万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

お正月の床の軸

2012年12月30日 | Weblog
                        



 押し迫った29日に夏初めに頼んでいたお軸の表装が届きました。届いてみて頼んでいたことを思い出しました。

 この軸の書は万福寺の先代三智が昭和癸亥(58年)に大三島町の文化協会茶道部の依頼で書いたものです。その年の文化祭の

お茶会に掛けられたのですが、その時の軸は香川県の寺院に入寺して住職を勤めている次男に遣りました。と、云いますのもこの

軸「閑寂」と題している短歌「底光る潮のたゝえに石つぶて 児の投げしその水の音聞く」の潮のたゝえに石ころを投げては投げて

遊んでいる幼子は三智の孫、今香川の寺に住職となっている私の次男なのです。

 今春、これはあなたが持つべきだと次男に遣りました。

 その後、父三智の書いたものを調べていますと、「閑寂」の紙面が反故の中に挟まっているのが見つかりました。
 

初夏の頃、本堂の中島画伯の襖を設えてくれた表具師が奥さんに襖を見せに来山された時に軸表装の依頼をし、「いつでもいいで

すよ」と云っておいたのですが、落款に「癸亥元旦」とあるのでお正月に掛けるのではないかと思われてか、年末に届けてくださ

ったのでしょう。

 千家十職の表具師奥村で修業を積んだ人だけに斬新な色合いの茶掛けに仕上がっています。

 平成25年の元旦はこの新しく出来た先代の「閑寂」を掛けることにしました。


○31日大晦日、例年のように朝仏前のお華を生けました。仙料を庭に取りに出ると雪がちらちらしていました。今年は水仙の

蕾はまだ固いようです。

 お内陣に4瓶、納骨堂に2瓶、松、菊、葉牡丹、仙料などを使いました。

 ついでに広間の床の花も生けておきました。今年は水仙も咲かず、椿もまだまだで買った花が主になってしまい面白味がありま

せん。

                         

平成24年1月に厳修された親鸞聖人御遠忌御正当法要に出勤して使った「華芭(けは)」を竹製の華籠に入れて床に置いて見ました。宗祖から751年の心構えの為です。

 ○平成24年も余すところ10時間足らずとなりました。数々の思いや考えや、人との様々なつながりなどが今年もまた未消化

のままで越年することです。残念さや心残りのままですがお許し下さい。

 今年のブログはこれで終わりにします。ご訪問下さり有難うございました。来年もまた宜しくお願いいたします。

 佳いお年をお迎えくださいますように、                                     合掌
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巳年の折り紙

2012年12月29日 | Weblog
                                
                                  巳さん夫婦散歩(?)の図

 数日前、東京の高山鈴子(旧姓重松)さんから来年の干支、巳さんを折り紙に折った作品を送って下さいました。昨年は辰の色

紙をいただきした。辰の親子だと思ってみたのですが、今年のは巳さんの夫婦と思います。蛇には私は愉快にはなれませんので敢

えて巳さんと呼ぶことにしました。色紙の緞子調の赤色でおめでたい感じがいたします。

 色紙掛け軸にはめて玄関に掛けさていただきました。今年も有難うございます。


 色紙と一緒に高山鈴子さんが所属して活躍しておられる日本折紙協会の月刊マガジンを数ヶ月分を送って来られました。鈴子さ

んは「おりがみドリーム」と云う折紙教室を開いておられます。興味のある方はお訊ね下さい。


                                
                                   月刊おりがみ
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年の瀬に咲く花

2012年12月28日 | Weblog
                        
                            一子侘助椿  

 今年の年の瀬は殊の外冷え込んでいます。その上、昨夜からしとど時雨れて寒さがつのります。

ですが、この寒さでも咲いている花があります。「寒いだろう、寒いだろう、」と声をかけながら撮影しました。

 一子侘助(いちこわびすけ)は固い蕾を寒風に晒せながらも開かせて行きます。

 更紗木瓜(さらさぼけ)も寒霜を受けながらもへっちゃらな顔で咲いているのです。


                         
                             更紗木瓜
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天球(てんきゅう)

2012年12月26日 | Weblog
                             


この画像は天球と呼ばれる中国で作られた象牙製の球体の彫り物です。11月に今治常盤町のT・Sさん宅の報恩講に参上しお

参りを終えていろいろお話をしておりましたら、Tさんが「ご院家(いんげ)さんに貰っていただきたいものがあるのです

が・・・・、主人が元気で仕事をしていた頃、どうしても傍に置いておきたいと云って求めたものです」と云って棚の中からおも

むろに私の前に出して来られたのが、この天球だったのです。
 

 Tさんのご主人は腕のいい印刻士だったのですが還暦前に亡くなられたのです。漢字や篆刻、書道に関する膨大な蔵書は今万福

寺と大三島図書館に納まっています。前住職の落款印や私の印もSさんが彫って下さったものなのです。そのSさんがいつも傍に

置いていた象牙製の天球を万福寺に納めておきたいと、随分と脚の弱って来られたTさん云われるのです。

 私は天球を手にとってしげしげと眺めて見ました。何と、球体の中に六重の球体が彫られていてそれぞれがレース様に彫刻され

て、不思議なことにそれぞれが歪さが全く見られない球体となっているのです。恐らくこれを求められた印刻士Sさんはこの天球

の彫刻の確かさに唸られたに違いないのです。どうしても傍に置いておきたい思いに駆られたのだと思いました。

 手放しても本当にいいのかなァー、と思いましたが、Tさんの是非ともと云われますのでお預かりすることにしたのです。


 何度眺めても、何度思案しても、この象牙製の天球を彫り出す方法、完成までにどの位の時間がかかっているのだろうなどと思

うと気が遠くなりそうになるのです。(直径6,5㌢、これには同じ象牙製の置き台が付属していたはずですが、それは付いてい

ません)

一番外側の球面にはダイナミックに3頭の雲龍が細かく彫られています。 さーて、この天球を何処に置くべきでしょうか?
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仏像を描く

2012年12月21日 | Weblog

京都太秦広隆寺の国宝第1号の弥勒菩薩思惟像。Mさんは太秦に13年も住んでおられたのだそうです。

 因島にお住まいのM.Kさん、勤務で各地転勤しておられましたが、昨年生地の因島に帰って来られました。数年まえに他界さ

れたご両親は大三島の宗方のご出身です。

 お若い頃から墨絵などを趣味とされていたとのことですが、定年になられてから油彩で仏像を描くことを思い立たれ、キャンバ

スに向かう毎日であるとのことです。今までに数十体の仏像をキャンバスに描いて来たと申されていました。

 一昨日来山されM.Kさんの仏像を描く深い思いや、それぞれの仏像の由緒などを熱っぽくお話になられました。寺に納めさせ

ていただきたいのですが、お気に召すのがございますか、と云われますので十数点の中から三点を選び寺に頂くことにいたしまし

た。

 何よりも品格が漂うような画調です。油彩を始められてまだ2年にもならない方とはとても思えない作品ばかりです。これから

寺内のどこかに順次掛けさせていただこうと思っています。

 

                                       
滋賀県長浜市渡岸寺(とうがんじ)に伝わる国宝十一面観音像。最も美しく穏やかなお顔の観音様と云われています。


           醍醐三宝院の御本尊、弥勒如来像、仏師快慶作、重文。
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マルナカお好み焼き屋

2012年12月20日 | Weblog
                              
                              マルナカ製「お好み焼きのもと」

 マルナカお好み焼き屋は大阪港区八幡市場にあるお好み焼き屋なのです。実はこのお好み焼き屋さんの主人A.Nさんは私の中

学校時代の同級生なのです。いつも同窓会の時にはお世話下さる中心のお一人です。このA.Nさんから先日お手紙をいただきま

した。

  この12月24日を期して「マルナカお好み焼き」を閉店いたします。創業42年、ご愛顧を感謝いたします。

 と、云うような文面でマルナカ製の「お好み焼きのもと」パウダーが送られて参りました。

 行列が出来るほど繁盛したお好み焼き屋で港区八幡屋界隈では知らない人はいないお好み屋だったのですが、70才になったの

だからもう止めた方がこれからの自分の人生のためにいいだろうと、決断したと云うのです。

 18日に坂出市の次男の寺を訪問することになっていましたので、1日前の17日に大阪のA.Nさんを坊守を同伴して訪

ね、お労いさせていただきました。訪ねるとご夫婦で喜んで下さって、早速にお好み焼きを焼いて下さいました。坊守は初めて食

べるのですがペロリと食べて「おいしィ!」と感嘆していました。

 このように美味しいお好み焼き店を閉店してしまうのは惜しい気もしますが、未練もなくサッさと止めてしまうのもA.Nさん

らしいと思いました。42年間、病気を克服されながらご苦労さんでした。

 これからの老活に力を発揮されんことを・・・・、





A.Nさんよりマルナカお好み焼き店の閉店の日の写真をいただきました。これから開店、開店祝いのようにお花が沢山贈られ

ています。閉店を惜しんでの、そしてありがとうの思いを込めての常連客からのお花でありましょう。A.Nさんご夫婦の人徳に

賛歌を贈ります。




 大阪より讃岐へ                             
                              

 岡山から瀬戸大橋を渡るJRを利用するのは初めてで興味深くキョロキョロ眺めていましたが、どうも三角に組まれた鉄骨が目

について展望とはいかないようです。開放感は車の方にあります。


                               
                              坂出駅プラットホームから讃岐富士を遠望
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何としたことでしょう!

2012年12月14日 | Weblog
 12月9日より大寒波の襲う北海道へ出講していた若院が12日夕どうにか無事に帰山して来ました。

 13日夕、久方振りに家族全員で食事をしました。様々な初体験の話が出る中で、北海道の会所でアイフォンを使って万福寺の

ブログを見ていて「驚いた!12月の法語が昨年の法語になっていますよ!」と云うのです。そんな馬鹿な、と私は云うのです

が、「あれは昨年のですよ、画像も今年のは絵ですが、写真になっていますよ!」と云うのでカレンダーを持って来て見ると、正

しく昨年平成23年版カレンダーの法語なのです。「なぜ!なぜ!、????」・・・・・・、余りに大きな間違いのショックに

 この大間違いは何故起こったのかと考えてみますと、居間近くの柱に「法語カレンダー」を掛けていますが、過去5、6年のカ

レンダーを重ねて掛けているのです。24年のカレンダーを法話などで使う為にはずしてそのまま12月を迎え、表面に出ている

平成23年12月の法語を考えもせずにスキャーンしてしまったのだと思うのです。それにしても昨年、この法語については解説

をしてアップしていますのにその記憶が飛んでしまっているとは・・・・、なんともお恥ずかしい次第です。お許しくださいます

ように、

 
 12月ももう中半ですが、間が抜けていますが、平成24年12月の法語について書いて置かなければ25年を迎えられません

ので勇気を絞って書いて置くことにいたします。





                      


いよいよ大悲大願はたのもしく 往生は決定(けつじょう)と存じ候へ

このお言葉は『歎異抄』第9章にあるお言葉です。第9章は比較的長い文章になっていますが、1節々々が重要な意味を持つ文

節が詰まっている一章なのです。

 若い真摯な求道者「唯円房」の問いから始まります。

 「お念仏申させていただいておりますが、躍り上がるような喜びもなく、また急いでお浄土に参りたいと云う心も起こってきま

せんが、このようなことでいいのでしょうか」と、唯円房は80数才の親鸞聖人に問いお尋ねしたのです。

すると聖人は「唯円房もそのような思いを持っていましたか、親鸞も同じ不審を持っております・・・・、このことをよくよく

考えてみますと、天に踊り地に踊るべきことを喜ばないのはいよいよお浄土に往生させていただくことは間違いなく定まっている

ことだと味あわせていただいております。」

 このようなお二人の意味深重な対話から聖人の語りが展開して行くという一章となっています。

 12月の法語のお言葉の前にはこのような聖人のお言葉に続いているのです。

 「なごりおしい人間境涯ですが、この世(娑婆)との縁が尽きて、私の体力も脳力も気力も全ての力が尽き果てて、人としての

命が終わる時に、かの土(お浄土)に生まれさせていただくのです。急いで往生したいと云う心のない者を殊にあわれみ抱き続け

呼び続けて下さってあるのです。

 このような如来さまのお心を思い味わいます時、いよいよ大悲大願はたのもしく、お浄土に往生させていただきますことは間違

いのないことであります。このように心得させていただきましょう。」

 
 この『歎異抄』7章の唯円房の問いに吐露されるお言葉は殊に重要だと思います。どうか何度も何度も繰り返し拝読させていた

だきましょう。
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「絵ものがたり正信偈」 読後感想おたより №2

2012年12月08日 | Weblog



 10月10日に発行されました若院著の『絵ものがたり正信偈』お陰さまで多くの方に読んでいただいているようで、厚くお礼を申し上げます。

 次の様な読後感想のお手紙をいただいております。精査にお読みいただき望外なコメントを賜りましたことを有難く感謝申し上げます。

福岡博多でご法耕されている、龍大の、また宗教教育部の大先輩でもあられるE.T師からのお手紙。(坂出市清立寺さんよりご提供)


 (前略)さて、過日よりは「絵ものがたり正信偈」のご恵贈賜りまことにありがとうございました。厚く厚くお礼申し上げます。
 今までに五回程読ませていただきましたが、その都度しずかなる感動に包まれています。
 まず、出だしがすばらしいですね、

   はてしない過去から
   わたしをつつむいのち

   はてしない未来まで
   わたしを照らす光

 そのいのちと光が、いかに成就していったか・・・・、そしていかにして“ナモアミダブツ”のみ名になっていったのか・・・ このことを正信偈が意とするものかを適格に、平易に、又文学的に表現され、読んだ後も余韻が残ります。
 ご門徒のある方にこの本を読んで頂いたところ、これなら阿弥陀様のルーツがよくわかる、私にも是非一冊を、との答えがかえってきました。
 この本をつい最近、63才のご主人を突然亡くされた方、入院されている方、或いは、小生が教誨師として担当している死刑囚や受刑者にも、と思っています。十冊程ご送付頂けないでしょうか、(中略)
 久々に心に染みる本に出遇った。率直な感想です。(後略)


  M.Z師(愛媛県)のお手紙

 先日は『絵ものがたり正信偈』をお送りいただき有難うございました。
 とても斬新で、さわやかで、かってなかったようなご本になりましたね。最近は、お経の「超訳」とか「心訳」といわれる本がいくつも出されていますが、その中でも優れた一冊だと思います。 釋さんも書かれているように、言葉と絵の境界線が融けてしまうような印象です。
 『正信偈』をこんな風に訳されるには、どんなにかご苦労があったかと思います。叙情に流されることなく、格調をもちながら。それはきっと、親鸞聖人の信心の喜びをそのまま受け止められた、ご自身の宗教的感動の表れなのだと感じました。
 特に印象深かったのは、終わりのまとめのところの、

   “ナモアミダブツ”

    この名には
    さとりの世界から
    あなたへと届く
    はてしなくながい
    いのちのものがたりが
    あるのです

 読んでジーンときましたね。
 本当にありがとうございました。
 (以下略)


 I.H病院長(松山市)からのお手紙

 年の瀬も押し迫り、心せわしいこの頃ですが、ご健勝のことと存じます。過日は今治の実家での報恩講を営んでいただき有難うございました。
 その節、若院様が作成された「絵ものがたり正信偈」を頂戴いたしました。
素晴らしい着想で、時期を得た絵本と、感銘を受けました。「南無阿弥陀仏」のお念仏の奥深い意味を、実にやさしく、無駄のない表現で、語っていただいています。我々仏教に縁の薄いものにも、心に沁みこんでくるものがありました。
 何よりも、古いお経と思っていた「正信偈」が、実に格調の高い漢詩であり、親鸞聖人の心情のこもったメッセージであることが、よく分かりました。現代人には難解な親鸞聖人の漢詩「正信偈」が、この絵ものがたりによって、身近になった感がします。心から感謝申し上げます。(以下略) 


 M・Tさん(山梨県)からのお手紙から

 この度は 絵ものがたりの正信偈の本を送っていただきありがとうございます。
ゆうべ一番下の孫(5才)が一緒に寝たいと言ってきました。寝る前によく本を読むので頂いた本をひもときました。絵をみてこれが王子さまと私に教えていたのですが、日曜礼拝で耳から覚えかけたお正信偈がかながふって出てきたものですから、声を出して読み始めました。私も一緒になって声を出して頁ごとに区切られながらーそれも楽しい様子でー子供の澄んだ美しいかわいい声に私の声が、まだたどたどしいところへのっかって終わりまで読ませてもらいました。
 とてもとても佳い時を過ごさせてもらいました。尊いことでした。ありがとうございました。
 ご子息の副住職執持様の文が優しくて絵と一緒になって、ホントは知っていなかった私に心に届けてくださいました。有難いことです。
 日曜礼拝に、お加減が悪いので寒くなって来れない方、うちのお寺に来たいと云われるけどまだ眞宗にふれておられない方に法蔵館で求めて差し上げたいと思うほどです。日曜礼拝の方々(少人数ですが)にも見せてあげたいです。(後略)


S・Kさん(大阪)からのお手紙から

 この度は 若院さまの「お正信偈」ご送付下さり 有難うございました。
直ぐに拝読しました。

 一行 一行の すなおな ことばに 仏の いつくしみが 透きとおって ふりそそぐ 光のように 受け取れました
どのページも余白が多く その絵の中の余白に おひとりお一人 お念仏に 出遇われた縁を思い起こし 先に往生された方を
偲ばれるのではと感じられました なんども拝読します
 ご縁の方にお配りしようと思っています(法蔵館より取り寄せて)
  (後略)


 このような読後の心に染みいるようなお手紙を頂き、ありがとうございます。(住職)    和南
  
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晩秋の本願寺

2012年12月08日 | Weblog
                             
                              晩秋の両御堂

                                                

                                 いてふの葉もほとんど散っていました。

 永観堂を辞して、昨日お参りが出来ませんでしたので、ご本山(西本願寺)に寄り両堂へご挨拶申し上げました。この師走の寒さの

中を「念仏奉仕団」のタスキを掛けた人たちの姿が見えました。ご苦労さまです。

 ご本山にお参りをするのは1月11日に参勤した大遠忌正当法要以来のことで、改めて深い感慨をもってお参りさせていただき

ました。

 ご影堂前の大公孫樹は全て落葉しています。境内北東の直幹の公孫樹には黄葉が少し残っていました。公孫樹は本願寺を象徴す

るもので懐かしさがあります。


 今朝、永観堂で中西玄禮管長から拝聴した中の、法然上人の『選択集』を5回熟読して念仏門に入った静遍師のこと、専修念仏の

批判書『砕邪輪』(さいじゃりん)を書いた山寺の明恵上人のことなどが思い巡りました。・・・親鸞聖人の百日の六角堂参籠

から法然上人のもとに百日続けて聴聞に通われたことなど併せて思念してみる時、法然上人のその時代への影響力は未曾有なことであったことを

改めて考えてみたことです。自力門から絶対他力への転回は日本の宗教史上、初めての画期的な開展だったのです。


 大三島が黄昏(たそがれ)の頃には帰山できました。
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永観堂再訪

2012年12月07日 | Weblog
                            
                            永観堂の多宝塔

 翌朝、6日は今回の目的であります、浄土宗西山禅林寺派本山永観堂へ参詣に駅前を8時過ぎに発ちました。

 永観堂は紅葉の名所でもあります。遅散りの紅葉がまだ所々にあって愛でることもできました。着いた時はまだ受付開始前で法

務員、職員総出で落ち葉掃きの最中でした。

 中西管長さんがお迎え下さり、「ようこそ来られました、昨日まで国宝の〈山越の弥陀〉の展覧をしていました。今日取り外す

作業をしますので、先ず展示室の方へお入り下さい」とのこと、思いがけないめぐり会いに一同感嘆いたしたことです。「山越の

弥陀」画像は永観堂所蔵の法物なのですが管理上から現在は東京国立博物館に移管されているとのこと本当に思いがけない眼福で

した。当寺所蔵の仏画十数点も同時展覧されていました。一昨年訪れた時には長谷川等伯の「波濤図」の展覧中であって喜んだこ

とでありましたが、今回もまた喜びををいただいたことです。私のこれからの人生で二度と拝見は叶わぬものばかりなのです。


            

        講話下さる中西玄禮管長     管長さんと記念写真 

9時より永観堂の講義室で中西管長さんの講話を約90分拝聴いたしました。中西管長さんは龍谷大学在学中はサークル宗教教

育部でご活躍、童話の名手であられました。それだけに聞く側の立場に立って常に分かり易くお話を進めて下さいました。

 以下、ご講話の要旨を記しておきます。

 禅林寺(永観堂)の草創は弘法大師の高弟真紹によって藤原関雄の別荘を真言宗の寺、禅林寺を建立したことが始まりであると

のこと、浄土宗の寺に多宝塔や両界曼荼羅図があるのはそのようなことに依っているのでしょう。この寺が浄土系の寺となって今

日に伝わった縁由は歴史上お二人の師僧のお念仏信仰によっていることをお話になられました。

 第1の方は禅林寺第7代永観律師(ようかんりっし)、永観律師は三論、法相(ほっそう)を修学された方で東大寺の別当職に

就かれた方でもありますが、身体が虚弱な方でそのようなことからか浄土信仰に身を置かれるようになられたのであろうとお話に

なられました。縁あって禅林寺に住持されるようになった時に境内東南に阿弥陀堂(常行三昧を修する堂)を建てられて念仏行を

励まれ、その念仏行中に阿弥陀如来のお姿に遇われ、あまりの事に永観はそこに蹲って合掌念仏しておると阿弥陀様はお顔を左後

ろを向かれて「永観!遅し」と申されたのだと伝わっているのです。その時の阿弥陀様のお姿を刻んで伝えているのが当山のご本

尊「見返りの弥陀尊像」であるとのことです。

 また、この寺が法然上人のお説き下さった浄土宗の寺になったのは高倉天皇の御代にこの寺の住持となった静遍(じょうへん)

師が法然上人の著「選択本願念仏集」(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)を5回精読して念仏者となられたことにより、以来

浄土宗西山派の證空(しょうくう)上人の流れの本山となって現在に至っていることをお話になられました。

 初めてお聞きすることが多々あって新たな認識をさせていただいたことです。

 最後に浄土真宗の「正信偈」にも見られる「大悲無倦常照我」(だいひむけじょうしょうが)の心を次のように誰にでも分かり

易いお話をされて結語とされました。

  ◎あきず あせらず あきらめず

  ◎まゆみの法則
   まつこと
    ゆるすこと
     みとめること

 心にジーと余韻の残るご講話でした。あとゆっくりと禅林寺堂宇を巡拝させていただき、盛んに落葉を進める永観堂を後にした

ことです。

     

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