まりっぺのお気楽読書

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ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ロシア女帝 エリザヴェータ

2009-07-07 01:15:06 | ロシア皇妃
打倒ヴェルサイユ!のおしゃれ番長
エリザヴェータ


1709~1761/在位 1741~1761

エリザヴェータが生まれた時には、父ピョートル1世と母エカチェリーナ1世
結婚を公表していなかったので、正統な後継者から外されていました。
イヴァン6世の母で摂政アンナ・レオポルドヴナから疑いをかけられて
身の危険を感じたので軍部にクーデターを起こさせ即位しました。

美しい女性だったそうで、ピョートル1世も生前諸国の王侯と結婚させようとしたのですが
庶子だということが響いて縁談がまとまりませんでした。
そこでコサック兵あるいは聖歌隊員といわれるアレクセイ・ラズモフスキーという男性と
大恋愛をして、結婚したと言われています。

      

即位したエリザヴェータは、肩身が狭い時期を過ごした反動か大浪費を始めます。
彼女はヴェルサイユにメラメラと闘志を燃やしていたらしく
文化もファッションもロシアから発信してやる!と躍起になりました。

文化面ではモスクワ大学や芸術アカデミーを創設しています。
これは良しとして…

問題なのはファッションの方です。
迷惑なのは他の貴婦人たちで、おしゃれはしなきゃいけないがやりすぎはNGってこと。
ドレスを15000着持っていたというエリザヴェータは自分が1番でなくては許せず
自分より容姿が良かったり素敵なドレスを着ている女性は罰せられたらしいよ
すごく困りますよね。 命がけの舞踏会ですよ

しかしVOGUEもELLEもパリコレも無い時代。
どうやっておしゃれ情報を仕入れていたんだろう?

冬宮(現エルミタージュ美術館)など宮殿の建設にも着手しているのですが
これがまたご存知の通り贅を尽くしているわけです。
その上ダンス、グルメ、アートと湯水のようにお金を使ったエリザヴェータは
とうとうフランスの銀行から「もう金は貸せん!」と言われたりしています。

            
             エリザヴェータ、お買い物に行くの図

国政の方は任せっきりで、税制や農奴制が改定されたりして国庫や貴族は潤っていましたが
その分下層の国民の貧しさはとんでもないことになっていたらしい…
よく革命がおきなかったものです。

晩年はかなり肥満してしまったそうです。
後継者には甥のピョートルを指名し妃も選んで結婚させ孫の教育も引き受けていましたが
度々卒中の発作に襲われるようになり、1762年に亡くなりました。

しかしエリザヴェータの贅沢に驚いてちゃいけないんですよ。
ピョートルの嫁というのが後のエカチェリーナ2世です。 彼女はもっとスゴい!
アンリ・トロワイヤの『女帝エカテリーナ』によるとエリザヴェータとエカチェリーナは
あまりうまくいっていなかったようですが、さてさて…つづく

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)

ロシア皇帝歴代誌 創元社


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ロシアの“わがまま”女帝エリザヴェータ (メリエンダ)
2018-11-13 19:55:30
ピョートル大帝とエカチェリーナ1世の間に産まれたエリザヴェータ。
ロシア皇帝二人の間に産まれたなんて、超サラブレッド!なんて思いましたが…母エカチェリーナは、皇族どころか貴族ですらない、農民の娘で、しかも、母は正式な妻でなく、妾、つまりエリザヴェータと姉君は、“庶出”の皇女。娘時代は、自身の身分に肩身が狭い思いをしたらしく、年頃になると、当時、ヨーロッパ1の先進国だったフランスの王ルイ15世との縁談があった、とされ、エリザヴェータは、あのヨーロッパ1、洗練され、目も眩む程に華やかで美しいベルサイユ宮廷に嫁ぐかもしれない喜びにうっとりしたとも…しかも、ルイ15世は、ヨーロッパ中に“フランス1の美男子”として名を馳せており、こんなに良い縁談は無い、と胸をときめかせていましたが、
フランス側は、ロシアは、近年、発展目覚ましく、巨大な領土を誇る国だが、国都を熊や狼が闊歩している土地だと聞く、そんな“未開”国の姫君が、我がフランスの王妃になろうなど、身の程知らずにも程がある、しかも、姫君は“庶子”ではないか!とすっっごく、見下されてしまったらしいですね、エリザヴェータ可哀想…
それが原因かは、わかりませんが、女帝となったエリザヴェータは、ロシアを華やかな、活気ある、フランスに負けない国造りを目指し、ロシア宮廷も、フランス、ベルサイユに負けない華やかなものにしようとしたらしいですが…ここでエリザヴェータのわがままが…ロシア宮廷の最も美しく、華やかな女性は、女帝たる自分であり、自分よりも着飾ったりすることは、断じて認めぬ!と命じ、例えば、ピンク色は、自分だけが許された色で、他の女性には許さず、素敵なリボンを着けた女性を目敏く見つけたら、女性の髪もろともリボンをちょん切ったり、貴婦人達は、何とか目立たないように努力(?)する有様だったらしいですね。エリザヴェータのわがままは、年と共にエスカレートし、極めつけは、甥で世継ぎピョートルの嫁選び。嫁は、ピョートルを支えられるような賢さとそして何よりも、“さして美貌ではない”娘とし、選ばれたのが、かの有名なゾフィーこと、後のエカチェリーナ2世。色んな意味で、エリザヴェータは、良い?選択をしたなぁ、と思います。
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