まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『賭博者』悪魔に魅入られた人々

2009-10-05 01:10:26 | ロシアの作家
ИТРОК 
1866年 ドストエフスキー

感想を書くまでにすごく時間がかかってしまった… なにやら身につまされて。

舞台はドイツの保養地のホテル。
主人公は家庭教師のアレクセイと、賭博でめちゃくちゃになった将軍一家です。

アレクセイが恋いこがれる将軍の娘ポリーナは
一家につきまとう胡散臭いフランス人デ・グリュー侯爵を想っているみたいなのだが
財産がないので上手くいかない様子。

将軍はたぶん借金やなにかでロシアにいられなくてドイツにいるのね。
彼はデ・グリューの親戚を名乗るブランシュに求婚したくてしょうがないのですが
ブランシュは金がかかる女です。
家計が火の車の将軍にはとてもとても…

そんな一家と他数名が待ち望んでいるのが
有り余る金を持つ伯母のアントニーダ老婦人が死亡したという電報です。
危篤だという電報をもらってから彼らは今か今かとその一報を待っています。

そんなある日、ポリーナの冷たい態度にイライラして問題を起こしたアレクセイは
クビを言い渡されてしまうのですが、彼の目の前に救世主のように現れたのは
誰あろう… ピンピンしているアントニーダ老婦人でした。
将軍一家はどうなってしまうのでしょう?

この後老婦人がルーレットの狂喜に魅惑されてしまい
ポリーナを救おうとするアレクセイもルーレットに挑むわけですが…

ルーレットを囲んで次第にギラギラしてくる人たちの様子に鬼気迫るものがあって
さすが自らが賭博常習者だったドストエフスキー!って感じ
経験+才能が見事に融合した場面です。

物語は予期しなかった、というか好きになれない展開をみせていきます。
ルーレットと真剣勝負をしたその夜を堺に
アレクセイの人生は大きく変わってしまったようです。 もちろん悪い方へね。

素直でなかったポリーナが悪いのか? 鈍いアレクセイが悪いのか?
私はポリーナがもう少し女らしい感情を見せていたら
ふたりの人生も違ったものになっていたと思うんですけどね。

でもそうなるとただのラブストーリーになっちゃうわけで
ドストエフスキーらしさが無くなってしまうのかしら?

賭博で手にした大金はあえて見苦しく、バカバカしく使うことになるのだという
彼なりの警告が込められているような気もします。
しょせんはあぶく銭なわけですから…

私は競馬は好きだが、大きくつぎ込もうとする人の気がしれません。
1000円ぐらいでいいじゃない? と思うのですが
1000円が2000円になったところで何も面白くないんですってさ。
10000円が20000円に、100000円が200000円にならないとダメなんだと。
0円になった時のことを考えないのかね?
恐ろしや、ギャンブラーの思考。

賭博者 新潮社


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オランダ王ローデウェイク1世妃 オルタンス

2009-10-05 01:04:28 | オランダ王妃
ナポレオンに愛された義理の娘
ローデウェイク1世妃 オルタンス・ド・ボーアルネ


1783~1837/在位 1806~1810

オルタンスはナポレオンの最愛の人、ジョゼフィーヌ の連れ子です。
ジョゼフィーヌの再婚のいきさつは省くとして
ナポレオンは彼女の子供たちを実の子のようにかわいがっていました。

      

オルタンスはナポレオンの妹カロリーネとともに教育されました。
背が高くスレンダーで、顔立ちが美しい少女でした。
音楽好きでアマチュア作曲家だったオルタンスは
ナポレオン軍のためにいくつか行進曲も作曲しました。

ナポレオンはお年頃になったオルタンスを、弟のルイと結婚させることにします。
義理の娘可愛さからか、一族の結束を強化したのか、はたまた
娘をナポレオンの弟に嫁がせれば安心と考えたジョゼフィーヌの影響によるものかは
分かりませんが、この結婚はあまり幸福ではなかったみたい

オルタンスはお美しい上に母親に似て社交的だったのね。
その上19歳という遊び盛りです。
一方ルイは精神的に弱いところがあり沈みがちで
一時はホモセクシャルにもはしったということで、夫婦生活は愛のないものでした。

               
                   肖像画をもう一枚
                   やはりお美しいという噂は本当だったみたい


1806年、ナポレオンにオランダ(ホラント)王に指名されたルイは
ローデウェイク1世としてハーグに赴きオルタンスも従いましたが
1810年に退位するとルイはドイツへ、オルタンスはフランスへ向かい
ふたりは別居、事実上の離婚ということになりました。

自由の身になったオルタンスは、かねてから想いを寄せていた
フラオー伯シャルル・ジョセフの愛にこたえることにします。
1811年にはジュネーブでシャルル・オーギュストを極秘の内に生みました。
シャルルは後にルイとの息子フランス皇帝ナポレオン3世によって
モルニー公に叙位されています。

1814年のブルボン家再興の時には、オルタンスはロシア皇帝アレクサンドル1世の
保護を受けて、その口添えでルイ18世からサン・ルー公爵にも叙位されました。
それなのに! ナポレオンが俗に言う百日天下でパリに戻って来ると
オルタンスは全面的に義理の父をサポートする側にまわりました。

アレクサンドル1世といえば、ナポレオンを打倒したことで
ヨーロッパで一目おかれる存在になった皇帝です。
ルイ18世はナポレオンの宿敵以外の何者でもありません。
そんなふたりを手玉にとるなんて、大人しそうな顔してやり手だね!

もちろん、ナポレオンの失脚後はフランスから追放されちゃいました。
ドイツやイタリアを渡り歩いた後スイスのアレネンベルク城に落ち着き
亡くなるまで過ごしましたが、ボナパルト家再興の夢は捨てなかったらしいですよ。

義理の父親だし、母親は離婚されてるんだし、夫とも縁は切れてるのだし
大人しくしていたらフランスで安泰に暮らせたかもしれなかったのにね。
何が彼女をそうさせた? ナポレオンとの思い出だろうか?
義理深い女性だったんですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント (2)
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