![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/57/4078203251c3330a8ff72de3fa7ec053.jpg)
一時代をつくりあげた
大英帝国女王 ヴィクトリア
1819~1901/在位 1837~1901
スチュワート王家の最後の王、アン女王に跡継ぎがなかったことから
ドイツのハノーヴァー家に王権が移って6代目にあたるヴィクトリア女王は
もうどっからどうみてもドイツ人なんですけど
(ここまでハノーヴァー王家の王は、全てドイツから王妃を迎えています)
“ヴィクトリア時代” という英国でも代表的な時代をつくりあげました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/4b/0d447e4bdc401c4cde9d0778929ff4f2.jpg)
ウィリアム4世に跡継ぎがなかったため
その弟ケント公の娘ヴィクトリアが女王になったわけですが
母親のケント公妃ヴィクトリア・メアリーはかなりのステージママだったようで
娘の即位前から摂政のようにふるまい、ウィリアム4世に叱られたという経歴の持ち主でした。
しかし賢明なヴィクトリアは、即位すると18歳の若さで母親に決別し
女王としての道を進み始めます。
ところでヴィクトリア時代ってどんな時代?
家庭的で質素な、中産階級的文化だといわれていますが
どうやらそれはヴィクトリアの夫アルバート公の影響が大きいようです。
系図からも分かるように、アルバート公は女王の従兄弟にあたります。
彼もドイツ人で、夫婦は王宮ではドイツ語で会話していました。
アルバート公はあくまでも女王の夫であり
国政には口をだしてはならないという了解がありました。
社交的な性格でもなく、田舎暮らしを愛する家庭向きの男性だったようです。
そこで夫妻は暇をみつけては田舎の別宅で過ごし、田舎道を二人で歩いて
華やかな王宮とは違う生活を好んで営んでいたようです。
写真で残っているヴィクトリア女王は、丸っこくてちびっこくて
なんだかかわいいおばあちゃまみたいな感じに見えます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp21.gif)
他の王妃や王女が、華美にふりふりビラビラしている中で
彼女の白衿の黒いドレスは、ある意味個性的でもあります。
初期の Y's みたい。
でも国民としたら少しは華やかでいてほしいかもね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
浪費は困るけど、ちょっとはおしゃれしてほしいような気がします。
なにしろ長生きで在位が長かったですから、息子のエドワードは60歳まで皇太子でした。
しかも女王は息子に対してけっこう厳しかったらしく
それは息子が60歳になっても変わらなかったようです。
おかげでエドワードはひねくれて遊び人になったらしいですよ。
誰ですか? チャールズなんて言ってるのは?![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp31.gif)
ちなみに女王はアルバート公が亡くなってから、狩猟林番人のジョン・ブラウンと
秘密裏に結婚し子供まで生んだという説がありますが
英国王室は(もちろん!!)これをきっぱり否定しています。
でも、本当だったらロマンティックでいいよね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp01.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/58/69d3cc557b4626365df21328808826a9.jpg)
ヴィクトリア女王とジョン・ブラウン
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 小林章夫氏『イギリス王室物語』
三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
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大英帝国女王 ヴィクトリア
1819~1901/在位 1837~1901
スチュワート王家の最後の王、アン女王に跡継ぎがなかったことから
ドイツのハノーヴァー家に王権が移って6代目にあたるヴィクトリア女王は
もうどっからどうみてもドイツ人なんですけど
(ここまでハノーヴァー王家の王は、全てドイツから王妃を迎えています)
“ヴィクトリア時代” という英国でも代表的な時代をつくりあげました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/4b/0d447e4bdc401c4cde9d0778929ff4f2.jpg)
ウィリアム4世に跡継ぎがなかったため
その弟ケント公の娘ヴィクトリアが女王になったわけですが
母親のケント公妃ヴィクトリア・メアリーはかなりのステージママだったようで
娘の即位前から摂政のようにふるまい、ウィリアム4世に叱られたという経歴の持ち主でした。
しかし賢明なヴィクトリアは、即位すると18歳の若さで母親に決別し
女王としての道を進み始めます。
ところでヴィクトリア時代ってどんな時代?
家庭的で質素な、中産階級的文化だといわれていますが
どうやらそれはヴィクトリアの夫アルバート公の影響が大きいようです。
系図からも分かるように、アルバート公は女王の従兄弟にあたります。
彼もドイツ人で、夫婦は王宮ではドイツ語で会話していました。
アルバート公はあくまでも女王の夫であり
国政には口をだしてはならないという了解がありました。
社交的な性格でもなく、田舎暮らしを愛する家庭向きの男性だったようです。
そこで夫妻は暇をみつけては田舎の別宅で過ごし、田舎道を二人で歩いて
華やかな王宮とは違う生活を好んで営んでいたようです。
写真で残っているヴィクトリア女王は、丸っこくてちびっこくて
なんだかかわいいおばあちゃまみたいな感じに見えます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp21.gif)
他の王妃や王女が、華美にふりふりビラビラしている中で
彼女の白衿の黒いドレスは、ある意味個性的でもあります。
初期の Y's みたい。
でも国民としたら少しは華やかでいてほしいかもね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
浪費は困るけど、ちょっとはおしゃれしてほしいような気がします。
なにしろ長生きで在位が長かったですから、息子のエドワードは60歳まで皇太子でした。
しかも女王は息子に対してけっこう厳しかったらしく
それは息子が60歳になっても変わらなかったようです。
おかげでエドワードはひねくれて遊び人になったらしいですよ。
誰ですか? チャールズなんて言ってるのは?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp31.gif)
ちなみに女王はアルバート公が亡くなってから、狩猟林番人のジョン・ブラウンと
秘密裏に結婚し子供まで生んだという説がありますが
英国王室は(もちろん!!)これをきっぱり否定しています。
でも、本当だったらロマンティックでいいよね
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ヴィクトリア女王とジョン・ブラウン
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 小林章夫氏『イギリス王室物語』
三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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