まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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フランス皇帝ナポレオン1世愛妾 マリー

2009-10-22 01:54:31 | 王の寵姫・愛妾
従順にもほどがあってよ!
ヴァレフスキー伯夫人 マリー・ヴァレフスカ


1786~1817/愛妾 1807~1814

マリーはポーランドの貴族ラクズィンスキー家の娘ですが
貴族とは名ばかりの貧しい家でした。

父親が亡くなって借金で首がまわらなくなったところへ訪ねてきたのが
古くからの友人アナスタシオ・ヴァレフスキー伯爵、68歳です。
妻をふたり亡くしたやもめ暮らしで、大変な財産家でした。
根はいい人で、家族を助けてあげたいと思ったところまではよかったが
このじい様、目を付けたのが母親じゃなくて16歳のマリーってところがどうよ?

もちろんマリーは渋りますが、家族に説得され嫁ぐことになりました。
けれどじい様は優しくダンディだったようで、マリーにも愛情が芽生えたらしい…
アントニーという息子も生まれています。

ロシア、オーストリア、プロシアにズタズタにされたポーランドに
救世主という期待を一身に受けたナポレオンが姿をあらわしたのは1807年でした。
愛国者マリーももちろんその場で彼を見つめていました。
そのマリーに惹かれたナポレオンは早速アタックを始めます。
いつものように花束、舞踏会、ラブレターと女性が喜びそうなものを贈り続けますが
マリーは夫を裏切れないと相手にしませんでした。

そこでナポレオンは「ポーランドのために尽くすかどうかはマリー次第」と
なんと臨時政府にまで通達しちゃう始末。
結局政府代表がマリーの説得に出向き、マリーは泣く泣くナポレオンのもとへ…
ってことになってるんですけどねぇ、どうでしょう?

だって訪ねて行ったきり4年間帰ってこないんですもの。
しかも本気でナポレオンを愛しちゃったっていうんですからね。
息子アレクサンドルも生まれました。
(この時出産の手助けをしたのは夫のヴァレフスキー伯爵なのね

マリーは劣勢になったナポレオンに会いにパリへ向かいます。
エルバ島に流された後も、アレクサンドルを連れて会いに行きますが
皇后マリー・ルイーズとローマ王がやってきたという噂が流れ
スキャンダルを恐れたナポレオンに帰されてしまいました。
百日天下の時にもエリゼ宮を訪ねています。

しかしセントヘレナ島に流されたナポレオンは帰って来ませんでした。
夫ヴァレフスキー伯も亡くなっています。

そんなマリーに求婚したのがナポレオンのまた従兄弟オルナノ伯でした。

      

オルナノ伯はナポレオンに同行してポーランドを訪ねた時からマリー一筋で
うちひしがれた彼女を妻にしようと思ったのです。
拒み続けていたマリーも説得に負けて1816年に再婚します。
翌年息子ロドルフを生みますが健康が衰え始め
思い出の地パリでナポレオンの名を呼びながら亡くなりました。
31歳でした。

オルナノ伯はナポレオンに電報をうったのだけれど届かなかったんだって。
マリーを亡くした後40年間を独身で通したオルナノ伯は
彼女の心臓を肌身離さず持っていたそうです。
オルナノ伯を愛した方が幸せになれたんじゃないかね?

どの男性とも泣く泣く…っていうのが可哀想ですね。
少しは自分の意見を主張すればよいものを、家族の言いなりになって
国の言いなりになって、最後は押し切られ…
従順な性格が仇となり短い一生をおえるはめになってしまったマリー、
性格が弱すぎる女性に思えますが、当時は当たり前のことだったんでしょうかね?

              
                  あどけないですね
                 これで68歳の嫁にやられてしまうとは… ううむ


アレクサンドルはオルナノ伯に引き取られ外務大臣になりました。
ロドルフの子孫ユベール・ドルナノはシスレー化粧品のオーナーだそうです。

(参考文献 ドーン・B・ソーヴァ『愛人百科』
      川島ルミ子氏『ナポレオンが選んだ3人の女』 Wikipedai英語版)

ジョゼフィーヌ、ナリー・ヴァレフスカ、マリー・ルイーズを詳しく紹介
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