まりっぺのお気楽読書

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『孤児マリー』受け身の強さを知りました

2009-08-26 01:06:32 | フランスの作家
MARIE CLAIRE 
1910年 マルグリット・オードゥー

女性が主人公だと、どうしても立ち向かって行くタイプが良いものだ、と
思っている節があります。 私はね。
それで受け身タイプの女性が登場すると、まるで悪いことのように
言ってしまうことが多々あるのですが、今回おおいに反省です。

母親の死後父親がいなくなって孤児になった7歳のマリーが姉とも離されて
修道院や農園で過ごした12年あまりの物語です。

たとえば『赤毛のアン』『家なき娘』のペリーヌなどはたくましさがありますね。
アンには空想の力と巧みなおしゃべりで人を惹き付ける魅力があり
ペリーヌには子どもらしからぬ思慮分別や計算高さが備わっています。
アンはちょっと不幸な境遇をなんとか明るいものにしようと工夫をこらし
ペリーヌは祖父に受け入れてもらうために最善の方法を得ようと熟考します。

けれどもマリーはまったくの受け身、逆らわず、主張せず、黙々と生きています。
連れて行かれるままに修道院で過ごして、言われるままに農園に移り
優しかった雇い主の死後は有無を言わさず次の雇い主に仕えさせられて
最後は生き別れだった姉が勧めるままにパリ行きの汽車に乗ります。

それなのに、なぜかマリーには強さを感じます。
風が吹き荒れても倒れない柔らかな草のような、柔軟な強さ。
自分の不幸も嘆かないというより気付いていないんじゃないかとさえ思える
飄々としたマリーを、おバカさんだと見てしまう人もいるかもしれませんが
目の前の状況を見つめる目はするどいですよ。

内容を堪能するというよりは、とてもシンプルで美しい文章(訳者は堀口大學氏)が
さらさらと流れていくうちに物語が終わった、という感じでした。

この物語が作者のオードゥーの実話ではないにしても
彼女はマリーととても良く似た人生を送ってきたそうです。
巻頭にミルボーの賛辞が書かれているのですが、その中でも当時のお針子オードゥーの
苦しい生活が書かれています。

悪くなった目で縫い子をしながら書き上げた47歳の女性の処女作。
苦しい47年間を送った後でこんなにあどけなくきれいな物語が書けるなんて…
信じられない。
普通は世間や自分を貶めた人たちへの恨みつらみを書きたくなるでしょう?

出版後に屋根裏から引っ越したアパルトマンには、有名無名の作家たちが集まって
彼女の優しい励ましや慰めの言葉を聞きたがったというから
本当に素直で滋味溢れる女性だったのでしょうね?

たおやかな強さを教えてくれる『孤児マリー』は、ちょっと世を拗ねて攻撃的な私に
いろいろな反省材料を与えてくれました。

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2 コメント

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Unknown (彩のばあば)
2010-11-25 15:55:33
「孤児マリー」は子供の頃読んで、とても心に残った本でした。また、同じ作者の「光ほのか」も、同じ時期に読み、アンニュイという、言葉の意味がわかったような気がしました。
大人になってから、もう一度読みたいと思い、探したのですが、見つかりませんでした。新潮社で出ているのですね。孫もいる、この歳になってから、また、読み返してみます。生きているだけで、美しいとかんじさせる、ヒロインたちですね。
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ありがとうございます (まりっぺ)
2010-11-25 23:26:57
彩のばあば様、こんばんわ
コメントありがとうございます。

本当に心が清らかになるいい本でした。
それまでバルザック全集とかエミール・ゾラを読んで、フランス人のダークサイドを見てばかりいましたが(でも嫌いじゃないんですけど)オードゥーの小説はフランス人の素朴で美しい一面も見せてくれました。

私は『孤児マリー』は古本市で買いました。
『光ほのか』はアマゾンで古本を買いました。
店頭ではみかけていませんが『光ほのか』は復刊だったので、また復刊されるかもしれないですよね。

昔読んだ本を再び読むと、その頃に感じていた思いなどが甦って、懐かしくなったり恥ずかしくなったりします。
それもまた再読の楽しみですよね。

見つかるといいですね。
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