万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

孫に遇う

2013年02月22日 | Weblog
 昨日2/21、18日に誕生した私の次男恵真と妻陽子に生まれた第1子、私の孫に遇いに行って来ました。次男恵真は現在坂

出市の西招寺に入寺して林姓となっています。妻陽子さんの生家は京都なのでご両親の居られる京都で出産となりました。

 産院は醍醐と云うことなので京都駅から地下鉄を利用して醍醐駅まで行き、駅の側と云うことで難なく行き着くことができまし

た。

 私どもが最初に対面したのは彼女がスヤスヤと横を向いて眠っている寝姿でした。


                    


       

 しばらくして恐る恐る抱かして貰いました。まだ目は見えるはずは無いのに、何と私の顔をジッと見つめるのです。この世の空

気と光に懐かれて4日目、光の働きを必死で目が受けているのでしょう。 


                   

   陽子さんのご両親と     万福寺のじじばばと      あなたの名前は「弥音花」(みねか)とのこと・・・南無

阿弥陀仏の呼び声が充ち満ちて花の咲きこぼれるようにと云う意味なのでしょうか、あなたのお父さんが呼び名とされたのです。    
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お山は雪だ

2013年02月19日 | Weblog
              
           雪の薬師山       観音山
                               
                               鷲ヶ頭山遠望


 今日の朝は昨夜来からの雨、雨は霙となり相当冷え込んでいました。午前中法務から帰山する際、山を見ると真っ白に冠雪して

いました。急いでカメラを持って向かいの展望台に車を走らせ撮影をしましたが、山頂辺りは雲に覆われてクッキリと撮すことは

不可能でした。松山や今治辺は平地でも積雪があるのだろうと思います。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も胡蝶侘助(こちょうわびすけ)が咲く

2013年02月17日 | Weblog
                     
                   氷雨に濡れた胡蝶侘助

万福寺には胡蝶侘助が2株植わっていますが、その1株の蕾が昨日開いていました。矢張りこの侘助が一番小さい花であること

は確かです。

 豊臣秀吉が主君織田信長に献じた椿がこの「侘助」であると伝えられています。京都大徳寺総見院にその椿が今も伝わっていま

す。

 本日のEテレ、「日曜美術館」で茶の湯の天下人三人が愛した宝(茶道具)が取り上げられていて興味深く見ました。その中で

豊臣秀吉の茶への趣向は意外と深い美意識からのものであったことが語られていました。もし秀吉がいなかったなら茶の湯は大衆

化していなかっただろうとも語られていて考えさせられました。

 『花壇地錦抄』と云う昔の花の本に「侘助わびすけ 赤ひとへ、小りん也、つつに咲く、こまが成白ほしこらこ有。一名こてう

也」と見えます。この頃までは胡蝶侘助をのみ「わびすけ」と呼んでいたことが伺えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カフェ・マグノリア

2013年02月15日 | Weblog
 昨日(2/14)夕方、坊守と二人で玉川町にあるカフェ・マグノリアを訪ねました。今朝のNHKのローカルニュースでマグ

ノリアさんが料理教室をしているトピックスが映りました。そうだ今日はマグノリアさんを訪ねてみようと思い立ち法務の済んだ

4時頃玉川へ向けて車を走らせました。

 カフェ・マグノリアのオーナ瀬尾留美子さんは昨年11月9日夜開催された反核・反戦の詩人アーサー・ビナードさんの講演会

を中心となって企画開催された方なのです。瀬尾さんからこの講演会開催についてのお電話を昨夏いただき、ビナードさんが玉川

へ向かう途次大三島万福寺へ寄りたいとのご意向をお聞きしたのでした。それまでマグノリアさんのことは知ることはなかったの

ですが、ビナードさん、いや広島の原爆を通してマグノリアの瀬尾留美子さんの平和運動やオーガニック食材やカフェのことを知

ったのです。今までお電話や郵メールなどをいただいていましたし、1度寺にお寄り下さったのですが、私が不在であったりでお

話をうかがうご縁がありませんでした。

マグノリアは鈍川温泉方面道路の手前にあります。簡素で清潔感が香るハウスです。表札に「オーガニックカフェ&マーケッ

ト」と記されていました。

ドアーを開けると爽やかな空気が漂っていました。部屋も心の行き届いた清潔感のある設えとなっていました。

 オーガニックで作られた醤油、お酢、オイル、雑穀などが売られていました。

 中央のテーブルに坊守と坐って、さて何を注文しようかとメニューを眺めると日頃余り目にしないメニュー、瀬尾さんのアドバ

イスを受けながら、秋田地方だったかの麩のカツレツを挟んだサンドウイッチに豆乳を泡立て使ったウインナーコヒーを頂くことに

しました。どちらも美味で清食です。清々しい食後感を味わったことです。

 また、しばしばお邪魔しようと思います。今度はオートミルのお粥を注文しようかなァ、

          

       マグノリアハウスの外観、これはHPから転載。 部屋のたたずまい。 坊守も感動したと云々。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は旧正月の元旦

2013年02月10日 | Weblog
 2/10(日)今日は三連休の中日で旧正月の元旦に当たります。朝夕はまだまだ厳しい冷え込みの毎日なのですが立春も節分

も過ぎて今日は旧暦の正月元旦です。私が小学校の頃には旧正月の元旦は学校はまだお休みになっていたような記憶があります。

お餅も新正月と旧正月と2回搗いていました。季節的に云いますと矢張り旧正月は春の気配を感じる頃であることは確かなことで

す。

 法務を終えて夕方境内を巡って見ますと、一週間前とは確実に木々の雰囲気が違っています。

 夕闇迫る中で旧正月元旦の花々を撮しておきました。


              
   椿「乙姫」 小さいながら花やかで可憐な花です。胡蝶侘助と同じくらいの小さな花です。


             
  数寄屋侘助も乱舞しています


                      

 紅梅が咲き始めていました。  紅満作も咲き始め、黄満作とやっと揃い咲きです。 水仙もボチボチ開花が進んで来ました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツバキ展

2013年02月04日 | Weblog
                              


 昨日(2/3日)午後1時頃に法務から帰山いたしますと、広島市にお住まいのT・Tさんと云われるご夫婦が来山されていま

した。拙寺のブログ「大三島のつれづれ」にアップしている各種の「椿」を見て来られたとのことなのです。

 Tさんは椿協会の会員で広島椿協会のお世話をなさっておられるとのこと、本年3月24日~30日まで広島妙詠寺で開催

する「ツバキ展」の案内チラシや椿協会の雑誌などをお土産に下さいました。椿の愛好家は全国では随分居られますし、当愛媛県

も椿を愛でる人は多く居ます。そのような会話で楽しい語らいでした。写真や絵画などにも話が及び、何と「四田観水」画伯(今

治出身で横山大観画伯のお弟子)の絵のことを話題にされたのには驚きました。Tさんが東京に居られた頃に晩年の四田観水画伯

にお会いしたことがあり何点か作品を持っておられるとのことです。

 四田観水画伯のことについても2年くらい前にこのブログで紹介しましたがそれも見て下さっていて今回の来山の目的でもあら

れたようです。

 インターネットのブログの世界は本当に想像を超えたご縁が広がっているようです。ブログを始めて8年にもなりますが、未だ

にネットの不思議な世界の思いは消えません・・・・・。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月の法語

2013年02月02日 | Weblog
                   


 毎日の寒さに気を取られておりましたら、もう二月、来週の月曜日4日は立春となります。慌ててカレンダーをめくりました。


    人間とは その知恵ゆえに
      まことに
    深い闇(やみ)を生きている
               史明
                1932~ 

 今月の法語は 史明(コウ、サミヨン)さんの厳しくご自分を見つめられている言葉が掲載されています。実にズッシッと心

底に来るお言葉です。

 人間の特性は考えるところにあると云えます。太古以来人間は考え、思惟し様々な分野を発展させ、いろんな物を創造して来た

特異な存在と云えます。

 ですが、私と云う人間存在の最もやっかいな点は「わし我!わし我!」と言い続け、思い続ける「我執」によって自縛され続け

ているところにあります。自縛し自己を厚い壁に塗り込め、本当の自由、そのままにあるがままに見て思い考えることが出来ない

ようにしているのは外ならぬ私自身なのです。

 史明さんはそのことを「深い闇を生きている」と自己存在を自白されたのです。自己を同じ人間の尺度、人間の知恵に当て、

比較しての「深い闇」の自覚ではなく、如来さまのやるせない仏智、大悲にいだかれ照らされた自己の自覚からのおことばである

ことは云うまでもないと思います。

 史明さんは山口県に生まれられた韓国系の方です。若い頃から文筆での作家として生きてこられた方なのですが、昭和50年の

夏、中学1年生であった愛児真史さんが自死して行かれたのでした。「ぼくは12才」と題した詩集が出版された程の文学少年だ

った真史さんの死は史明さんの生涯背負う重い苦悶となりました。その苦悶が親鸞聖人が開顕して下さったお念仏への尊いご縁と

なられていることがご著書から知られます。『一粒の涙を抱きて ーー歎異抄との出会いーー』(昭和52年毎日新聞社刊)

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする