まりっぺのお気楽読書

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スペイン王カルロス4世妃 マリア・ルイサ

2009-05-17 00:30:11 | スペイン王妃・王女
祖父の血を受け継いだ?
カルロス4世妃 マリア・ルイサ・デ・パルマ


1751~1819/在位 1788~1808

マリア・ルイサは1765年、3歳年上の従兄カルロス(後の4世)と結婚しました。
14歳の新妻で本当なら初々しいはずなのですが、なんと スペインにつくなり
宮廷で目についた男性たちと浮気を始めました。

敬虔な父王カルロス3世は破廉恥な嫁に怒り爆発! 浮気相手を見つけては追放しましたが
マリア・ルイサはテバ伯、フェンテス伯、ランカストレ伯など次から次へと
お相手を見つけてきます。
不貞 → 追放 → 不貞 → 追放、のいたちごっこは続きます。

マリア・ルイサの母方の祖父はフランス王ルイ15世です。
もしかしてお祖父様の淫乱な血を受け継いじゃいましたかね?
なんでもマリア・ルイサはなかなか満足できず、お相手も大変だったそうですよ
      
ところが不思議なことに夫のカルロスはまったく平気でした。
“ 鈍感なスポーツ馬鹿 ”と言われている人ですので気がつかなかったのかもしれませんが
父王は再三「ちゃんと見張っとけ!」と叱っていますので知っていたと思いますけどね。
もしかすると自分の健康のために、あえて他の男性におまかせしてたとか…
(モーパッサンの短篇に疲れ知らずの妻を持つ男性の話があるんだけどね)

1788年にカルロス3世が亡くなると、愛人のマヌエル・ゴドイという8歳年下の近衛兵を
カルロス4世に頼んでアルクディア公爵にし、平和公という称号まで与えています。
その上、王と王妃とゴドイは3人で暮らしているといっても過言ではないほど
常に3人一緒でした。 むかし “ ドリカム状態 ” って言葉があったんだけど、あれかね?

マリア・ルイサが生んだ9人の子供のうち、下の2人はゴドイにそっくり!ということで
カルロス4世にそれとなく助言する人もいたようですが、王は自分たちのことを自ら
“ 地上の三位一体 ” なんて言っちゃって 宮廷中を呆れさせます。
ゴドイも相当の女好きで、片っ端から手をつけていたらしく
マリア・ルイサとの喧嘩も絶えませんでした。どっちが本当の夫婦だか分からんね

欧州はナポレオンの怒濤の侵略で激動の時代に入っていました。
カルロス4世は狩猟が大好きで政治に興味が無く、王妃とゴドイにお任せしていましたが
ふたりは国政を巡って王太子フェルナンドと対立していました。
結局、カルロス4世は国民の反乱によって退位に追い込まれ
フェルナンド7世が一瞬即位しましたが、ナポレオンによって失脚し王位は他家へ移ります。

1813年にはナポレオンが敗退し、再度息子フェルナンド7世が即位しました。
けれども親子関係があまり良くなかったため、スペインには帰国しませんでした。

カルロスとマリア・ルイサはコンピェーニュやローマで暮らしました。
あいかわらず側にはゴドイがいました。
1819年にマリア・ルイサが肺炎で亡くなった時も、側に付き添って看病したのはゴドイで
カルロスは弟ナポリ王のところへ狩猟に行っていて留守だったという…
お元気そうなカルロスだったのですが、数週間後にポックリ亡くなりました。

ちなみに、カルロスはマリア・ルイサが亡くなるとゴドイに出ていくように言ったそうで
本当は嫌々3人でいたのかもしれませんね? そりゃそうだろうよ…
尻に敷かれていたんですねぇ、きっと… これから好きにできるって時にねぇ…

ちなみにちなみに、パトロンを失ったゴドイは
フェルナンド7世によって遺産も称号も放棄させられて帰国も許されず
パリに渡って晩年を暮らしたそうです。

マリア・ルイサは画家ゴヤの肖像画で有名です。
ゴヤは何枚も彼女を描いていますが、裏で「王をあやつるるとんでもない女だ!」など
ものすごく悪く言っていたみたいです。
きっといいパトロンだったと思うので、本人の前では言わなかったでしょうけどね。

(参考文献 エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』
      桐生操氏『世界悪女大全』 Wikipedia英語版)

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マリア・ルイサの肖像画 (メリエンダ)
2018-09-01 21:23:08
マリア・ルイサは、パルマ公女にして、母はフランス王、ルイ15世の王女、という、とても高貴な血筋の姫君。彼女は、ゴヤの絵画のせいか、“驚くほど醜い王妃”なんて貶されていますが、少女時代の肖像画を見たところ、なかなか可愛らしく思われます。そんな彼女の可愛らしさにカルロスは惹かれたのか、マリア・ルイサに、自分の恋心をどう伝えれば喜ばれるか?を父王に尋ねたところ、父王は、『女なんて、公女だろうが、娼婦だろうが、性根は変わらないさ、そんなこともは解らないなんて、お前はなんて馬鹿なのだ!』と乱暴な叱咤激励を受けたそうです。マリア・ルイサはこの義父が、大の苦手で、義父も嫁のやり手な性格を見抜いたらしく、息子の不甲斐なさにいつも苛立っていたらしいですね。悪い予感は的中して、義父亡き後は、王妃になった後は、やりたい放題!愛人、ゴドイを宰相にし、国政を乱し、息子嫁や嫁の母・ナポリ王妃と敵対的したり、ついには、ゴドイを助ける為に、ナポレオンに国を売るような行為をして、元々仲が悪かった息子王とは修復できない程に仲が悪くなったりして、“最悪の王妃”という不名誉な称号を付けられるのも無理はありませんね‥
最後に、ゴヤの肖像画、“カルロス四世の家族”ですが‥ある意味、傑作ですよね、何せ、一番目立つのが、家長たる王、ではなく、王妃・マリア・ルイサですもの‥しかも、二人の子供、ゴドイとの不義の子供と噂された子供で、いかにも、王妃が他の大勢の子供達よりも可愛がっているのが、一目瞭然(汗)‥ でも、マリア・ルイサはこの絵を見て、大いに満足した、なんて言われているらしいですね‥
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