お嫁入り直前の悲劇
フランツ1世皇女 マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
1751~1767
マリア・ヨーゼファは、フランツ1世とマリア・テレジアの九女です。
七女マリア・カロリーナは生まれてすぐに亡くなり
八女マリア・ヨハンナは12歳の時に天然痘で亡くなりました。
実はマリア・テレジアは予防接種の支持者で、子供たちの全員に
天然痘の予防接種を受けさせて効果を実証しようとしたのですが
マリア・ヨハンナには裏目にでちゃったみたいです。
いくら大ハプスブルク帝国の公女とはいえ九女ともなると、あまり日の目を見ない立場ですが
姉たちが亡くなったり嫁いだりして、さらにヨーゼフ(2世)妃マリア・イザベラが亡くなると
マリア・ヨーゼファは姪(ヨーゼフの王女)のマリア・テレジア、
姉のマリア・アマーリアに続くVIPになりました。
マリア・ヨーゼファは、本当に可愛らしい少女でした。
従順な性格で、陰気で神経質な兄ヨーゼフのお気に入りでした。
女帝は最初にマリア・アマーリアをナポリ=シチリア王フェルディナンド1世に
嫁がせようと考えましたが、フェルディナンドの父スペイン王カルロス3世が反対しました。
年上だったからですかね?
そこでフェルディナンドと同じ年のマリア・ヨーゼファが候補に挙がりました。
縁談話は進み、まさに婚礼のためにウィーンを発とうとした時
マリア・ヨーゼファに天然痘の兆候が現れます。
女帝は(ヨーゼフ妃)マリア・イザベラの棺に祈りを捧げた時に罹病したと主張しました。
たしかにマリア・ヨーゼファは、発病の二日前にマリア・イザベラの墓所を訪れていました。
しかし、天然痘の発疹が出るのはだいたい一週間後です。
さては、姉同様予防接種のせいなのか…
いずれにしてもマリア・ヨーゼファは回復せず亡くなってしまいました。
マリア・テレジアの一家には天然痘による死亡者が多いですよね。
治療や隔離が困難だったのでしょうか?
マリア・ヨーゼファの代わりとして、妹のマリア・カロリーナがナポリへ嫁ぎます。
これがナポリにとって良かったのか悪かったのかは…つづく
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)
フランツ1世皇女 マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
1751~1767
マリア・ヨーゼファは、フランツ1世とマリア・テレジアの九女です。
七女マリア・カロリーナは生まれてすぐに亡くなり
八女マリア・ヨハンナは12歳の時に天然痘で亡くなりました。
実はマリア・テレジアは予防接種の支持者で、子供たちの全員に
天然痘の予防接種を受けさせて効果を実証しようとしたのですが
マリア・ヨハンナには裏目にでちゃったみたいです。
いくら大ハプスブルク帝国の公女とはいえ九女ともなると、あまり日の目を見ない立場ですが
姉たちが亡くなったり嫁いだりして、さらにヨーゼフ(2世)妃マリア・イザベラが亡くなると
マリア・ヨーゼファは姪(ヨーゼフの王女)のマリア・テレジア、
姉のマリア・アマーリアに続くVIPになりました。
マリア・ヨーゼファは、本当に可愛らしい少女でした。
従順な性格で、陰気で神経質な兄ヨーゼフのお気に入りでした。
女帝は最初にマリア・アマーリアをナポリ=シチリア王フェルディナンド1世に
嫁がせようと考えましたが、フェルディナンドの父スペイン王カルロス3世が反対しました。
年上だったからですかね?
そこでフェルディナンドと同じ年のマリア・ヨーゼファが候補に挙がりました。
縁談話は進み、まさに婚礼のためにウィーンを発とうとした時
マリア・ヨーゼファに天然痘の兆候が現れます。
女帝は(ヨーゼフ妃)マリア・イザベラの棺に祈りを捧げた時に罹病したと主張しました。
たしかにマリア・ヨーゼファは、発病の二日前にマリア・イザベラの墓所を訪れていました。
しかし、天然痘の発疹が出るのはだいたい一週間後です。
さては、姉同様予防接種のせいなのか…
いずれにしてもマリア・ヨーゼファは回復せず亡くなってしまいました。
マリア・テレジアの一家には天然痘による死亡者が多いですよね。
治療や隔離が困難だったのでしょうか?
マリア・ヨーゼファの代わりとして、妹のマリア・カロリーナがナポリへ嫁ぎます。
これがナポリにとって良かったのか悪かったのかは…つづく
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)