思い込んでいる私ですが、やはり彼女を越えてはいないと思うのよねぇ…
かなりひいき目ですけど。

美しく哀しい殺人劇
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オランダ王ウィレム1世妃 ヴィルへルミナ

2009-10-07 02:28:15 | オランダ王妃
ほとんど存在感がなかったらしい
ウィレム1世妃 ヴィルヘルミナ・ファン・プロイセン


1774~1837/在位 1815~1837

若い頃のことがさっぱり分かりませんが… 幼少期には大伯父のフリードリヒ大王に
厳しく教育されたらしいのですけれどもね。

17歳の時に従兄のウィレムとベルリンで結婚しました。
義理の母は叔母にあたるヴィルヘルミナ… けっこうパワフルです。

        

1795年、フランスの侵攻にあい、夫とともにイギリスへ逃れました。
なんとかフランスから領土を取り戻そうと試みたもののうまくいかず
1814年、やっとフランス軍が撤退してオランダに戻ることができました。

ウィーン会議の後、ウィレムは晴れてオランダ(ネーデルラント)の
初代王になり、ヴィルへルミナも初代王妃になりました。
(* ボナパルト家の王もオランダ王なんですけど
   ネーデルラント連合王国になって初めての王ということで…)

ヴィルヘルミナは極度に内気でほとんど表に出なかったそうです。
ドイツ風の装いも酷評されたそうで、ちょっと不人気な王妃でした。

              
                 若い頃のヴィルへルミナ
                   素朴で領民の娘みたいな感じですね


1820年頃から体調を崩し、もはや公の場にもめったに姿を見せなくなりました。

肖像画で判断するのはいかん!と思いつつ、アクティブでご陽気には見えないものね。
初代王妃ですから期待も大きくてプレッシャーだったでしょうが
もう少し華やかさが欲しい…

ウィレム1世の晩年には暴動はおこるし、ベルギーは独立しちゃうしで
退位することになるのですが、王妃が人気者だったら少しは違ったかもしれない…
男性の地位が高くなればなるほど、妻の力ってけっこう大きいと思うよ。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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オランダ王ローデウェイク2世妃 シャルロッテ

2009-10-06 02:09:35 | オランダ王妃
“ もと王 ” に嫁いだ王女
ローデウェイク2世妃 シャルロッテ・レオポルディーネ・ボナパルテ


1802~1839/在位せず

シャルロッテは王妃ではないのでどうしようか迷ったのですけれど
とりあえず流れで入れてみた。

ローデウェイク1世はオランダのためを考えて兄ナポレオンに逆らったために
退位させられるのですが、父の退位から伯父ナポレオンのフランス軍侵攻まで
10日間王の座についたのが6歳の息子ナポレオン・ルイ(ローデウェイク2世)でした。
シャルロッテがルイと結婚したのはもちろんもっと後なので王妃にはなっていません。

シャルロッテの父はナポレオンの兄ジョセフで、ナポリ王、スペイン王になった人物。
ジュリー・クラリーは、ナポレオンの恋人で後のスウェーデン王妃デジレの姉です。

         

父ジョセフは(私はひどい男だと思うんだけれども)スペイン王を退位すると
アメリカに広大な土地を買ってさっさと移住してしまいました。 妻子は残してね!
しかもスペイン王室から名画を持ち出していて
アメリカではたいしたコレクターと見られていました。

シャルロッテがルイと結婚したのはワーテルローの後だと思うのですが
はっきり分かりません。
直後だと13歳だからなぁ… もう少し後でしょうけど
ボナパルト家結束&再興のための結婚だったようです。

1821年から1824年まで、アメリカの父のもとに滞在しています。
その間ニュー・ジャージー近郊の風景画を多く描いています。
結婚はその後かしらね?

シャルロッテがパリで彫金やリトグラフの勉強をしていた時には
芸術家のルイ・レオポール・ロベールと愛し合っていると噂になっていました。
これが結婚前か結婚後かが不明。

36歳の時に出産で死亡したことになっているのですが
夫ルイはその8年前に亡くなっていまして…
(ちなみにルイ・レオポール・ロベールも4年前に亡くなってます)
いったい誰の子か?

シャルロッテは何点か肖像画も描いています。
腕前がいかのほどのものか作品をさがしてみたのですが発見できませんでした。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『賭博者』悪魔に魅入られた人々

2009-10-05 01:10:26 | ロシアの作家
ИТРОК 
1866年 ドストエフスキー

感想を書くまでにすごく時間がかかってしまった… なにやら身につまされて。

舞台はドイツの保養地のホテル。
主人公は家庭教師のアレクセイと、賭博でめちゃくちゃになった将軍一家です。

アレクセイが恋いこがれる将軍の娘ポリーナは
一家につきまとう胡散臭いフランス人デ・グリュー侯爵を想っているみたいなのだが
財産がないので上手くいかない様子。

将軍はたぶん借金やなにかでロシアにいられなくてドイツにいるのね。
彼はデ・グリューの親戚を名乗るブランシュに求婚したくてしょうがないのですが
ブランシュは金がかかる女です。
家計が火の車の将軍にはとてもとても…

そんな一家と他数名が待ち望んでいるのが
有り余る金を持つ伯母のアントニーダ老婦人が死亡したという電報です。
危篤だという電報をもらってから彼らは今か今かとその一報を待っています。

そんなある日、ポリーナの冷たい態度にイライラして問題を起こしたアレクセイは
クビを言い渡されてしまうのですが、彼の目の前に救世主のように現れたのは
誰あろう… ピンピンしているアントニーダ老婦人でした。
将軍一家はどうなってしまうのでしょう?

この後老婦人がルーレットの狂喜に魅惑されてしまい
ポリーナを救おうとするアレクセイもルーレットに挑むわけですが…

ルーレットを囲んで次第にギラギラしてくる人たちの様子に鬼気迫るものがあって
さすが自らが賭博常習者だったドストエフスキー!って感じ
経験+才能が見事に融合した場面です。

物語は予期しなかった、というか好きになれない展開をみせていきます。
ルーレットと真剣勝負をしたその夜を堺に
アレクセイの人生は大きく変わってしまったようです。 もちろん悪い方へね。

素直でなかったポリーナが悪いのか? 鈍いアレクセイが悪いのか?
私はポリーナがもう少し女らしい感情を見せていたら
ふたりの人生も違ったものになっていたと思うんですけどね。

でもそうなるとただのラブストーリーになっちゃうわけで
ドストエフスキーらしさが無くなってしまうのかしら?

賭博で手にした大金はあえて見苦しく、バカバカしく使うことになるのだという
彼なりの警告が込められているような気もします。
しょせんはあぶく銭なわけですから…

私は競馬は好きだが、大きくつぎ込もうとする人の気がしれません。
1000円ぐらいでいいじゃない? と思うのですが
1000円が2000円になったところで何も面白くないんですってさ。
10000円が20000円に、100000円が200000円にならないとダメなんだと。
0円になった時のことを考えないのかね?
恐ろしや、ギャンブラーの思考。

賭博者 新潮社


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オランダ王ローデウェイク1世妃 オルタンス

2009-10-05 01:04:28 | オランダ王妃
ナポレオンに愛された義理の娘
ローデウェイク1世妃 オルタンス・ド・ボーアルネ


1783~1837/在位 1806~1810

オルタンスはナポレオンの最愛の人、ジョゼフィーヌ の連れ子です。
ジョゼフィーヌの再婚のいきさつは省くとして
ナポレオンは彼女の子供たちを実の子のようにかわいがっていました。

      

オルタンスはナポレオンの妹カロリーネとともに教育されました。
背が高くスレンダーで、顔立ちが美しい少女でした。
音楽好きでアマチュア作曲家だったオルタンスは
ナポレオン軍のためにいくつか行進曲も作曲しました。

ナポレオンはお年頃になったオルタンスを、弟のルイと結婚させることにします。
義理の娘可愛さからか、一族の結束を強化したのか、はたまた
娘をナポレオンの弟に嫁がせれば安心と考えたジョゼフィーヌの影響によるものかは
分かりませんが、この結婚はあまり幸福ではなかったみたい

オルタンスはお美しい上に母親に似て社交的だったのね。
その上19歳という遊び盛りです。
一方ルイは精神的に弱いところがあり沈みがちで
一時はホモセクシャルにもはしったということで、夫婦生活は愛のないものでした。

               
                   肖像画をもう一枚
                   やはりお美しいという噂は本当だったみたい


1806年、ナポレオンにオランダ(ホラント)王に指名されたルイは
ローデウェイク1世としてハーグに赴きオルタンスも従いましたが
1810年に退位するとルイはドイツへ、オルタンスはフランスへ向かい
ふたりは別居、事実上の離婚ということになりました。

自由の身になったオルタンスは、かねてから想いを寄せていた
フラオー伯シャルル・ジョセフの愛にこたえることにします。
1811年にはジュネーブでシャルル・オーギュストを極秘の内に生みました。
シャルルは後にルイとの息子フランス皇帝ナポレオン3世によって
モルニー公に叙位されています。

1814年のブルボン家再興の時には、オルタンスはロシア皇帝アレクサンドル1世の
保護を受けて、その口添えでルイ18世からサン・ルー公爵にも叙位されました。
それなのに! ナポレオンが俗に言う百日天下でパリに戻って来ると
オルタンスは全面的に義理の父をサポートする側にまわりました。

アレクサンドル1世といえば、ナポレオンを打倒したことで
ヨーロッパで一目おかれる存在になった皇帝です。
ルイ18世はナポレオンの宿敵以外の何者でもありません。
そんなふたりを手玉にとるなんて、大人しそうな顔してやり手だね!

もちろん、ナポレオンの失脚後はフランスから追放されちゃいました。
ドイツやイタリアを渡り歩いた後スイスのアレネンベルク城に落ち着き
亡くなるまで過ごしましたが、ボナパルト家再興の夢は捨てなかったらしいですよ。

義理の父親だし、母親は離婚されてるんだし、夫とも縁は切れてるのだし
大人しくしていたらフランスで安泰に暮らせたかもしれなかったのにね。
何が彼女をそうさせた? ナポレオンとの思い出だろうか?
義理深い女性だったんですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント (2)
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オラニエ公ウィレム5世妃 ヴィルヘルミナ

2009-10-03 10:38:20 | オランダ王妃
野心満々の兄を助けた公妃
ウィレム5世妃 ヴィルヘルミナ・ファン・プロイセン


1751~1820/在位 1767~1802

ヴィルヘルミナはウィレム5世のまた従妹にあたります。
16歳の時に結婚しました。

    

プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の孫ヴィルヘルミナは
気位が高く政治的野心が旺盛な女性でした。
それに、プロイセン王になって間もないホーエンツォレルン家は
領土拡大を狙っていたに違いありません。

1787年には兄王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世が革命鎮圧の名目で侵攻してきます。
ヴィルヘルミナは兄王とともに力を持つことになりました。

革命派の多くはフランスへ逃れますが、1795年のフランス革命後に
共和党政府の援助を得てオランダに舞い戻ってきました。

ネーデルラントはフランス軍によって崩壊し
ウィレム5世は従兄弟にあたる大英帝国王ジョージ3世を頼ってイギリスへ逃れ
その後は領地であるナッソウとブルンスウィックを転々とする生活。
革命の時には、グエルダースに移した宮廷をハーグに戻そうと頑張って
家臣たちから引き止められたこともある彼女です。
こんな亡命生活をどう思っていたでしょうね?

1806年にウィレム5世が亡くなると、同じく未亡人になっていた娘フレデリカと
一緒に過ごすようになります。

そんな地味目な生活におさらばの時が!
1814年、父親と亡命していたウィレムが戻ってきてオランダ王になったのです。

ナポレオン・ボナパルトの失脚がもたらしたラッキーな結果だとはいえ
再びオランダに君臨することになった息子… 嬉しかったでしょうね?
その後はネーデルラントにに戻って1820年に亡くなりました。

息子の嫁ヴィルヘルミナは姪にあたるし、かなり大人しい性格…
宮廷では存分に親分風を吹かしたんじゃないかしらねぇ。

(参考文献 Wikipedia英語版)
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『ねじれた家』解決してはならない事件

2009-10-01 02:01:51 | アガサ・クリスティ
CROOKED HOUSE 
1948年 アガサ・クリスティ

お馴染みの名探偵が誰も登場しない物語です。
読んだ直後は、ミス・マープルにも似合う事件じゃない? なんて思ったのですが
それでは駄目なのだということに気がつきました。

なぜなら、この事件は解決してはならなかったから。
最後まで犯人は分かっちゃいけなかったんです。
ミス・マープルやポアロじゃあ解決しないわけにはいかないものね。

捜査にあたったのはタヴァナー警部とチャールズ・ヘイワードという外交官です。
なぜに外交官が? といいますと、被害者がチャールズの恋人ソフィアの祖父で
この事件が解決しないと結婚できないと言われたからです。
その上おあつらえ向きにチャールズの父親が副警視総監だったので
捜査に参加することができたわけです。

アリスタイド・レオニデスは一代で名を成した大富豪でしたが
常用している薬ではなく目薬を注射されたために死亡しました。
疑われているのは同居していた家族たちです。

薬を注射した50歳以上も若い後妻のブレンダ。
ブレンダと怪しいとみられる家庭教師の青年ローレンス。
譲られたレストラン・チェーンが破産寸前の長男ロジャー。
夫を父親から引き離したいと切望しているロジャーの妻クレメンシィ。
父親がロジャーを援助しようとしたことを憎々しく思っていた次男フィリップ。
探偵気取りでかぎまわっている娘ジョセフィンを急にスイスの学校に入れようとする
フィリップの妻マグダ。
アリスタイドを嫌っていた前妻の姉エディス・デ・ハヴィラント。

みんなかなり怪しいですよね?
そんな中、ジョセフィンが遊んでいると石が落ちてきて怪我をします。
ジョセフィンは知りすぎてしまったのかもしれません。

そしてどんでん返し!
なんと、遺産のほとんどがソフィアに遺されていたことが分かりました。
しかもソフィアはそのことを密かに聞かされていたのです。

どうなっちゃうの? ふたりの結婚。

ジョセフィンが見つけたラブレターのおかげでブレンダとローレンスが逮捕され
事件は一件落着に思えたのですが、ジョセフィンのカップのココアを飲んだ
ばあやが急死しました。
事件はふりだしへ…

家族がお互いに疑心暗鬼になる中で最後の殺人がおこります。
真犯人は明らかになりますが、悲しい結末でした。

この結末のためには、誰も事件を解決しちゃならなかったのよね。
私はずーっと別の人が犯人だと思っていたのですけれど
ある場面で真犯人が分かりました。
あまりにも悲しい場面… ああ、チャールズに気付いてほしかった

ところで、チャールズのお父さんったら、最後の最後に犯人を聞いて
「そう思ってた」なんて言うのはどうかと思うよ
分かっていたなら早く言ってくれなくちゃ。

まったく予想のつかない展開にふりまわされっぱなしでした
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

コメント (2)
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