まりっぺのお気楽読書

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スウェーデン王アドルフ・フレデリク妃 ロヴィーザ

2011-09-08 21:16:17 | スウェーデン王妃
野心満々で “ 大王 ” の兄から心配された王妃
アドルフ・フレデリク妃 ロヴィーザ・ウルリーカ・アヴ・プルッセン


1720~1782/在位 1751~1771

前王フレデリク1世とウルリーカ・エレオノーラに嫡子がいなかったため
すったもんだの末(詳細ははしょるけど)ロシア女帝エリザヴェータに推されて
王になったのがホルシュタイン=ゴットルプ家のアドルフ・フレデリクです。
         
妃のロヴィーザは、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世と
王妃ゾフィア・ドロテアの王女で、これまたエリザヴェータのご推薦でした。
兄に “ 大王 ” と呼ばれたフリードリヒ2世がいます。

         
兄のフリードリヒ2世はこの結婚に難色を示しました。
フリードリヒは妹のことを “ 傲慢で気まぐれで陰謀家 ” と思っていて
敵が多く王権が弱いスウェーデン王家を支える王妃になるには
あまりにも野心がありすぎると考えたようです。
かわりに「妹のアンナ・アマーリエはどうかしら?」と言ってみましたが
スウェーデン側はロヴィーザを希望しまして1744年に結婚しました。

ロヴィーザは美しくて教養溢れる女性で、嫁いだ当初は人気者でした。
中でもテッシン伯などは “ 天使の心を持つ女性 ” として崇めていたようで
若い夫婦のために仮面舞踏会だ、ピクニックだ、芝居だと余興を用意しました。

テッシン伯は式部長官に任命され、彼の妻も女官長になりました。
ロヴィーザとの恋愛も囁かれましたが、これは噂にすぎないようです。
ちなみにテッシン伯は1754年に王子グスタフ(3世)とデンマーク王女の結婚を
王と王妃に説得したことで失脚してしまったんですけどね…

ロヴィーザはかなりアカデミックな女性で、プレゼントされたドロットニングホルム宮殿に
科学者や芸術家を集めたりギャラリーを造り、学者に講義をさせたりしました。

善良で凡庸なアドルフの方はといいますと散歩や大工仕事なんかに勤しんでいまして
ロヴィーザから馬鹿にされていました。

そんなわけでロヴィーザは徐々に実権を握り始めます。
ロヴィーザは弱まってしまって議会に牛耳られる王権に我慢がなりませんでした。
本当はアドルフに啓蒙君主になってほしかったのですが「無理ね… 」と気づき
自分で王権を強化しようと保守革命を企てました。

1756年、このクーデターは処刑者をだして失敗し
王と王妃が直々に議会から警告を受けるという恥ずかしい結果に終わりました。

長くなったからちょいとはしょってまいります…

ロヴィーザは政治的な力を失っていき、夫のグスタフにも廃位の影が近づきつつあって
1766年からは王子グスタフに希望をかけるわけですが、息子との間にも亀裂が…

ロヴィーザはお気に入りの姪(姉ゾフィア・ドロテアの娘)フィリッピーネを
グスタフの妃に…と考えていたのですが、グスタフは意に反してスウェーデン議会が推す
デンマーク王女ソフィアとの縁談に同意しました。

ロヴィーザはこの決定に大激怒し、軽蔑を隠そうとしませんでした。
やってきた代表団の馬車を門の前で1時間待たせ、部屋に入るととても低い椅子に座らせて
文字通り上から目線で謁見したそうです。

ちなみにロヴィーザはグスタフがダメなら…と、弟のカール(13世)とフィリッピーネを
結婚させようとしましたが、これもダメだったみたいです。

1771年にグスタフが亡くなった時、王子グスタフは金策のためフランスにいましたが
すっかり不人気なロヴィーザのことを案じて
「すぐに母を保護してほしい」とスウェーデンに使いを出したそうです。

グスタフ3世の即位後、ロヴィーザは王の母后として権力を振るう気満々でしたが
すでに母親の干渉にうんざりしていたグスタフは口を出させませんでした。
他の宮殿に移るよう強いられてドロットニングホルム宮殿も手放すことになりました。

フィリッピーネとの縁談を拒んだ息子たちの嫁とは絶対付き合おうとせず
グスタフの妃ソフィアを “ 小心者 ” 、カールの妃を “ 浮気者 ” と呼んでいました。
王妃に関する母子喧嘩は生涯続いたということです。

でもロヴィーザだってスウェーデンのためになることをしているのよ… たとえば
スウェーデンは七年戦争でプロイセンと争っていましたが負けがこんでいました。
そこで政府はロヴィーザを頼ります。
ロヴィーザは兄のフリードリヒ2世に和議を申し入れて領土移譲無しで戦争を終わらせました。
これは当時としてはかなりのお手柄ですよね! 領土が奪われなかったなんて!!
しかも相手は戦争で領土を拡大するのが大好きというフリードリヒなのに… さすが妹。

確かにフリードリヒ2世が危惧したとおり、王権がしっかりしている強国に嫁いでいたら
貫禄充分で高貴な名王妃なんて呼ばれていたかもしれません。

君主の嫁の評判て、本人の性格より状況で大きく変わるものですね。

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

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