万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

則我善親友(すなわち我がよき親友なり)

2007年10月31日 | Weblog
画像の扁額は当山10世浅野断流師の揮毫になるものです。
能書の住職であったようですが、帳面類の筆跡は別として拙寺
に残されているものはこの扁額が唯一です。ご門徒の仏間など
にはちょこちょこ見かけることがあります。
 このご文は『無量寿経』のお言葉で前2句は「聞法能不忘
(法を聞きよく忘れず)、見敬得大慶(見て敬い得て大いに
慶ばゝ)」のお言葉に「すなわち我がよき親友なり」と続く一
句です。
 ここでの「我」とは釈迦如来さまが聞法しお念仏を慶ぶ人を
「私の善き友である」と申されているのです。「友」とは同じ
道を歩む者と云う意味でしょう。非常にほのぼのとした世界が
示されています。
 落款の「黙翁」は断流師の号で、「静堂」と署名しているも
のもあります。
 断流師は江戸期から維新への動乱期が青年時代、明治期を
寺の住職、そして中四国を中心に布教に専念されていますが、
この扁額は素晴らしいプレゼントを残して下さったものだと感
銘しております。(住職)


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戦後の精神

2007年10月26日 | Weblog
一週間前、お二人の方から著書の寄贈がありました。一冊は先日東京から態々ご訪問頂いた法政大学の飯田泰三教授から自著『戦後精神の光芒 ーー丸山眞男と藤田省三を読むためにーー』、もう一冊は住職の畏友富田隆順氏の著書『反核平和運動に捧げた半生 ーー半田孝海の生涯ーー』です。図らずも両著とも第二次世界大戦後の精神の思考と行動が基本となっている高著であります。
 第二次大戦以後の私ども人類は地球を不毛の地にしてしまうだけの核爆弾を保有すると云う不気味きわまりない環境の中に生活しなければならなくなったのです。
 そう云った方面の示唆を与えて下さる好著を頂きました。戦後62年、真剣に考えなければならないことを与えられた思いがしています。
 平和運動の旗を掲げられた「半田孝海師」は富田隆順氏が出家得度した長野善光寺大勧進(天台宗)の副住職にあられた人であることから富田氏の人格形成に大きな影響をなした人であることがうかがい知られ、認識を新たにしたことです。
 また、法政の飯田教授も富田氏、私と同年齢であることに不思議なご縁を感じます。(住職)
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向拝の山号額

2007年10月23日 | Weblog
山号額「西向山」(さいこうざん) 正四位山岡鐵太郎書
 本紙は現在軸装保存、今治市有形指定文化財。
 万福寺ホームページ「寺の紹介」をご参照下さい。
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宮殿の組立

2007年10月23日 | Weblog
 昨日(10/22)京都の古田仏具製作所が来山し、宮殿(くうでん)の組立設置作業をされました。法務多忙のため組立作業を見ることは出来ませんでしたが、帰山してみると大方出来上がっていました。宮殿はホコリを落としお洗濯しただけですが燦然と輝いています。大正11年の建立当時の輝きを彷彿とさせます。
 今日も朝から作業が行われ、輪燈、吊り灯篭、人天蓋などが天井から釣られてお内陣が俄然賑やかになりました。
 向拝正面へ山号額が掲げられました。旧本堂では内陣正面に揚げていたのですが、この度は向拝に揚げることにしました。山岡鐵舟揮毫になるものですが、数年前に原紙の損傷がひどく軸装にして保存することにしました。山号額は板刻にして掲げていたものなのですが、今回向拝の外長押に揚げてみましたがよくマッチしていると思います。  (住職)
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唐獅子牡丹

2007年10月09日 | Weblog
 修復された須弥壇の「唐獅子牡丹」の彫刻です。
見事に彩色が施され生き生きと輝きを再現しています。
正面に唐獅子が3頭、左右脇に1頭づつ、都合5頭の
唐獅子が牡丹の花に戯れています。
 身中の虫に狂うはずの獅子が牡丹の花粉に触れて
治まっていくと云う故事と煩悩に沈淪するこの私が
如来さまのお慈悲一つですくわれてゆくと云う妙を
喩えて下さってあるのでしょう。お聞かせいただく
ばかりなりと5頭の獅子は説法してくださっている
と拝めます。
                           (住職)
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杜鵑草(ほととぎす)と水引草

2007年10月08日 | Weblog
杜鵑草や水引草が咲き揺れています。
 杜鵑草の葉の先きが枯れているのは
暑さの為かと思います。今秋の草花は
すべて青息吐息のように見えます。黙
って凌いでおりますネ。
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西王母椿咲き初め

2007年10月08日 | Weblog
 まだまだ残暑が続いておりますのに、西王母椿が一輪咲いておりました。
昨年の花が今年の3月頃まで咲いておりましたのに、花ははや冬の訪れの近
いことを告げているのです。
 どのような花も第一花は殊に美しいと思います。
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藤田省三先生の墓参

2007年10月07日 | Weblog
 午後4時頃、6、7人の来訪があり、聞けば故藤田省三先生のお墓にお参りに来られたと云われる法政大教授とその門下の人達でありましたた。嬉しい驚きを感じ、仮本堂の庫裏に通って頂き暫くお話を伺いました。私も藤田家のことや、省三先生について知るところをお話させて頂きました。ようこそお訪ねくださいました。有難いご縁でした。
 後、口総原の墓地へご案内し、そこでも海の見える景色を眺めながらしばらくお話したことです。
 人とのつながりは尊くすばらしいものです。そのような中に私どもは生かされていることを再認識いたしたことです。                (住職)
 ○藤田省三先生は戦後の岡山村初代村長藤田忠一氏の3男、二人の令兄はレイテ、沖縄の海にと相次いで特攻隊として散って逝かれた。東京大学法学部丸山真男教授愛弟子、日本の政治思想史研究において著しい業績を残される。法政大教授、先生の豊富な知識をベースにしたリベラル且つグローバルな論述は後世にわたって評価され、魅了されるものと思う。平成15年5月26日74才を一期にご逝去されている。藤田家の墓地に分骨された。法名はお望みではなかったかも知れないが釋眼諦と贈らせていただいた。
   画像は飯田泰三教授他皆さんと記念に撮影。
コメント (8)
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ラントウ・レーベン、バザーの模様

2007年10月06日 | Weblog
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ラントウ・レーベンの催し

2007年10月06日 | Weblog
10/6(土)野々江のラントウ・レーベン(滞在型農園)の人達と地域住民の人達によるイベントが開かれました。花や野菜の苗などの即売、食べ物や様々な物品のバザーが行われました。
 ラントウ・レーベンとはイタリア語とドイツ語の合成で「田舎暮らし」と意味なのだそうですが、20戸のハウスに約40人位の都会生活者が滞在して野菜・花・柑橘作りに熱中しておられます。大三島は山も海もあって変化に富んでいますから面白いと思いますヨ。みなさん楽しんで居られるようです。
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