まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ポルトガル王ジョアン6世妃 カルロッタ

2010-05-28 02:04:19 | ポルトガル王妃
時代を読み違えた保守思想の信奉者
ジョアン6世妃 カルロッタ・ジョアキナ・デ・ボルボン


1775~1830/在位 1816~1826

カルロッタは、スペイン王カルロス4世とマリア・ルイサ・デ・パルマの王女です。
母親も強烈だったけど、娘もやるときゃやる子でした。

          

王太子ジョアンとカルロッタの縁談は、祖母にあたるマリアナ・ヴィトリア
スペインに里帰りしている時、ふたりが幼いうちにまとめられました。

10歳でジョアンと結婚したマリアナは、お人好しでブヨブヨで
頑なに宗教の教えを守ろうとする夫が大嫌いでした。
とはいえ、カルロッタも人のことが言えるほど美しくはなかったらしい…

子供は9人生まれているんですけど、なんでも王子はみんな見目麗しく
特に末息子ミゲルはハンサムで、父親が違うんじゃ…と噂になりました。

末娘のアナが誕生した1806年以降、ジョアンはマフラ宮殿、カルロッタはケルス宮殿で
各々暮らすようになり、完全な別居状態に入りました。
ケルス宮殿はカルロッタのご乱交のためにある…と言われていたそうです。

1807年、ブラガンザ家はフランスの占領前にブラジルに移ります。
まだ女王マリア1世は生きていたんだけれども、カルロッタは “ カルロティズム ” といわれる
スペイン支配による政府を南米に築こうとしました。

故国スペインはといえば、ナポレオンの支配下にあり、父王カルロス4世も
弟の王太子フェルナンド(後の7世)もフランスに連れ去られていました。
カルロッタはブエノス・アイレスやアルゼンチン北部のスペイン占領軍に
ラ・プラタ女王として指示を与えていました。
でも、スペイン=ポルトガル軍が支配できたのはシスプラチナ河流域だけだったけど…
この流域が後にウルグアイになります。

1821年、ブラガンザ家は晴れてポルトガルに帰国することができました。

しかし、リスボンは大きく様変わりしていました。
ナポレオン占領下で変革の気運が高まっていた市民たちは
それに続くイギリス軍支配に反対して革命がおこっていました。
立憲君主議会は新憲法を制定していて、ジョアン6世は従うことを宣言します。

ところが、カルロッタは旧体制、すなわち絶対王政での復古を望んでいて猛反発!
同じく保守派の王子ミゲルと手を組んで軍を動かし
ジョアン6世を投獄同然で城に閉じ込めました。 家庭内クーデターってことですか?

ジョアン6世はイギリスの援助を受けて権力を取り戻すと、ミゲルは国外退去、
カルロッタはケルス宮殿に隠遁をさせられました。

隠遁後はというと、カルロッタはおとなしくはしていたんだけど
明らかに子供っぽい格好や振る舞いをするようになります。
ちょっと壊れてしまったんでしょうかね?

1826年、ジョアン6世が急死しました。
ジョアン6世は、摂政として王妃カルロッタでなく王女イサベル・マリアを指名しました。
再デビューを果たせなかったカルロッタは、4年後にケルスで亡くなりました。

でも、ジョアン6世の死から2年後に、最愛の王子ミゲルが帰国して王になってるから
もしかしたら晩年は好き放題にやっていたかもしれないですね。

今までにいくつかの国の終焉や、立憲君主制に変わる様を書いてますが
ブルボン家出身の姫様はけっこう保守派のイメージなのよね。
時代の空気が読めないっていうか…
でも、そうやって育ってきたからしかたないのかもしれませんね。

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)

コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『緑色の裸婦』人それぞれの難題 | トップ | 『ポアロ登場』初期の短篇を... »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はた、と思い出した事があったので・・・・・・・ (マリアンヌ)
2010-05-28 20:14:48
まりっぺ様、こんにちわ、お久しぶりです。

>今までにいくつかの国の終焉や、立憲君主制に変わる様を書いてますが
このくだりで、思い出した事があったのです。
10年くらい前、確か、NHKBS1のニュース番組「きょうの世界」だったですか、ブラジルの政治を扱っていたのです。
なんと、ブラジルには、今では存在するかわかりませんが、10年くらい前には王政復活主義を政治的に主張している政党があったみたいです。100年以上も前に廃止された君主制を復活、というなんて、大変驚いた記憶があります。
君主制の魔力ってどこにあるんでしょうかね?
ヨーロッパでの君主制復活の動きって、たまにニュースを見かけたりしますけれど、南米でも、君主制を懐かしんでいるんでしょうね。
こんばんわ (まりっぺ)
2010-05-30 00:58:15
マリアンヌ様、こんばんわ

ブラジル、がですか?

ヨーロッパだと王侯貴族の末裔がいるのでありがちな話しではありますが、ブラジルで…というのは不思議な気がしますね。
しかも、そんなに長い間の統治ではなかったのに…

かなり無責任ですけど、私は王家があった方が世界が優雅になると思っているんですよね…国家のアイデンティティーみたいなものはスポーツなんかで築かれているような気がするので国王の存在感は薄れていると思いますが…

絶対王政は独裁みたいなものですから受け入れ難いけど、考えたら世界遺産級の建造物とか逸品て、そういう王家が築いているものが多いですよね。
今後はそういうものが生まれにくい世界になるのかと思うと寂しい気がしますし、虐げられるのはいやだし…困りましたね。
王の子孫って・・・・ (ルージュ)
2010-06-01 00:14:01
まりっぺさま マリアンヌさま こんにちは

王家の復活は現実には困ります。庶民としては・・・
 でも英国のキャメロン首相がウィリアム4世の末孫だったりするのはおもしろいです。
それも庶民出の愛人の生んだ傍系子孫なところがいいです。

NHKがたまに放送する「アクターズスタジオインタビュー」をよくみるのですが、ブルック・シールズが出たとき、司会者のジェームス・リプトンが「あなたの先祖は有名人が多い、アンリ4世や、ルクレチア・ボルジアや・・・」と言うので、へぇ?と思ったのですが、彼女の父方の祖母はイタリアのプリンセスなんだそうです。
こういう復活というか、子孫の活躍ならいいんじゃないかなと思います。
チャールズ2世の子孫がもう一人・・・・・ (マリアンヌ)
2010-06-01 20:27:07
ルージェ様、こんにちわ、初めまして。

キャメロン首相について付け加えが・・・・。
なんと夫人のサマンサさん、チャールズ2世の庶子の子孫なんですって。つまり、チャールズ2世の子孫にもう一人有名人が加わった事になります。故ダイアナ妃・セーラ元妃・カミラコーンウォール公爵夫人・・・・・そしてキャメロン首相夫人サマンサさん、です。
英国王の血筋を引いた首相であり、夫人も又、英国王の血筋を引いている事になりますね。

王家の復活はもう21世紀には、どの国も有り得ないでしょうね。このサイトはヨーロッパしか扱っていないけれど、東南アジアの王国、カンボジアが王政復古した最後の国になるでしょうね。
つい最近も、アジアではネパールが王政廃止に踏み切りましたし、磐石と言われたタイもどうやら危ないみたいです。タクシン氏は「王政を廃止しない」とは言っていないみたいだし・・・・。

ブルック・シールズの件、初めて知りました。
検索したいと思います。ありがとうございました。
こんばんわ (まりっぺ)
2010-06-03 22:19:40
ルージュ様、マリアンヌ様
こんばんわ

いつもありがとうございます。

かなり昔に、ブルック・シールズがモナコ公と噂になったことがありましたけど、そういうからみもあったんでしょうかね?

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ポルトガル王妃」カテゴリの最新記事