庶民派の賢王
オランダ女王 ユリアナ
1909~2004/在位 1948~1980
ユリアナは王女とはいえ宮殿内の教室で同年代の少女たちと一緒に
女性のための一般的な教育を受けて育ちました。
お母様ヴィルヘルミナ女王と一緒に
しかし兄弟が生まれないまま18歳を迎えると王位継承者になることが決まるり
急ピッチで勉強が進められます。
18歳の誕生日には祝典が開かれ国会議員に指名されました。
同年ライデン大学にも入学します。
恥ずかしがりやで内気なユリアナは、国会議員のイメージにはそぐわなかったのですが
しばらくすると国民から慕われるようになっていきました。
同じ頃母ヴィルヘルミナ女王はお相手探しに明け暮れていました。
当時プロテスタントの独身の王子を探すのは至難の業だったそうです。
英国やスウェーデン王子には辞退されてしまいました。
1936年、バヴァリア冬季オリンピックで(女王のはからいがあったみたいですけど)
リッペ=ビーステルフェルト公子ベルナルドと会い婚約へ。
ベルナルドは丁寧な物腰の紳士で、真面目そうな都会人でした。
ユリアナはベルナルドを深く愛するようになります。
ふたりには戦争による別居や、ベルナルドの庶子問題などがありましたが
ユリアナの愛情は終生変わりませんでした。
結婚はヒトラーのナチス=ドイツの誕生で危ぶまれましたが無事行われます。
しかし、ベルナルドがオランダの国籍をとり名前を改めたのに
ヒトラーはふたりの結婚をドイツとオランダの同盟の証だとにおわせました。
これには激しい気性の母ヴィルヘルミナ女王が大激怒で
微妙な時期にも関わらず公式に非難しました。
いずれにしてもドイツはオランダへ侵攻してきます。
ユリアナ一家は英国へ渡った後カナダへ移りました。
カナダでは子供たちは普通の学校に通い、ユリアナはウルワースへ買い物に、
隣人に子供が生まれた時にはベビーシッターもかってでています。
庶民派のオランダ王室一家はカナダで人気者になりますが
子供たちのマナーは乱れてしまって、国に帰ってから夫婦の意見が食い違うことに…
ユリアナは君主制はいずれ廃れると考えていて、子供たちの暮らしを
できるだけ市民生活に近いものにしようと考えていました。
ユリアナはオランダに戻ると戦前におこった飢饉に対する北部への救済策を
冬が来る前に実施しようと、赤十字等にアクティブに働きかけました。
国民のために動き回る彼女の姿に国民は尊敬の念を抱き愛されるようになります。
ヴィルヘルミナ女王は退いて娘に国を託すことにしました。
ユリアナは女王になってからもちゃりんこで市内を走り回っていたそうですよ!
すごく素敵 でも現代の方が難しいかもしれませんね。
テロなんかもあるし、危なくて勝手に出歩けないかもしれない。
1980年に王位を現女王ベアトリクス女王に譲ったユリアナ女王は
1990年頃から体調が衰え公式の場には一切出なくなりました。
その後は24時間体制で看護下におかれていましたが
2004年、眠っている間に亡くなりました。
夫ベルナルド公は8ヶ月後に亡くなり、ユリアナ女王の側に眠っています。
ユリアナ女王からベアトリクス女王一家まで。
娘さんやお孫さんたちの結婚にもいろいろとあったようですが…
オランダか北欧だか忘れてしまいましたが、王族がちゃりんこで会社に通ってるって
以前聞いたことがありますよ。
オランダだったかなぁ…? だとしたらユリアナ女王時代に培われた
自由で庶民的な王室のスタイルが守られているのかもしれませんね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
オランダ女王 ユリアナ
1909~2004/在位 1948~1980
ユリアナは王女とはいえ宮殿内の教室で同年代の少女たちと一緒に
女性のための一般的な教育を受けて育ちました。
お母様ヴィルヘルミナ女王と一緒に
しかし兄弟が生まれないまま18歳を迎えると王位継承者になることが決まるり
急ピッチで勉強が進められます。
18歳の誕生日には祝典が開かれ国会議員に指名されました。
同年ライデン大学にも入学します。
恥ずかしがりやで内気なユリアナは、国会議員のイメージにはそぐわなかったのですが
しばらくすると国民から慕われるようになっていきました。
同じ頃母ヴィルヘルミナ女王はお相手探しに明け暮れていました。
当時プロテスタントの独身の王子を探すのは至難の業だったそうです。
英国やスウェーデン王子には辞退されてしまいました。
1936年、バヴァリア冬季オリンピックで(女王のはからいがあったみたいですけど)
リッペ=ビーステルフェルト公子ベルナルドと会い婚約へ。
ベルナルドは丁寧な物腰の紳士で、真面目そうな都会人でした。
ユリアナはベルナルドを深く愛するようになります。
ふたりには戦争による別居や、ベルナルドの庶子問題などがありましたが
ユリアナの愛情は終生変わりませんでした。
結婚はヒトラーのナチス=ドイツの誕生で危ぶまれましたが無事行われます。
しかし、ベルナルドがオランダの国籍をとり名前を改めたのに
ヒトラーはふたりの結婚をドイツとオランダの同盟の証だとにおわせました。
これには激しい気性の母ヴィルヘルミナ女王が大激怒で
微妙な時期にも関わらず公式に非難しました。
いずれにしてもドイツはオランダへ侵攻してきます。
ユリアナ一家は英国へ渡った後カナダへ移りました。
カナダでは子供たちは普通の学校に通い、ユリアナはウルワースへ買い物に、
隣人に子供が生まれた時にはベビーシッターもかってでています。
庶民派のオランダ王室一家はカナダで人気者になりますが
子供たちのマナーは乱れてしまって、国に帰ってから夫婦の意見が食い違うことに…
ユリアナは君主制はいずれ廃れると考えていて、子供たちの暮らしを
できるだけ市民生活に近いものにしようと考えていました。
ユリアナはオランダに戻ると戦前におこった飢饉に対する北部への救済策を
冬が来る前に実施しようと、赤十字等にアクティブに働きかけました。
国民のために動き回る彼女の姿に国民は尊敬の念を抱き愛されるようになります。
ヴィルヘルミナ女王は退いて娘に国を託すことにしました。
ユリアナは女王になってからもちゃりんこで市内を走り回っていたそうですよ!
すごく素敵 でも現代の方が難しいかもしれませんね。
テロなんかもあるし、危なくて勝手に出歩けないかもしれない。
1980年に王位を現女王ベアトリクス女王に譲ったユリアナ女王は
1990年頃から体調が衰え公式の場には一切出なくなりました。
その後は24時間体制で看護下におかれていましたが
2004年、眠っている間に亡くなりました。
夫ベルナルド公は8ヶ月後に亡くなり、ユリアナ女王の側に眠っています。
ユリアナ女王からベアトリクス女王一家まで。
娘さんやお孫さんたちの結婚にもいろいろとあったようですが…
オランダか北欧だか忘れてしまいましたが、王族がちゃりんこで会社に通ってるって
以前聞いたことがありますよ。
オランダだったかなぁ…? だとしたらユリアナ女王時代に培われた
自由で庶民的な王室のスタイルが守られているのかもしれませんね。
(参考文献 Wikipedia英語版)