5月になりました。朝方はまだ寒さを感じますが、日中は初夏のようです。皆さま連休を如何
お過ごしでしょうか、佳い日でありますように。
5月の法語は山口県六連島(むつれじま)のお軽さんの法悦歌が掲載されています。
きのう聞いたも 今日また聞くも
ぜひに来いとのおよびごえ お軽
妙好人六連島のお軽さんについては六連島の西教寺の西村真詮師が「おかる同行」と題した冊子にまとめて下さってあるものが手元にありますので、少し紹介させていただきます。
「お軽、幸七(夫のこと)を思えば、さぞ腹が立つことじゃろうが、ええかな、腹立ちまぎれに婿の恥を一軒一軒ふれて歩くのじゃないぞ、悔しくてどうにもならんようになったら、真っ直ぐにお寺においで、そして、私とこの坊守りとにあんたの胸の中のありったけを遠慮なく打ち明けておくれ、ええかな」
女盛りのお軽さん、さぞ瞋恚の焔が狂わんばかりに燃えていたことであろう。幾度か寺を訪れる。いや本当は泣きながら庫裏へ走り込んだことも幾度か有ったことであろう。
信前のお軽は自分はいい女房であり、いい母親であり、いい女である、とばっかり思い込んでいた。然し、だんだん御法を聴くにつけ、ありゃ、このお軽は何とまあ、鬼の角さえもぎとるおそろしい女であったと気づかせいただいたのが35才であった。
爾来金剛の信心に住し、念仏一筋に生きて、安政3年(1856)1月16日、56才を一期として往生の素懐を遂げたのである。お軽逝きて136年、教養も学問も無い一農家の女であったが、真実に生きて来た人は100年後でも彼女の残した香が漂っている。
とお軽さんについて述べられています。今もお軽さんを慕って多くの同信の方々が六連島を訪れています。
5月の法語はお軽さんの「六 光」と題されている16歌からなる中から選ばれているものなのですが、16歌全てを紹介しておきます。天保3年(1832)の頃、博多の仙崖老師(臨済宗)が見られて、
信を得し人のよろこぶ言の葉は かなにあらわす経陀羅尼なり
と、賛嘆歌が遺されています。
六 光
おかる25才の時よめる
聞いてみなんせまことの道を 無理なおしえじゃないわいな
まこときくのがおまえはいやか なにがのぞみであるぞいな
自力迷信
自力はげんでまことはきかで 現世いのりに身をやつす
いのちの内に
思案めされやいのちのうちに いのちおわればあとじあん
領解(りょうげ)すんだるその上からは ほかの思案はないわいな
自力の分別
ただでゆかるるみをもちながら おのがふんべついろいろに
おのがふんべつさっぱりやめて 弥陀の思案にまかしゃんせ
わしが心
わしがこころは荒木の松よ つやのないのがおめあてよ
およびごえ
きのう聞くのも今日またきくも ぜひにこいとのおよびごえ
御恩おもえば
重荷せおうて山坂すれど 御恩おもえば苦にならず
宝も山
たかい山からお寺をみれば 御恩とうとやたからやま
たから山には足てをはこぶ むなしかえりをせぬがよい
親様
まことしんじつ親さまなれば なんのえんりょがあるかいな
したて取り
おもてみなんせよろこぶまいか まるのはだかをしたてどり
どんざきるともおいわれきけば きぬやこそでをきたこころ
狂婆々
きちがい婆々といわれしわれも やがてじょうどのはなよめに
150年も200年も前に生まれ生きた人も自らの煩悩に苛まされ、自らが煩悩の泥で自らを塗り込めて藻掻き苦しんだ。今に生きる私も煩悩の泥沼で光を失って行く。その私にはたらいて下さっている弥陀の光明は今も昔も少しも変わりないのです。
どうしようもないヒステリー状態にあったお軽さんから、こんなにも透明で全く臭みのない言葉が湧き出て来るのです。本願不思議、名号不思議。